目指せ、ハイパーマイラー!

まじで最近ガソリンが高い!

3年前くらいにも、同じようにガソリンが高くて焦っていたことがあるのですが、最近またその時のレベルに近づいてきています。ガス価格の高騰を防ぐために、政治家に対して何かアクションを起こすようにと呼びかける動きなども出てきています。私も車は毎日の生活に欠かせないので、ガス価格高騰は切実な問題。少しでも節約になればと、最近「低燃費走行」にハマってます。アメリカではこれを「ハイパーマイリング」と呼び、MPG(マイルパーガロン。燃費の効率性を表す指標)を競いあう燃費オタク「ハイパーマイラー」達がいます。ガソリン代節約というような一見セコいことでも、「低燃費を極めるゲーム!」として捉えるとなんだか面白くなってきますね。こういう遊び心、好きですよ。


いろいろなサイトで調べた低燃費走行(ハイパーマイリング)のコツをまとめておきます。

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ブログとか日記を書くこと

昨日『アンネの日記』を読んでいた。

私は日記文学が好きだ。

アンネの日記アナイス・ニンの日記 1931~34―ヘンリー・ミラーとパリで (ちくま文庫)二十歳の原点 (新潮文庫)

アンネ・フランクや高野悦子とは生きている時代も、おかれているシチュエーションも違う。
でも、彼らの日記が他人ごととは思えない時がある。

正直に書かれた言葉たちは、グイグイ胸の中に入り込んでくる。
鋭くて、純粋で…。
世間知らずで恥ずかしいところとか、「おいおい」「やめてええー」ってつっこみたくなるところも含めて、目が離せない。

「これは自分だーしかも自分が今まで目を背けていた自分だ!」って思ったりする。

もちろん、冷静な大人になってしまった私は思う。
それは、多分思い込みだってね。

別に私と彼女たちの間に、客観的な類似点なんてほとんどなくて。
きっと多くの人に「これは自分だ」って幻想を抱かせる力があるからこそ、これらの作品は支持を集め、今日まで読み継がれてきたのだろう。って。

でも、この世の中に掃いて捨てるほど作品がある中で、私が「これは自分だ」って思ってrelateできる作品はそんなにない。だから、やっぱり私は、これらの作品が好きなんだよね。別に起承転結もストーリーもない、膨大な量の「日記」が。

んで、私は人のブログを読むのが好きなのだが、ブログも、やっぱり、読み物として完成度の高い軽妙なエッセイ風のものよりも、王様の耳はロバの耳風に、「秘密を吐き出す」みたいな芸風のものの方が好きだ。

だから、皆もっと、ドロドロしたところ、全部書けばいいのに~て思っていた。

大好きで可愛い恋人と愛し合っててラブラブで、絶好調で、明るい将来の計画も一緒にたててて、私たち幸せなんです♪うふふ♪的なのじゃなくて、もっと、こう暗くてダークなの。別れたいとか、浮気したいとか、貧乏で苦しいとか、なりたい自分像からかけはなれてて死にたいとか、元カノストーカーしちゃうとか、仕事が見つからないとか、彼女に言えない秘密があるとか、違法行為してるとか、そういうこと書いてくれた方が、よっぽど読んでて面白いのに~!って。

でも、そういうのって、やっぱり誰にも読まれていない「日記帳」だから書けることなんだろう。

リアルタイムで公開されていき、リアルタイムでフィードバックが得られるブログやTwitter、ましてや、最近はやりの、人間関係と紐付けされたソーシャルネットワーク上において、こういう「王様の耳」風のことはなかなか書けない。

あの寓話で、理容師が思う存分「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶことができたのは、誰にも聞かれていないと思っていたからだ。もしも、それが、街中の人に聞かれているとか、ましてや王様自身がすぐ側で耳を傾けていると知ったら、もう、正直な思いを叫ぶことはできなかっただろう。

素性を隠して書かれている「匿名ブログ」の面白さはそこにある。自分を知っている人が誰も読んでいない、少なくとも、書き手がそう信じこむことができる環境においては、人は「日記帳」に対するのと同じくらいリラックスした態度で、言葉を綴っていくことができる。

もちろん、ネットに公開で書いているのだから、「誰かに見られている」という意識はあるだろう。でも、それは、自分にとってはまるで架空の人物と同じようなもの--例えば日記帳につけた人格--みたいなものであって、実際には、そんな通りすがりの誰かに見られたからって、別にどうということはない。いちいちコメントがついてレスポンスを要求されたりしない限り、書き手は誰かに読まれてるということを意識したりせず、自由に書きたいことを書けるだろう。でも自分が親しい誰か--日々交流して、人間的な関係を持ち、もしかして、彼ら自身が、日記においての登場人物でもあるようなそんな親しい誰かに常に見られていると意識した瞬間に、言葉は何もでなくなる。

自分は素直に書けているだろうか?
自分の書いた文章を、10年後読み返した時に、「あの頃はこんなことを思っていたのか」って思い出せるくらい、
今書いてるこの文章に、今の自分を素直に表すことができているだろうか?

いつからかかなあ?
人の目を気にしすぎて、ブログを書けなくなってきていた。
昔は、毎日必ずブログを書くことが日課だったのに、最近では一ヶ月以上何も書けないこともあった。
(Twitterのせいっていうのもあるけどね!)

でも、人は絶え間なく変化していくし、
昨日書けたことが今日書けなくなってるっていうことが、ある。

あえて、誰に読まれてるとかそういうことを、一旦全て忘れて、
書けることは書いておこうって思うようになった。
今書いていることは今しか書けないこと。

まあ、やっぱり全部を書くっていうことはできないけどね。
でもできるだけ書こうと思った。

世界中が、アイ・ラブ・ユー<3

私が初めてつきあったアメリカ人。
彼女とは日本で知り合った。
彼女と交わした会話を覚えてる。

日本語でI like youってなんていうの?
「好き」
じゃあI love youは?
「愛してる」

そして彼女は、片言の日本語でスキ or アイシテル?と聞くので私は困った。

知り合ってまだ数日しかたってなかったから。

だからその時まだアイシテルって言えなかったんだと思う。

それからもっと時間がたって、二人はつきあうことになって、ちゃんと多分私はI love you っていったと思うけど、その時のことは覚えていない。

★ ★ ★

生まれてはじめて「愛してる」って言った相手。
初めてつきあった女の子。
好き、好きだよ、めっちゃ好き、大好き、ずっと一緒にいようっていっぱい言いまくってた。
でもある時、自然と、胸の中からこみあげるように、めっちゃ自然に「愛してる」って言ってた。
その言葉に自分で少し驚いた。
でも、それ、本当に自然に口から出てきたと感じたことを覚えてる。

★ ★ ★

それから何度も何度も「愛してる」って言ったと思う。
多分つきあった彼女に全てに言ってたと思う。

彼氏にも言ってたのかなあ?
覚えてない。
言ってないと思うけど、言ってたかもしれない。

もうそれは言うことは当然のことになってて、
いつ言ったとか、どう感じたとか覚えていない。

あ、でも一つ
覚えてることはあるかな。

それは私が大学の時、
先に就職してた元カノが研修の合宿で、心細かったのか、なんなのか
電話口で何度も甘えたように「ねえ愛してる?」って聞いてきた。
私は「愛してるよ」って答えながらも、
少し、甘えられてることに、うんざりしてたんだと思う。

その子とはそれからしばらくして別れてしまった。

★ ★ ★

アメリカに来て、I love youって言葉を
友達とか家族に使うことを知った。

それって結構心地良くて。

恋愛と関係ない場面で、I love you って使いまくるようになった。

友達と盛り上がったら「アイ・ラブ・ユー!」電話を切るときも「ラブユー、バイ!」日本人の友達にも、「お前、マジ愛してる!」

良い感じに酔っ払って、大音量で流れる音楽に体を任せて、
側にいる仲間たちを笑顔で眺めた。
「アイ・ラブ・ユー」
嫉妬とか排他的な感じがぜんぜんなくて。

「愛してる」の本来の意味ってきっとこういう感じだよねって思った。

★ ★ ★

でも、恋愛的な意味でそう言うことはなかなかできなくって。

アメリカにきてからつきあった彼女。
彼女と「愛」について語り合ったことを覚えてる。

でも、つきあってた三ヶ月間の間に、彼女とI love youって言いあった覚えはない。
それからずーっとI love youって、恋愛的な意味で言ったこと、なかった。

★ ★ ★

I love youって言いたかったけどずっと言えなかった。
その言葉が何か大きなものすぎて、自分の気持ちがまだ追いついていない気がして。
I miss youなら言えるけど、I love youってなかなか言えなくて。
I love youって言いまくれるくらい、もっと好きになりたいって思っていて。
だから自分の中ではI love youって言おうとすると唾を飲み込んでしまってその代わりにI want to love youって頭に浮かぶんだけど、でもそれっていったら、じゃあやっぱり今はlove youの段階にまで至ってないよっていうことをはっきり認めるみたいで、結局、何も言えなくて無言のまま抱きしめるっていうことしかできなかった。

★ ★ ★

あれはいつだったのかな?
忘れた。
多分、結構前。
I like youってあまりに軽すぎて、
それよりも、もっと大きな言葉を使いたくて。
悩んだ。

日本語だったら、いろんな言葉を使えるのに、英語だと途端に無口になってしまう事が嫌で。
でも、そうやって悩むくらいなら、言ってしまえって思った。

英語でアイ・ラブ・ユーなんて、きっと、日本語で「アイシテル」じゃなくて、多分「大好き」くらいの意味だよね。
深く考えなくていいじゃん。
考えすぎて何も言えなくなるより、こうやって悩む前に、言葉にだしてしまえよ。

そう思って、
I love youって言ったことがあった。

二人で目覚めた朝。
まだ完全に目覚めてない時間。
彼女のことを後ろから抱きしめて耳元でささやくように小さい声で。

彼女は、驚いたように「え?今何て言ったの?」って言った。

その言い方で、彼女にとって、I love youは、大好きだよ♪的な感じじゃなくて、結構重い意味合い持ってるんだってわかった。私は一気に緊張したけど、もう後戻りはできないって思って、I love youって言ったんだよ、って言った。彼女は少しからかうように笑ってI like youって答えた。私はOKって答えた。何かもうそこでぐったりしてしまった。
自分がバカみたいに思えた。

それからもう長い間I love youって言わなかった。
ていうか、言えなかったのかな、怖くて。

★ ★ ★

でも、それから時間がたって…。

その頃に何があったとか
詳しいことはまた機会があれば書くけど。

いろいろしゃべって
いろんなことを一緒にして
もっとどんどん仲良くなった。

私は彼女のことをもっと好きになったし
彼女も私のことをもっと好きになったってわかった。

やっぱりI like youじゃ足りないよねって思った。

だから
ベッドの上で、キスしながら。
I love youって言った。

彼女は今度すぐにI love you, tooて言い返してくれた。

その時ちょっと感動したよね。

うまくいえない。

すっごーい嬉しかった。

両想いって素敵。

翌日そのことばっかり思い出してニヤニヤしてた。

それから一ヶ月くらい経つ。
今ではずいぶんI love youって言うようになった。
まだ新鮮さ、あるけどね。
嬉しいよね。
言って確かめ合うのって大事。

無理して思ってもないことを口にしたくないけど、
思ってることを口に出せないのも辛い。
いつも素直に、気持ちを出せるような関係でいたい。

動物園に行きました!

LA ZOOに行ってきました★

この動物園、LAダウンタウンから10分ほど、グリフィス天文台のすぐ裏という便利な立地なのに、なんと今まで一度も行ったことがありませんでした。

キリン、しまうま、コアラ、象、ライオン、虎、アザラシ、フラミンゴ、ミーアキャット…なにより大量の人間の子どもだらけの動物園!楽しかったけど、最近では大人になってしまったせいなのか、「動物たちはここにいて幸せなのだろうか」などと考えてしまう。うーん。無邪気にはしゃげた昔が懐かしい。

面白かったのは、サル系のセクション。やっぱり人間に似てるからついついみちゃいます。ゴリラとか、チンパンジーとかいたんですが、オラウータンもいて。しばらく眺めてたんですね。子どもがブランコみたいので「わーい♪」みたいな感じで遊んでいて、その下では、お母さんオラウータンがものうげに草を食べていて。そしたら、別のオラウータンが、すごい勢いで、ざくざくざくと網のぼってきて、いきなりこっちを睨みつけたかと思うと次の瞬間。

ぶしゅーー!!!!!

おもいっきり、唾をはきかけられました!!!!

うひゃ~!

いっきにどよめきがおこり、人が周りからさーっといなくなり。

私、呆然。

ってか、他にもいっぱい人がいたのに、はっきり自分めがけてやられたー!って感じたので、ちょっと複雑な気分でした。特にからかったりした覚えはないのですが(ToT)でも、はじめての経験なので、面白かったかな?でも、オラウータン、やっぱりイライラしてたんだろうなーと思っちゃいました。

その後、呆然としたままトイレにいってツバだらけになったシャツとジーンズを拭きました。

★ ★ ★

今回は動物をスケッチしながら回る、ということをはじめてやったんで面白かった。てかね。動物ってホント動き回りすぎ!形をキャッチするの、大変です。写真を見て描くのとは全然違う。中には眠り込んでいて全然動かない動物もいたけど…。

動物ってパターンがあって、基本形となる形を覚えておくことにおいて、それをちょっとアレンジすれば、いろいろ描けるのかなーって思いました。例えば、基本が「馬」で、それをアレンジすると、キリン、シマウマ、様々な「シカ」系の動物もそれで全部いけます。そして、体つきをまるっこくずんぐりさせて、足を短くして、頭を細くすこしアレンジすると「豚」タイプ。これで豚とか猪系のいろんな動物がカバーでき、さらに、「猫」タイプで、ライオン、虎、山猫系がカバーできると。あと、ワニとトカゲは似てる、とかね。鳥もパターンを押さえれば大体似てますし。

そんな感じでまだまだド下手ですが、早描きの練習できたからよかったかな。皆がスケッチブックを覗いてくるので恥ずかしかった!普段私は似顔絵ばっかり描いていて、人間の、しかも「顔」しか描けないのですが、もっといろいろな絵がかけるように練習しようかな~って思いました!(うまく描けたらアップしますね!)

また動物園遊びにいきたいです。

あの頃憎んでいた<大人>に自分がなってた

自分で自分の限界を決めていたことに最近気づいた。

何もわからずただつっぱしっていた時期を過ぎ、
変な意味で、<大人>になって、
これくらいのことをやれば、これくらいはいくだろうな。とか
うーん。あそこには手が届かないな、とか
妙に予想ができるようになってしまい、
無理をせず、そこそこの結果を出すようになってしまった。

仕事にしても、
どのマーケットをターゲットにして
どういうコンセプトで、
どういうサービスを提供したら、
これくらいは稼げる、的な計算をするのが癖になってしまい、
本当にやりたいこととか、自分が好きなことで独立したい!的な話を聞くと、
「いいね。だけど…」って下手に現実的な予想をしてしまっている自分に気づいた。

それは私がかつて一番憎んだ態度だったのに。

あれは、7年前の東京で。

私はその時、当時つきあっていた元カノと一緒にアメリカに引っ越したいという計画をたてていた。その計画を、高校時代からの友達であつまったパーティでうちあけると、「そんなことできるわけないじゃん!」と呆れたように即答した子がいた。その子は、高校時代から学級委員で、部活でもキャプテンをするようなしっかりした子で、学校の教師をしてた。で、その子が、できるわけないじゃんwww!と即答したことで、私は一瞬めっちゃむかついた。確かにその時、ビザもなければ、仕事もどれだけあるのは謎な状況だった。だから、普通に考えたら不可能って思うのは無理もなかったかもしれない。でも、私はそういう決め付ける態度に対してすごく反感を覚えた。私はできるって思ってた。それは、別に自分が強いからとかじゃなくて、その頃の元カノのことをめっちゃ信じてたから。好きなだけじゃなくて、その子の能力とパッションと強さを尊敬してた。この子と二人なら、世界中のどこにいっても絶対やっていけるって信じこめてたんだ。別れたらどうしようとか、こっちきて、お金稼げなかったらどうしようとか、ちっとも心配してなくって、全く不安はなかった。世間知らずだったってだけなのかもしれない。でも自分は本当にそう思い込んでた。

それから、2年くらいたって、実際にアメリカに来ることができた。でもアメリカに来る前に、「絶対別れないはず」って思ってたはずの元カノとは別れてしまい、いろいろなことが予想とは違う方向に進んだ。

現実を学んだ私。

学ぶというのは、それはただ、知識が身についたという話じゃなくて、状況をイメージできる力のことだと思う。この先どうなるのか?こうやったらどうなりそうなのか?どうすれば、この問題は解決できるのか?どうすれば自分の手にいれたいものは手にはいるのか?というイメージ力。

そのイメージ力は役に立つ。
でも同時に、そのイメージ力が、自分の「できる」という範囲の限界を決めているんだと感じるようにもなった。

人にあった時、一瞬でその人をプロファイリングして、

「ああいう人達とは、仲良くなれない」
「こういうタイプの人とは共通点が多いから仲良くなれそう」

とか思うことも増えた。

それは単に自分が創り上げた思い込みにすぎないのに。

自分が心を開かない時に、相手から心を開いてくれないことを不平に感じることはフェアではない。

気づかないうちに、頑固で、偏見にまみれた、小賢しい大人になってしまっていた。

もっと自由でいたい。

パッと見で「そんなの無理だよ」って思うことは簡単。
でも、本当はそうじゃないことなんていっぱいある。

「できる」っていう信念をもって考えれば
一見不可能、って思えることでも、
工夫して、実現することは充分に可能。
そこには必ず道があるはず。
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