文章の効能

これは稀なことかもしれないが…私は自分が文章を書き始めた瞬間のことをはっきり覚えている。

小学生の時はずっと作文が嫌いだった。テストは得意だったが、作文だけは「答えがない」から苦手だった。真っ白な原稿用紙を目の前に、何を書けばいいのか分からず呆然としていた。本を読むのは好きだったが、文章を書くことはできなかった。

中学生になり、思春期になると、親に対する不満がつのった。いわゆる反抗期の到来。

ある日、内部から込上げる不満を白い紙にすべてぶちまけて、書いた。感情の赴くままにどんどん書いた。鉛筆でどんどん書いた。自動書記みたいな状態に陥っていた。

なぜ私は親に腹を立てているのか?彼らの言ってることのどこが間違ってると感じるのか?私は親にたいし、正面を切って反論することはできなかったが、その白い紙の中で、私は自分の言いたいことを百パーセント言うことができた。時間の成約もなく、相手から遮られることもない。何十枚にも渡る親への不満を書き上げた後、私はびっくりするくらい清々しい気持ちになっていることに気づいた。

私はその紙の束を机の引きだしの一番下にしばらくおいておいた。

それから私はノートを買った。
毎日日記を書いていた。
日記と言っても内容は今ブログに書いているようなことと変わりがない。日常の出来事もそうだが、むしろその出来事の分析やどう感じたのか。

そしてその夜みた夢についても書いていた。
私は毎日夢を観たし、起きてからもはっきりと夢を覚えていることが多かった。私はその夢を漫画形式で書いた。

(初めて女性と性的な行為に及ぶ夢をみたのも中学生の頃だった)
(その夢をみた時は、さすがに焦って、どういうことなんだろう?とおののいた覚えがある。←数年後に意味がわかった)


夢をみるというのは、大脳が、その日あった出来事を消化し、情報を整理してストックするために必要なプロセスだという話を聞いたことがある。

日記は、私にとって「夢」のようなもので、日記を書くというプロセスを通じて、私は生きづらかった日常を咀嚼し、現実を生き延びることが出来たのだと思う。
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