小説・映画・ブログ

昨日のヤツはあれで終了。
続きはない。

ふと目にはいった写真があまりに可愛かったんで、何かその子が出てくる短編小説を書きたいと思って10分くらいで書いた。
私は飽きっぽいので、一気に書かないと、二度と書けなくなる。
だから、長い小説は書けない。

フォトグラファーのクレジットなどは、全部写真の中に入っているので詳しくはそちらを見よ。

★ ★ ★

映画『TOKYO!』を観た。(公式サイト

TOKYO! [DVD]


ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス、ポン・ジュノの3人が監督した短編映画のオムニバス。

蒼井優のガーターベルト萌えすぎて死ぬとか、エンドクレジットの音楽がイケてるとか、そういうことはおいておいて。

ミシェル・ゴンドリーの演出を観て、彼は映画(というか映像)にしかできない表現を熟知してるなと改めて感心した。

エターナルサンシャイン DTSスペシャル・エディション


彼は、映画『エターナルサンシャイン』の監督としても知られるが、もともとBjorkとかのミュージックビデオで有名になった人で、CMとかもやっているし、まあ一言で言うならMTV世代のビジュアルクリエーターの1人って感じだ。

『エターナルサンシャイン』の、記憶除去プロセスにおける、夢とうつつを自由に行き来する表現を初めにみた瞬間、頭の中の普段触らない部分をくすぐられたような気分にならなかったか?

映像を使った表現において、映像を…うーん。なんというのかな???????映像を「物語を語るためだけの声」として使わず、彼は映像自身に注目をさせる。彼は映像でしか可能でない表現方法を多用する。

ヤン・シュワンクマイエルもそう。
私はそういうのがめちゃ好きなんだ。
映像でしかできない表現をしている映画が好き。

★ ★ ★

音楽でしか可能でない表現があり、
写真でしか可能でない表現
映像でしか可能でない表現がある。

では、文章でしか可能でない表現とは、何か?

かつて、村上龍が小説と映画を比較して次のようなことを書いていた。(村上龍は日本の作家だが、映画もいくつか監督している)

老人が椅子にぼーっと腰かけて、頭の中でさまよってるような5分間を、緊張感をもって描写することが小説では可能だが、映画では不可能だ。

みたいなことを。うろ覚えなんだけど…(もしも知ってる人がいたら教えてください)

もちろん、上のようなことを言ってしまうところが、村上龍が作家であるゆえんであり、映画監督としての限界を露にしているのかもしれない。

ミシェル・ゴンドリーなら「よぼよぼのじいさんが頭の中で天国を味わいながら、外見的にはよだれをたらして椅子に腰かけてる」っていう風景を、魅力的に演出することが、可能かもしれない。少なくとも、可能だと言い張るかもしれない。

★ ★ ★

村上龍は、表現フォーマットの違いによって生まれる、表現効果の限界みたいなことに多分興味があるんだろう。

句点を使わず全部読点で書くっていうのも、どっかの小説でやっていた。「。」が全部「、」になり、改行を少なくするだけで、びっくりするくらい落ち着きがないような、疾走感があるような、そしてなんとなく息苦しくなるような、そんな文体になっていた。

★ ★ ★

まあ文章といってもいろいろある。

小説 とか
詩 とか
脚本 そして

ブログ

ブログの特色

そのうちで重要な2つ

・リアルタイム性
・インタラクティブ性

ブログを書籍化した場合、
これら2つの特性が失われる。

それでもパラパラめくって、面白く読めちゃうブログ本の場合、そのブログは、始めから、ブログである必要性はなかったのだろう。
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