「異性愛者へ12の質問」論争で見えてきたもの

最近、「はてなハイク -- 異性愛者へ12の質問」の方が忙しく、ブログがおろそかになってしまい申しわけありませんでした。

今現在系で議論は進行してるので、興味ある人は読んでみて下さい。

はてなハイク上で最後まで議論がおいづらいという方は以下のアーカイブを参考になさってください。

「異性愛者へ12の質問」発言アーカイブ
http://www42.atwiki.jp/hetero12q/

 
量が大量ですので、読むだけで疲れるかもしれませんが、いろいろ問題が浮き彫りで面白いです。

(私自身、なるべく冷静に真摯に話を進めていたつもりなのですが、後半ちょっと感情的になってしまったりで(汗)疲れたので、今はスローダウンしています)

まだ、現在形でも進行しているのですが、私はこの12の質問を発端とした一連の騒動において、ものすごく多くの物を学びました。

それについてはまたまとめてエントリーしますが、今の段階で、頭にあることを、メモ的に残しておきます。

★ ★ ★

●自分自身へのあり方への批判
 ・クイア的な発想が乏しすぎた
 ・多様性をもっと想定して望むべきだった
 →一言で「異性愛者」とくくられることへの反発が非常に大きい

●譲れない部分
 ・差別は個人の偏見の話ではなく、社会構造の話である
 ・共感/寛容の姿をした抑圧が存在する
 ・アンチへテロセクシズムという点で同じでも、「弱者男性」がヘテロセクシズムのゲイに対する抑圧に対して恐ろしいほど無意識であるということはありえる。

 →(それは、ゲイであることで抑圧されている誰かが、例えば性的虐待のサバイバーや、トランスジェンダーに対しては抑圧構造に加担していることなどと同様。ゲイは、もしも、上のような指摘を受けたら、謙虚に受け止めなければいけない)

もう一度、言い方を変えると、異性愛者といっても様々であり、その中にはクイアなヘテロもいるだろう。ヘテロセクシズムによって異性愛者自身が感じる痛み/生きづらさが存在することを私は否定しない。

でもその痛みと、ゲイが異性愛中心主義によって感じる痛み/生きづらさは種類が異なる。

異性愛者は、その「種類が異なる」ことを尊重し、ゲイの立場からのヘテロセクシズムに対しての異議申し立てに対して耳を傾けるべきである。

ヘテロの側からのヘテロセクシズムへの抑圧についての指摘や、性虐待サバイバー問題などは非常に重要だが、それらを持ち出すことにより、「ゲイの立場からのヘテロセクシズムに対しての異議申し立て」を無視したり「それ自体が差別である」というのは的はずれ。

●本気でわからない部分

 ・この質問は「差別的」なのか?仮にそうであるその場合、どのように差別的なのか?
 ・また、どうすれば「差別的」にならずに、異性愛中心主義について語れるのか?
 
 →12の質問自体を使って、「暫定的」に社会の強制「異性愛」主義を可視化する試みは、どの程度実際に、ヘテロセクシズムの恩恵を享受できない異性愛者や、その他の様々な形での“弱者”に対して「抑圧的」「差別的」に働くのか?それが分からない。
 
私は、この質問自体を見れば、それは、その質問からこぼれ落ちた存在がいることはまぎれもない事実だが、<この質問によって得られる考え方> を適用すれば、バイセクシャル、非モテ、シングル差別、ヘテロの典型に当てはまらないヘテロの人々などにも応用できる、と思っている。異性愛/同性愛以外の線の引き方をしてみた場合にも応用できるということだ。

だから、この質問自体が異性愛/同性愛二項対立的であり、多くの要素を取りこぼしているからといって、この質問自体が差別的だとか、無効であるとは思わない。

使い方によって、差別的な使い方もできるし、差別的でない使い方もできるはず。
  
 ・やっぱり質問に「回答させる」というアプローチは的外れだったのではないか?
 →「回答する」こと自体が悪いとか、無意味だとは思わない。だが副作用が大きすぎるし、質問の意味が誤解されてしまう危険性が大きすぎる。一応今回のはてなハイク上でも、背景説明みたいなことは、されているが、結局伝わっていない気がする。

「わかっている人」が確信犯的に、自分のセクシャリティを見直す的に回答するのは全然いいのだが、軽い気持ちでサクサク回答して、「なーんか、意地悪い質問!同性愛者の人って、感じ悪いよネッ!」みたいな印象が広まってしまうことが一番怖い。

ただ、結果的には今回の騒動(?)はあってよかったかなとも思う。いっつも話が分かってる人同士で話すよりも、たまにこういう乱暴な形ででも、反響が広がることは無駄ではないかなと。自分の勉強にもなったし。ただまあ、またこれで無批判に繰り返されて、そのたびいちいち一からフォローと論争が始まるのはイヤだなあ。こういう質問とかバトンみたいのって、とっつきやすくで、広まりやすいから、ある意味何かを広めるには最高なんだよね。そのキャッチーさが両刃の剣。

●議論のし方について
 ・ハイクという場でやることの有意義性と限界
 →様々な種類の人のカジュアルな意見が聞ける。また意見だけではなく、つぶやき的なものや、自分語り的な発言からも、多くのものが見えてくる
 ・前提条件を整えることの大切さ
 →前提を共有できない場で、議論することは不毛になりうる

 ・ネット上の人間関係と議論のあり方
 →議論において「人間関係的」な要素が及ぼす影響。精神的にお互い辛くなることから逃げるため、潤滑油的なゆるいコミュニケーションを挟みながら議論をすることの意味。

 →“仲良し”になった相手との意見の不一致から目をそらしがちになってしまうことの問題点。私自身、くすっと笑ってしまったり、コイツ、会って飲んだら、いいヤツっぽいな、とか思うとついつい議論での対立点を追究したくなくなってしまう。ガチな議論は孤独なもの。それに対して、なれ合い的コミュニケーションは、楽しいし心地いいので、そちらに逃げたくなる。でも、本当に自分が問題視していることをつきつめるには、相手と意見が一致していないことから逃げてはいけない。
 
政治的にこうやった方が上手いやり方っぽいという気づき
 ・個人的な話から入る。個人の体験を大事にする
 →ある意味お涙ちょうだい的な感じもするので、自分は好きな戦略ではないが、結局そういうのが人は好きなのかも。

 ・構造的な話をする時には、それを明確に強調する。個人を責めているとか糾弾しているわけではないことを明確に伝える。個人に対しては優しくする。
 →話をパーソナルに受け取って反応する人が多いことに驚いた。英語で、「Don't take it personal」という言い回しがあるが、まさにそれを言いたくなった。(個人的にとらないで。あなた個人のあり方をどうこう言っているわけではないから、怒ったりしないでね、というような意味合い)だが個人的に受け止める人が多く、そういう反応が一般的だということを覚えておくことが、今後役に立つかも。

 ・当事者以外に語らせる
 →自分が自分の話をするより、自分の恋人とか、自分の家族とか、親友とか、そういう人が話す方が届くのかも。

 ・議論が煮詰まったら、一旦引く
→まず、ネット上にはいろいろな人がいる。彼らのバックグラウンドや議論のトピックに対しての知識の量は全然違うので、相手にすぐ伝わらなくても、それは仕方がないことだとわりきる。
 
 →物事を理解するには咀嚼する時間が必要。自分も相手に言われたことを頭を冷やして考えると、問題の在処がより深く見えてくる。時間を取らないと相手の言葉は理解できないし、相手にとってもそれは同じ。 

 →ネット上での他人の言葉が誰かの実存に本当に響くということは少ない。やはり、言葉の意味内容だけで、コミュニケーションすることは難しい、基盤となる相手との人間関係や信頼関係がないと、耳を傾けることは難しいのかもしれない。

だったら、その場だけで相手のあり方を変えようとか、考えに影響を与えよう、ということは諦めて、「自分の議論に対する姿勢自体が議論を見ている人たちに与える影響」や、「自分自身が議論から学べるものが何か?」ということを探る姿勢になった方がよい。

★ ★ ★

えーっと、他にも、いろいろあるとは思いますし、今後も意見が変わっていく可能性が大いにあります。が、まず今回はここまでが自分が気づいたことメモとしてエントリします。(一つ一つの論点については、今後改めて掘り下げたものをエントリします)

今回の議論は、はてなハイクの場だけでとどまるべきではなく、もっと広く議論されるべきだと思いましたので、こちらに書いています。上の論争を読まれた方で、ご意見ご感想がありましたら教えてください。

また、指摘や批判など、「ここがお前は差別的!」とか「ここは間違っている」とか、私に見えていない視点の指摘(おそらく一杯あると思います)や、私の姿勢に対する批判みたいのでも結構です。トラックバックなりコメントなりで(個人的にでも構わないので)、ご教授いただけると幸いです。謙虚に受け止め、今後の糧としたいと思います。
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どもこんにちわ。
重大なことが、一つぬけおちてます。
あの質問に対するコンフリクトはなにも「異性愛」側だけではなく、「同性愛」側にもあるのです。
セクシャル・マイノリティを排除した上にたてられた平板なモノ/ヘテロ世界だから、バイ・非愛も含めたセクマイ差別ともなるのですよ。問題は、その指摘が数人から出ていたのにもかかわらず、そのような性グラデーションを勝手に「同性愛」で短縮して弱者代理戦争のような構図でハナシを強引に進めようとしたことです。
ふうむ。確かにおっしゃる通りですね。そういう側面はありますね。正直、お恥ずかしいですが、そういう指摘を繰り返し受けて、
いかに、自分が同性愛者中心的な考え方をしていたか認識させられています。

ただ、

私は、この質問自体を見れば、それは、その質問からこぼれ落ちた存在がいることはまぎれもない事実だが、<この質問によって得られる考え方> を適用すれば、バイセクシャル、非モテ、シングル差別、ヘテロの典型に当てはまらないヘテロの人々などにも応用できる、と思っている。異性愛/同性愛以外の線の引き方をしてみた場合にも応用できるということだ。

と、考えているのですが、その点についてはどう思われますか?この質問を使うことによって、まずは異性愛者中心主義に気づき、その次の段階で、この質問の不備に気づき、更に多様な性があるということに気づいていくというような流れは十分可能ではないかとわたくしは考えているのですが…よろしければご意見お聞かせ下さい。
効用をいうのなら、問題は「異性愛/同性愛」ではなく、なんであれ個人にこうしたステレオタイプをはめて、個人プライバシーに介入することは、社会的に「セクシュアル・ハラスメント」であるということです。その際の個人のセクシュアル・アイデンティティは関係ありません。そうすることで、社会成員の全てが範疇に入るのです。で、現にジェンダー問題は、社会へのアジェンダを提言するにあたって、そうしてきたのです。>セクハラ一部法制化、企業によるダイバシティーへの取り組み
それを、今更古びた「異性/同性」という性自任・性嗜好アイデンティティで分断してしまうことは、余計な齟齬を呼ぶと同時に、男女・セクマイが差別される原因である「性による峻別」という社会差別構造の根本をスルーすることとなります。いやむしろその二項対立を強調しつづけることは、パフォーマティヴにその性別峻別社会に荷担・容認していることにも繋がるからです。
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異性愛者へ12の質問。
1.あなたの異性愛の原因はなんだと思いますか? 2.自分が異性愛なのだと初めて判断したのはいつですか?どのようにですか? 3.異性愛は、あなたの発達の一段階ではないですか? 4.異性愛なのは、同性を恐れているからではないですか? 5.一度も同性とセックス...
  • 2009/04/28 06:32
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だめ押しの一言
「異性愛者へ12の質問」発言アーカイブを読んだ。
  • 2009/04/28 15:54
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