相手によって語り口を変えること

仲いい友達のRachelが地元に戻ってきたので、いろいろ喋る。

彼女は、去年までフィールドオーガナイザーとしてカリフォルニアで働いていたが、今年から、首都ワシントンDCで、ある法案を通すために、ロビイング活動をしている。休日返上で頑張ってるバリバリのアクティビストだ。(去年はProp 8がらみで一緒にいろいろやったりもした。彼女も一番始めに知り合った2年前は恋人候補としてだったが、今ではかけがえのない親友である)

日本とアメリカの政治状況はかなり異なると思うので、議員たちの一挙一動に目を配り、団体の代弁者であるようなアメリカでのロビイング活動の話は珍しかった。そこらへんは、正直直接参考になる、というものではなかったが、フィールドオーガナイジングについては、日本でも使えそうな、非常に興味深い話が聞けた。

例えば面白いなと思った一つが、以下のゾーニングの手法。

彼らの活動の一歩は見知らぬ人の家のドアを叩いて、語りかけることなのであるが、その際、コンタクトしたターゲットを最終的には4つに分類して、その後の働きかけ方を変えているそうだ。

タイプ4は、完全に反対の考えを持っていて、どうしようもない人。こういう人には二度とコンタクトをしない。他人がこの層の意見を変えることは現実的には難しいので、関わることは、時間と労力の無駄。

タイプ3は、自分の意見をまだ決めていない人。意見を変える可能性がある人。←が、この層を見つけ出して、仲良くなり、リソースを集中させ、うまく説得することが大事。

タイプ2は、法案に賛成しているが、受け身な人。例えば署名が回ってくれば、サインはするが、活動には出かけない人。

タイプ1は、法案に賛成で、更に積極的に動く人。こういう人を見つけた場合、その人を教育し、周囲に影響力を持つようにさせ、その地域でのコミュニティリーダーに育てるようにする。例えば、初めはこの人一人しか活動に出てこないかもしれないが、最終的にこの人の周りには10人、20人の人が一緒にくっついてくる、というくらいにする。

(宗教の布教などにも使えそうですね。こういうマニュアルは宗教団体や、日本の政治団体なども使っているのでしょうか?少し気になりました)

ネット上だと、やはり不特定多数が読む可能性があるので、個別個別の相手へ分けた対応というのは難しい。だが、それでも、このゾーニングを意識して自分の語り口を変えていくのは大切かもしれない。

ちなみに、このブログでいうと、私は大抵タイプ2やタイプ1の人を想定して書いているが、一部タイプ4の人だったり、タイプ3も読んでいるだろうし、そういう人たちへの言葉もブログには混じっている。その揺らぎ(想定読者と、実際の読者がずれること)が、問題なのかもね。

タイプ1の人に対して有効な言葉が、タイプ3の人に対しては逆効果かもしれないし、その逆もまたあるかもしれない。常に一つの言葉で全ての人に語りかけるのは有効ではない。ということを、改めて、認識させられた。

で、私のブログには、ブラックジョークとか、レズビアンのステロタイプを逆手にとったような人によっては怒りだすだろうエントリなどなど、完全にコミュニティーにはいっている人向けのインサイダージョークが満載なのだけど…コミュニティーの外とか、マージナルな人にとっては「違和感…」なものがたくさんある。かもね。そういう、ポリティカリー・コレクトネスを目指すと、なんか失われてしまうものがたくさんある気がするのだが、このブログを背負ったまま、政治的に正しいことみたいのを言おうとすると、このブログの存在が足かせになるということもあるのかなあ…とか思ったり。

まあ、私自身は、批判を恐れるあまり、発言を自粛してしまうのではなく、ぽんぽん発言して、そういう批判なんかもガシガシ受けながら、それを自分の成長の糧にしていきたいと思っている。

また、その批判(とその総括)が、自分個人だけにじゃなくて。そして、批判から見えてきたことが、自分以外のコミュニティ活動全体が進むための肥やしになるような形で、形にできればなと。

まあ、アレだ。あまり感情的に攻撃的に追いつめるようになったり、自分は絶対正しい!自分は全部わかってる!的な態度に見られてしまうとと、(言ってる内容とは関係なく)反感を買うってことが見えてきたよね。

んーと、「日本はもう立ち直れないと思う」とかでもそうで。言ってる内容がその通りかどうかっていうより、「“正しいアタシ”みたいな態度がむかつく」、と言ってる人がいたが、渡辺さんが呼びかけているゾーンとは違うゾーンが「ムカつく」的な反応をしているという印象を受けた。でも、今の日本において、結局そういう人が大多数なわけだから。

そういうゾーンの人に話を聞いてもらいたいのならば、言い方とか書き方をやはり工夫しなければいけないんだろうな、と。

具体的には、【相手の実存を平気で傷つけるような言説は(正しい間違ってるに関係なく)、絶対相手に届かない】んだなってことがよくわかった。

そういう意味で、今、自分が語りかけている相手はどういう位置にいて、どういう考えなのか?どういう夢を持っているのか?をまずは知ることが、より伝わるコミュニケーションのためには大事なのだと思いました。

と、まあ、例のとおり、客観的ぶって書いてますが、批判を受けることはやはり精神的に非常にクルものです。それは皆そうだろう。「お前のこういう態度がよくない」とか「ここが暴力的である」と言われることは、それは非常にキツい。だが、それはキツくても自分が咀嚼しなくてはいけないことだと思っている。ある批判/指摘が生まれるということは、自分がどういう意図であろうと、もうそう思った人がいるということ自体を重く受け止めなきゃいけない。個人的に受け止めていると、鬱になりそうなので、もう「批判は当然あるもの」とわりきって受け止めて、そこから、どのような批判から何かを学べるか?というモードに切り替えようと思っております。

★ ★ ★

人は、孤独を感じた時に、もっとも、狂気に近づくと思うのです。でも、そんな時でも、周囲の人間との充実したコミュニケーションを取ることによって正気を取り戻すことができる、ということがよくわかりました。周囲にいてくれるゲイ友達や、カムアウト済みのお友達にはとても感謝しています。

ありがとう。
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  • 2009/05/02
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