Meet in the Middle 4 Equality @フレズノ レポ (1)

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MEET IN THE MIDDLE 4 EQUALITYという、PROP 8に反対する大規模な集会に出てきました。これは、サンフランシスコとロサンゼルスの丁度中間に位置する、フレズノという場所で行われました。フレズノを初めとする、セントラルバレーエリアは、カリフォルニアの中の中西部と呼ばれ、アメリカの本当に保守的なエリアと似たような地域性を持っている。白人が多く保守的で、ゲイに対して反対の考えを持った人が多い。Prop 8はフレズノで70%の得票を得ている。去年のNO ON 8キャンペーンは、大都市に重きを置きすぎ、地方を無視していたという批判があるのだが、今回はその反省をふまえ、また、アメリカの大多数を占める「中部」攻略を見据えてまずはフレズノで集会を開こうということになったようです。そのようすをお届けします。
7時半、ユニオンステーション前に集合。

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オーガナイザーたちが、水のボトルや、食べ物、日焼け止めなどをシェアしてくれる。結構物が豊富。一人で来た人たちが、声を掛け合い、友達を作って、カープールをアレンジしている。なんとなく、学生ノリだ。で、運転する人には、$20のガソリンカードが配布される。ふーん。こういうところにお金は使われてるんだなー。

その場で、友達になった子たちは、年齢も性別もばらばらだ。前日全然寝ないでパーティしてた子もいる。

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私はバスのチケットを持っていたが、楽しそうだったので、彼らと一緒に車をペイント。

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↑LOVE not H8っていうの、私が書いたよ~☆うまいべ!
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車をペイントしてたら、ドキュメンタリー映画の監督が取材してきた!

ブービーとか、ヒアの友達もいた。ブービーは、この前水曜日、EQCAにドネーションするパーティをしてたし、ヒアのオーガナイズスタッフの一人のシャーリーもProp 8の抗議活動に出てたし(NOH8の写真キャンペーンにも出てる)、トラックストップのダンサーも、NOH8のコマーシャルに出てるし、結構クラブ業界の人が参加してる。

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サブリナは歌手で、NOH8の歌を作った。

↑抗議活動の写真と組み合わせたスライドショーと歌。いいので見てくれ。

9時、出発。バスの前でいくつかスピーチを聞いたあと、ラティーノ・イクオリティのバスに乗り込む。ラティーノ・イクオリティはラテン系のLGBTのグループ。私と同じような飛び込み組数名を除いては皆ラティーノ・イクオリティのメンバーであり、既に知り合いのようだ。

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バスの中でレクチャーがはじまる。

紙幣に目立たないように「GAY MONEY」と書き込もう。大きすぎると、店に受け取ってもらえない可能性がある、だが小さすぎると気づいてもらえない。ゲイの落とすお金が、経済にインパクトを与えていることを示そう。フレズノのような小さな街では特に意味があるだろう。

・フレズノは保守的な街だ。同性婚反対論者たちが、反対の活動をしてくることが予想されるけど、決して怒ったり感情的にならず、彼らの言いたいことを言わせよう。平和的に問題を起こさないようにしよう。

・フレズノの人に話しかけよう。最低でも10人に話しかけよう。彼らの電話番号をゲットし、facebookやmyspaceでつながろう。これは、抗議行動ではなく、説得活動なのだ。そして、話すときは、個人的な体験を共有しよう。個人的な話をするのだ。

・うちらは、普通で楽しい人間だということを示そう。決して狂信的なリベラルで、モルモン教会に向かって叫んでるような人々ではないことを理解させよう。うちらも、彼らと同じような人であり、友達になれることを示そう。

私は、これで驚いた。えっ、知らない人に話かけるっていうのをやるのか~!私はMEET IN THE MIDDLE(軍事用語でもある)は単なる抗議活動だと思っていたのだが、どうやら、そこで私たちは、本当にフレズノのコンサバーティブな住民たちと“対決”しなければならないのだろうか?少し驚き、自分に出来るか不安になった。草の根活動で、YES on 8のサインを掲げている家を訪問して説得するというのをやっていることは知っていたが、私は英語だと普段以上にシャイになるし、うまく喋れないため、参加したことはなかったのだ。

この「個人的な体験のシェア」というのにも、一定のノウハウがあり、練習をしなければいけない。あんたの話なんて聞きたくないよ!っていうようなストレンジャーとでも、うまく個人的な話をする、というプログラムがあるらしい。それを受講した人が、メンバーの中にはかなりいた。

「今ここで、やってみよう。誰か体験をシェアしたい人はいないか?」


バスの中では、ドキュメンタリー映画を製作しているという人がカメラをまわしている。ブログでは饒舌でも、実際にはシャイで赤面症な私は絶対できない。が、バスの中のラティーノたちは次々と手をあげて、マイクを持った。

「僕の母親は、去年初めて投票した。何十年間もアメリカにいて、ようやく、アメリカ国籍が取れたんだ。僕は年老いた母親を投票所に連れて行って、一緒に投票した。投票が終わると、母は『で、私は誰に投票したことになるんだい?』と尋ねた。僕は、『ママ、ママは、民主党の党員で、民主党の候補者に入れたんだよ。白人じゃなくて、黒人だよ。バラク・オバマだよ』って教えてあげた。そうすると、彼女は『民主党?それってオカマを結婚させようとする党じゃないかい?』と顔をしかめた。彼女は、いつも僕がPROP 8の活動のために夜出かけたり事務所に行く時、僕がなんのために家をあけるのか、理解してなかったんだ。僕は彼女に言ってなかったから。でもその夜PROP 8が可決した日に、僕は母に言った。僕がいつも家をあけているのはPROP 8のためで僕はゲイなんだって。僕は、一票一票が意味を持つことを知り、人々を教育しなければいけないと思ったから。母親は悲しそうだった。でも僕は僕だ。僕が僕として生きられて、母親を悲しませないようになることを、僕は望んでいる。

僕は希望も持っている。僕の親戚の子供たちは、僕がゲイだって知ってるし、HIVポジティブだってことも知ってる。僕は何も隠してない。こういう若い世代がいることは、僕に希望をあたえてくれる」


「オレの母親は、メキシコからやって来た不法移民さ。母親が不法移民だってことを、5歳の時まで知らなかった。その頃、大きな移民のデモ行進みたいのが家の近くであって、母親は、逮捕されたら連れ戻されるといって家にこもって隠れていた。オレはその時初めて、母親が不法移民だって知った。でもよく意味がわからなかった。オレたちは、ここですんで、家族がいて、生活があるのに、どうやって勝手に人を送り返したりできる?そんなことできるわけないだろ?って意味がわからなかった。母親はオレに言った。『アメリカでは何でも夢が叶うのよ。だから、アメリカに来たの』と。

オレの両親には何十人も兄弟がいて、毎週のように結婚式やら、ベイビーシャワーやら、出産やら、お祭り騒ぎだった。その度に、ファミリーは集まって、遊んだもんさ。するとおままごとがはじまる。ーオレは一度だって奥さん役はやったことないよ!本当さ!ーママがいて、パパがいて、子供たちがいて、料理したり、おままごとするだろ?そうやって俺たちは家族っていうのはそういうものなんだって教わった。だからずっとオレは家族が欲しかった。家族を持つのが夢だった。奥さんがいて、子供がいっぱいいる。そういう家庭を築きたかった。オレは家族がすげーほしかったんだ。ラティーノだったら、家族がどんなに大事かわかるだろ?22歳の時には、女の子と婚約までした。だけど、気づいたんだ、このまま結婚したら、オレは一生幸せになれない。どうやらオレは男が好きらしいと気づいて、オレは絶望した。男とは家族なんて作れないって思ったからな。その時、母親の言ってたことが、嘘だと思った『アメリカでは何でも夢が叶う』って、嘘だろ?オレが欲しいものは家族だった。それは不可能な夢だった。『ママの言ってたことは嘘だ!』とオレは思ったね。

その後、オレはラティーノの地位向上とかいろんな政治活動に足を踏み入れた。かなりアクティブに政治活動をやってた。でもなぜかゲイのことは一度もやったことがなかったんだよな。なんでだろうな?で、去年の5月、最高裁が、同性婚できる、って判決を出した時、オレは感激した。生まれて初めて、人と同じに扱われてるって思った。オレは、思った。オレでも家族が持てる!って。ママの言ってたことは正しかった。アメリカでは夢が実現するんだ!ってね。

ところが、11月にPROP 8が可決して、その権利が奪われた時…オレは初めて、ゲイの活動をやろうって決めた。その時、オレは今まで何もしてこなかった自分を責めた。これは、誰かのせいじゃない。モルモン教が悪いンじゃない。これは、何もしてこなかった自分が悪いンだ。って。だからオレは決めたんだ。オレにできることはすべてやるってね」


「僕が母親にカムアウトした時…あのね、ぼくがいつも会いに行く、サンディエゴの彼は、友達じゃないんだって言った。すると彼女は、友達じゃないってどういうことなの?ドラッグディーラーなの?どういうこと?と取り乱した。だから、あのーつまりさ、つきあってるんだよね。そういうこと、というと。母親は沈黙して、…わかった。でもお父さんには言わないで。お父さんはショックを受けちゃうから。と言った。次の日、弟から電話がかかってきて、お母さんがお父さんに、お兄ちゃんのこと言ったらしいよ!っていうじゃないか!自分はお父さんに言わないで、とか言っておきながら(笑)でもって、父親は、僕が3歳の時から知ってたっていうんだ。で、彼らは、お前がゲイだろうが、何だろうが、お前がXX家の息子だよ。XX家の息子っていうことが、それがお前の一番の肩書きなんだと言ってくれた」


気づいたら、私は泣いていた。まじで。なぜ泣いているのか?わからない。でも、無意識のうちに、涙が流れていた。皆が、ゲイであること、ラティーノであること、HIVであること、家族のメンバーであること、愛する人がいること、そして、自分たちなりに、リベレーション活動に対して真剣に取り組み、その思いをシェアしていることが、単純なのに新鮮だった。

内容が正しいとか、よかったとか、そういうのとはちょっと違う。内容は、もしかして、ブログとかでみたら、ツッコミどころありまくりの議論だなwって苦笑しちゃうようなものだったかもしれない。おいおいwwこんなんじゃ、人を説得できないぜええ?とか言っちゃうかも。でも、そういうんじゃない、彼らが話してる姿を見たら、なんともいえない圧倒的な感情がわいて来たのです。

私は、生身のゲイやレズビアンの友達が結構一杯いるし、セクシャリティの悩みなんて大昔に解決。社会とのつきあい方も、自分なりに、工夫して乗り越えて、結構うまくやってるつもり。ゲイであることが楽しいし、別にゲイであることで抑圧など感じていない。 だが、なぜだろう「私は、ゲイで、よかった」って言葉に出すような経験は今までに一度もなかった。だから、それをしてる人を見たら、なぜか、涙がでたのだ。

で、私には、「個人的なストーリー」があるだろうか?…考えてみたが、意外と思いつかない。実際婚姻にしぼってしまうと、私はまだ切実な個人的な体験はないことを実感。周りで結婚した人も、まだいないし。結婚について考えているほど長くつきあってるカップルもまだ周りにいないし…。女女苑さんくらいかなあ…。だが、ゲイとして生きること、そしてout and proudに生きる、自分が自分として生きるということについての体験は、多分二つくらい候補が浮かんだ。

一つは、両親にカムアウトした時のこと。

あとは、アメリカに来て、初めてロングビーチプライドのパレードを見た時のことかな。

詳しくは今度書く。この二つが、今の自分にとってもっともキーとなる経験だったと思う。これらのストーリーは、2分から4分に、起承転結つきでまとめて、いつでも語れるように準備しておくといいらしい。今後私も草稿をアップします。

そんなこんなで、バスの中で感動しているうちに、フレズノに到着。集会の中心地まで、スペイン語でチャントしながら、移動。

えくおーろーびべー♪
らるーちゃしげー♪
えころびべびべ~♪
らるちゃしげしげ~♪ (←戦いは続く~とかそういう意味らしい)

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フレズノは、内陸部らしく、むっと蒸し暑い。日本の夏を思い出させる感じだ。熱中症になりそう。帽子と日焼け止めを持ってくるよううるさくいわれたのは、このためか。イベントのスタッフが無料でミネラルウォーターを配っている。からっとして、肌寒いほどだったロサンゼルスが嘘のようだ。

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フレズノ市のシティーホールに到着。
丁度、RALLYが開始する午後1時の直前だった。

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(つづき)

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  • 2009/06/02
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