12の質問に関するメモコピペ

過去に書いたハイクよりコピペ。議論の真っ最中から、同じことを何度も何度も何度も何度も書いてるんだよね。こういうのを読んだ上で、批判してきてるのかな?何度も同じことを書かなきゃいけないのは疲れるが、多分ハイクを見てない人もいたと思うのではりつけておきます。
・個人的な話すると、私自身は、別に異性愛社会に「傷ついた」りはしてないし、「恨みつらみ」も全然もっていないのね。日本で一番仲いい友達は皆ノンケだし。一番の親友はノンケの男だし。面倒くさっと思う時は、あるが、別に異性愛社会で生きることに対して、精神的な苦痛とかトラウマは感じてない。はっきりいって私は恵まれてるし、異性愛社会で生き延びるための順応に成功してきたタイプだからかも。←これも悲しいが…。だから、個人的に「世界に鬱々とした恨みをもっている同性愛者」みたいなステロタイプを当てはめられるのは、心外なんだな。まあ、今回のハイクの場でそう見えたのならしかたないのだが、全然そんなことはないのです。
  
・異性愛中心主義を指摘することは、異性愛者個人を責めたり、糾弾したりするものではない。ましてや異性愛者を「差別」とかではまったくない。。そう聞こえないように工夫したつもりだけど、もしそう聞こえちゃうとしたら、それはやり方が下手だった。だから反省。でも、本当に全然違う。
  
・同性愛者側の人間の中にも、異性愛主義は浸透しているし、12の質問は、同性愛者の中にある異性愛主義を「あぶりだす」ことも可能である(実際わたしに対してそう働いた)
 
・異性愛中心主義への異議申し立て(この12の質問)自体を不愉快に思ったり、それに対する違和感や、怒りを感じるのはもっともであるが、それを、「同性愛者側」や個人個人にぶつけてくるのは的外れである。←これをやられてる限り、「ああ…やっぱり本当に指摘したかったことは伝わってないじゃん」と思っちゃうんだよね。
  
・異性愛中心主義に(同性愛者とは違う形で傷つく)異性愛者や、性的マイノリティもいるだろう。が、だからといってこの質問が無効になるわけではない。また、それらの痛みが一緒なわけではない。
 
・セクシャリティを(もしくは性別を)強引に二つに分けることに問題があることには同意。よく理解している。
 
・だがそれ(↑)をもってこの質問の不備だと批判するのは的外れである。
 
・異性愛中心主義[壁]は、セクシャリティを問わず個人に対して抑圧的に働きうる。だから、それに対してセクシャリティが異なる個人個人たち[卵]が、共に異議を唱えることは可能なはずである。 ←ここが落としどころだと思うんだけど。

・だが、基本的な部分での理解がないまま、一挙に(耳障りのよい)落としどころにいってまうのは、簡単だけどなんか違うんだよねえ。
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