id:Siestaさんと私のすれ違いの理由

私は calibabyさんの社会構造認識とは細部において異なる認識を持っており、calibabyさんの考える社会構造はあまりにも静的すぎるという見解を抱いていて、とくにその見解はid:nodadaさんとの議論のなかで明らかにしてきた。実際には社会構造は静的な面と動的な面を同時にあわせもっている。つまり「資本主義社会においてはもっとダイナミックな力が作用しており、にも関わらず堅固な体制がなおも解体されずにいる」ということが問題なんだ。

その場合、作用している力を捉え損ねて静的なかたちで理解をしすぎると、解体すべきものがなぜ解体されないのかがそもそもわからなくなる。私はこの点をずっと議論してきた(前回の返答3を参照)けれど、calibabyさんは私の見解についてずっと勘違いしているせいか一度もその議論に乗ってくれていない。



ということなんで、考えて書いてみました。
id:Siestaさんの反論(3)をもう一度読んでみよう。

私の反論の要点(3)id:calibabyさんは「『ヘテロ』や『男』など世間に存在する様々なステロタイプに苦しめられているヘテロ男性が存在することは理解します」と述べ、異性愛主義における男性類型規定権力が個々の男性を抑圧していることを認めておられます。

そして同時に、「ですが、それは、この社会に存在する『女性差別』や『同性愛者差別』とは異なるのです」とも述べ、それを異性愛主義における女性類型規定権力や同性愛者類型規定権力とは別次元の問題であると主張なさっています。

この点において、id:calibabyさんの認識と私id:Siestaとの認識は根本的に食い違っています。私の認識はどのようなものかといえば、異性愛主義における男性類型規定権力および女性類型規定権力ならびに同性愛者類型規定権力は実は完全に同じ権力の別の側面である、というものです。

なぜならAを規定する権力はその対立項の非Aを同時に規定する権力でもあるからです。異性愛主義とその効果としての差別を脱構築するためにはこの認識を決して欠いてはならないはずです。
 
 この根拠は自明であるためここでくどくどと説明いたしません。しかしもしもcalibabyさんがこのことを理解できないとおっしゃるのであれば、私たちは決して互いに協力しあうことはできないでしょう。

http://h.hatena.ne.jp/Siesta/9234087593732363213



>男性類型規定権力および女性類型規定権力ならびに同性愛者類型規定権力は実は完全に同じ権力の別の側面である…

確かにそうですね。これはわかります。

で、先日コメントでもチラっと書いたが、ここでは二つの問題がある。この二つがごちゃごちゃになっているために分かりづらいのだと思う。

1)「類型化の権力」「規定されること」の抑圧  ←id:Siestaさんの主な問題意識

2)「類型化されたカテゴリ間の権力構造」 ←私の主な問題意識


id:Siestaさんは

 類型を規定する権力はカテゴリ間のパワーバランスにも部分的に関わっていると私は思います。



とおっしゃっており、確かに、確かに上の二つが関係しているってのは正しい。(1)の圧力がなくなれば、カテゴリ自体がなくなり、(2)もなくなるからね。

ですが、ここではやはり、まずはこの二つの問題は種類が違う、っていうことのを前提としたいんだよね。これは、性自認と、性指向を分けてかんがえようよ!セックスとジェンダーを分けてかんがようよ!みたいなのと似てて。やっぱり関連はしてるから、常に完璧に切りはなして考えられないかもしれないけど、とりあえず概念として分けなきゃいけない。これは同意いただけますか?

で、まず、id:Siestaさんがおっしゃっている(1)については、確かに理解します。確かに、類型規定権力(ステロタイプに個人を当てはめる権力、という程度の解釈でよろしいでしょうか)についてid:Siestaさんがおっしゃっている

>Aを規定する権力はその対立項の非Aを同時に規定する権力でもあるからです。

というのは確かに理解できる。ある個人を「ヘテロ類型」に押し込めるのも、ある個人を「レズ類型」に押し込めたり、レッテルをはるというのも、確かに同じ権力が違う分野に出ている、と解釈することはできるし、同じく、抑圧的だなと思った。そういう意味で、「ヘテロ男性の典型だよなあ~」発言は本当不要であり不当にあなたを傷つけるものだった。反省して謝りたい。

また、今回のきっかけとなった「異性愛者へ12の質問」が、「同性愛者=こういうもの」っていう「類型規定権力」からの自由を指向しているというのも、また事実。だが、それと同じような「類型規定権力」というのは異性愛者にも向けられているよね、っていうid:Siestaさんの指摘はすごく鋭くて、正しい。

そういう意味で、id:Siestaさんが(1)で訴えているような問題意識っていうのは、よく考えてみると、私は結構同意できちゃうんだな。

☆ ☆ ☆

じゃあ、なんでうちら、こんなに噛み合ないのか。

それは、やっぱり、私の主な問題意識が(2)「類型化されたカテゴリ間の権力構造」にあるから。

もう一度、id:Siestaさんの書いた文章を見てみよう。

私の反論の要点(3)id:calibabyさんは「『ヘテロ』や『男』など世間に存在する様々なステロタイプに苦しめられているヘテロ男性が存在することは理解します」と述べ、異性愛主義における男性類型規定権力が個々の男性を抑圧していることを認めておられます。


そして同時に、「ですが、それは、この社会に存在する『女性差別』や『同性愛者差別』とは異なるのです」とも述べ、それを異性愛主義における女性類型規定権力や同性愛者類型規定権力とは別次元の問題であると主張なさっています。


この点において、id:calibabyさんの認識と私id:Siestaとの認識は根本的に食い違っています。私の認識はどのようなものかといえば、異性愛主義における男性類型規定権力および女性類型規定権力ならびに同性愛者類型規定権力は実は完全に同じ権力の別の側面である、というものです。



ここで、よく見てほしいんだけど、私は

「『ヘテロ』や『男』など世間に存在する様々なステロタイプに苦しめられているヘテロ男性が存在することは理解します」

と書いた後に

「ですが、それは、この社会に存在する『女性差別』や『同性愛者差別』とは異なるのです」

と書いてる。

その次に、id:Siestaさんは

「異性愛主義における男性類型規定権力および女性類型規定権力ならびに同性愛者類型規定権力は実は完全に同じ権力の別の側面である」

と書いてる。

色を付けたので、よく見比べてほしい。

私が「差別」と書いた箇所が、id:Siestaさんの脳みそを通った後は「類型規定権力」に変換されてる。

実は、私はこの文章を読んで、初めて、「ああ~。id:Siestaさんにとっての一番の問題は、差別構造じゃなくて、類型規定権力なのね」って気づいた。←実はそれまで「なんで個人を規定」とか「引き受けてない名前で呼ばれることの痛み(これを指摘したのはid:nodadaさん)とか出てくるのかよくわかってなかった。私に言わせるとそれは“今そういう話してない”だし、逆に、なぜid:Siestaさんが、差別についていくら訴えてもほぼ無視で「議論に乗ってくれず」に、ボクがボクがって話ばっかりするのか全然わからなかった)

で。

ステロタイプによって苦しむ。っていうのはわかる。
でも、それは差別とは別の問題なの。


関連してないとは言わないぞ。
だが、とりあえず別の問題なんだよ。
わかります?
この記事よかったら読んでみてほしい:「「男性差別」されていると感じている人へ」

そんでもって、どっちも大事だと思うのだが、これをまぜて喋ってるから問題なんじゃないかと。

確かに類型規定権力っていうのは、すごーい、問題だし、上でも書いたように「異性愛者へ12の質問」が、「同性愛者=こういうもの」っていう「類型規定権力」に対してNO!と言ってるのは事実。

でもね、この質問を通じて、一番問題になってるのは「類型規定権力」だけじゃないの。もっと大きな(社会に現存しちゃってる)類型間の権力構造なんだよ。

もちろん、セクシャリティ問わず、自らがどのカテゴリにはいるのかわからない!とか、このカテゴリに入るはずだが、このカテゴリのステロタイプは自分にあてはまらない!とか…類型化で苦しんでる人がいるのは事実。

だが、異性愛主義の問題点は、同性愛者/異性愛者が「類型化されること」のみじゃないのよ。

それぞれ類型化されちゃったいわゆる「同性愛者の立場」と「異性愛者の立場」つーのがあるとして。(個人個人がここにはいるかどうかは別として、現代社会には悔しいことにまだまだこういうカテゴリがある…というのが現実だと思うんだけど、ここのところは同意してもらえる?)

その二つの「立場」には、自己承認の問題、他者からの精神的/肉体的暴力、法的不均衡、その他もろもろ「類型規定権力」なんつー言葉ではまとめきれない問題があるんだよ。それを一言でいうと差別であり、具体的な現れが、ヘイトクライムの数だったり、自殺率の高さだったり、性教育においてカリキュラムにはいってないことだったり、婚姻が認められない現状だったりするわけ。

そういう(2)の問題意識-要は差別-について話している時に、違う問題意識(1)についての異議申し立てががんがん入ってきたから、論点がずれまくって、全然話が噛み合ない状態になってるんだと思う。

整理して考えれば、もっと同意ポイントを探すことは可能じゃないかな。

☆ ☆ ☆

繰り返し言うと、類型規定権力自体を問題にしていくべき、っていうのはホント共感する。するんだけど、現実的には、「皆クイア」な社会にはまだなってないじゃん。

そんな中で、異性装すると、会社にいきづらい、とか同性とつきあってると、いろいろ大変なことがある、っていうある特定の「類型」にとってのみ不都合に作られてる社会、っていう現状がある。その現状を指摘したのがあの「12の質問」なんだよね。
関連記事
スポンサーサイト
にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 同性愛・ビアン(ノンアダルト)へ 👈応援クリックお願いしますm(__)m

comment

返答
 今忙しいのですが前のエントリのコメント欄にて返答を求められたので、性急にも言葉足らずなまま返答することをお許しください。
 
 coochinさんとの対話、それからこのエントリによって私にひとつのアポリアが見えてきました。それは次のようなものです。「類型規定権力そのものに抗うには個々人が独立した特異な存在であることを重視した立場に立たなければならない。しかし類型規定権力によって構造化された社会における各カテゴリ間の力の非対称性を是正するためには類型にもとづくアイデンティティ・ポリティクスを支持する立場に立たなければならない。」このアポリアをどう解決するかが今の私の課題です。この問題について即レスを求められても私はただ沈黙してしまいそうです。というのも、これはおそらく数日中に答えが出せる類の問題ではないので、ぼちぼち考えていこうと思っています。
 もちろん、セクシュアル・マイノリティ(のなかでもとりわけレズビアン)が現状において受けている暴力の深刻さを重視する限りにおいて、つまり緊急性の高さから判断する限りにおいて、セクシュアル・マイノリティ側がアイデンティティ・ポリティクスを実行することについて、私は一定の意義を認めます。ただ、それが根本的な解決になるかどうかという点については疑問を抱いています。
 
(ちなみに、類型規定権力は差別を生み出す諸原因のうち根本的なもののひとつだと私は考えています。「ステロタイプに苦しむことは差別とは別の問題である」と私はまったく考えません。
 もう一点。calibabyさんが言及した“承認”には少なくとも二つの次元のものがあります。実際この問題においてひとが求める承認については少なくとも次の二種類があるのではないかと私は思います。第一に、自らの実存全体が必ずしも類型にあてはまらないものであるということについての他者による承認。第二に、――自らの実存のありかたにも特定の類型にあてはまる部分が多々あることを認めたうえで、しかしその類型そのものが極端に誤解され差別されているとき――この類型は実際には誤解されている通りのありかたであるのではないということについての他者による承認。そして前者は類型規定型権力そのものにあらがう立場が求めるものであり、後者は類型間の権力関係の非対称性を是正しようとする立場が求めるものです。)

「類型規定権力そのものに抗うには個々人が独立した特異な存在であることを重視した立場に立たなければならない。しかし類型規定権力によって構造化された社会における各カテゴリ間の力の非対称性を是正するためには類型にもとづくアイデンティティ・ポリティクスを支持する立場に立たなければならない。」このアポリアをどう解決するかが今の私の課題です。


なるほど。id:Siestaさんが、アイデンティティ・ポリティクスに対しての問題意識を持っていることは理解できました。その問題意識自体は私も共有するものです。

 もちろん、セクシュアル・マイノリティ(のなかでもとりわけレズビアン)が現状において受けている暴力の深刻さを重視する限りにおいて、つまり緊急性の高さから判断する限りにおいて、セクシュアル・マイノリティ側がアイデンティティ・ポリティクスを実行することについて、私は一定の意義を認めます。ただ、それが根本的な解決になるかどうかという点については疑問を抱いています。

ここについても同じ認識です。

このように、私たちの間でも、認識が一致している部分はあると思いますし、id:Siestaさんもお忙しいようですので。今回の直接的な議論は一旦てうちにしませんか。もちろんこの問題については、今後お互いに考え続けると思いますが。

最後に、ひとつだけ強調しておきたいことは、今回のように、異性愛規範について申し立てをしようとしている時に、一連の試みを「アイデンティティ・ポリティクス的である」と批判したり、安易に「皆マイノリティ」という認識を持ち出して連帯しようとすることは(「皆マイノリティ」という主張自体は正しいのですが)、結果的に、類型間の権力構造の存在を指摘する行為自体を抑圧し、現存する差別を温存するおそれがある。ということです。

今回ハイクの場において「アイデンティティ・ポリティクス批判」的な論調が、「異性愛者規範を強化し、温存する」方向の力学として働いていたことは客観的にみて否定できないかと思います。

どうもでした。

id:Siestaさんが根気よくつきあっていただいたおかげで、ハイクの最中には見えてこなかったことが大分みえてきました。ありがとうございました。
 議論をいったん切り上げることについて賛成します。お互いに「どうしてわかってくれないんだ」という思いを限界まで抱えながら(しばしばお互いにはちきれつつ)議論していたように思いますから、いまこそ充電が必要でしょうし、そうしているうちにより適切なことばや新たな活路も浮かんでくることでしょう。
 calibabyさんからいただいた指摘についてはすべてこころに留め置きます。その一部は理解しており、また一部は理解できているとは言い難いもののじっくり理解につとめてみるつもりです。
 全体を通じてcalibabyさんにとっては望ましい議論とは決して言えないものだったでしょうけれども、私にとっては新たな発見もありました(なかでも最大のものは上記のアポリアと、それから私がもともと守っていた立場の抑圧性あるいは危険性に関するcalibabyさんからの指摘です)。貴重なお時間を割いてくださってほんとうにどうもありがとう。
 私たちはこれまであまりにもお互いを知らなさすぎたし、いまも知らなさすぎるし、きっとこれからも知らなさすぎるでしょう。それでも、いつかお互いの手紙が届く日を私は信じようと思います。今回あなたの聞こえなかった声についてもう一度思い返しては整理しなおし、これからのあなたの聞こえない声を何とかして聞こうとして、私たちのあいだにあるこのぶ厚く冷たい壁にこの私の不器用な耳を押し付けに、私は何度も帰ってきます。そのことを固く誓って、それではいつかまた。
comment form
公開設定

trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。