ゆんゆんさんへのお返事など

ゆんゆんさんシリーズ続き。彼女のエントリやこちらのブログにコメント頂いたものについて、まとめてお返事です。
で、今回も初めに言訳しておくけど、私はフェミニズムについて超無知なので、今回もそこはスルーしてるし、とんちんかんでも許してください。はじめっから家父長制うんぬんについてはわからないと宣言してる通り(でも、ゆんゆんさんの指摘とかフェミ的にすごい勉強になるし、オススメ本とかまじ感謝してます!もりもり読みますよおおお~)。あと、腐女子やBLについても全然わからないので、そこらへんもスルーです。すんません。

今回も、ゲイリブや差別についてしぼってコメントします。気になったコメントをひろって書いているので、ちょっとまとまりないですが許してください。

★ ★ ★

全く文化の違う二つの国を同じ尺度(キリスト教文化基準)で比較することの難しさを指摘したつもりだったんですが……。
コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


しかし「カムアウトした時の社会的制裁や、カムアウトにしている政治家の数、セクシャリティを理由にした差別を禁止するような法律/条例の数、また実際に仏教で同性婚を挙げる人の数」という風に普遍的な指標によってアメリカと日本の同性愛者の開放度をあたかも比較できるかのように書かれていると、それは本当なの?と問い返すのは当然の権利なのではないでしょうか。

http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/820970.html

そうですよね。「同性愛を理由とした解雇の件数」とか「ヘイトクライムの数」みたいな「アメリカにおいて性的少数者の差別の指標とされている数字」をもってしては、差別の実体について一概には比べられないということですよね。だからこそ、以下のような問い返しは意味をなさないわけです。


(カムアウトの)社会的制裁についてはいつも疑問なのですが、同性愛を理由に解雇されたとか、信用に足るだけのデータがありますか? あったら教えてください。
コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


上のゆんゆんさんのお尋ねに対して、私が、「解雇の件数」では決められないといったのはそういう意味です。

実は、グローバリゼーションに伴ってアメリカで作られた指標を日本に適用していいのか社会科学のあらゆる分野で批判されています。

http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/820970.html


私は社会科学のあらゆる分野については詳しくないですが、まあ普通に考えてそうでしょうなあ。

日本は

・セクシャリティを理由とした解雇の件数
・セクシャリティを理由としたヘイトクライムの件数

などは、少ないですが、でも、同時に

・カムアウトしている政治家
・差別禁止条例、差別禁止ガイドラインの数

なども少ない。

で、こうみると混乱するが、結局これは日本はセクシャリティに関連することは私的な事柄として公にしないことを是とするからだと思う。だからこそよくも悪くもセクシャリティがらみのことは表に出てきづらいんだと思います。

ということで、上に書いたようなヘイトクライムの数や政治家の数などの、数字それ自体は「現代日本が性的な事柄を公にすることをタブーとしている」ことを示すだけにすぎず、セクマイ差別がどちらがひどいか、とかそういう指標として無邪気に採用することはできないと思う。

(ただ、セクシャリティを公にしないという文化が、結果として、性的少数者の不可視化に貢献しているということは否定できないし、上のような基準も、性的少数者がどの程度オープンにして生きていけているのか?というのを示す一つの指標になりうるとは思う。)

私にしてみたら、

-会社にカムアウトして働いている社会人の数
-カムアウトにしている政治家の数
-セクシャリティを理由にした差別を禁止するような法律/条例の数
-(宗派を問わず)セレモニーを持って、親族や友人に祝福される同性カップルの数
-性教育における性的少数者の扱い方

などいろいろ考えられる基準の全てが「キリスト教文化基準」だとはあんまり思わないし。もっというと、例えば、同性愛を例に取れば、性的指向に基づく差別禁止法がない、とか同性とは婚姻できないという事実をもってして、差別の証拠としては十分だろと思うし、それを撤廃する必要があると感じますが。

でもこういうのもきっと全く文化の違う二つの国を同じ尺度(キリスト教文化基準)で比較している、と批判されてしまうのかな?(日本では養子縁組が実質的な同性婚として機能しているので、婚姻できなくても、実質的にシビル・ユニオン類似な制度はあるからいいだろとか?←で、その普通養子制度自体が、家制度の維持のために活用されてきたことは、皮肉なことですな)

ともかく、上で例として挙げたような指標が欧米的というならばすぎるならば、私には「文化的なバイアス」を逃れていない指標なんていうものは思いつかないし、そんなの存在しないのかもしれません。

だからこそ私は前回自分のコメントの最後で「生きやすさ」という個人の私の感覚を持ち出してしまったわけです。

★ ★ ★

私が東京とロサンゼルスに住んでみての「日本はアメリカよりホモフォビアが少なくて差別が少ない、生きやすい、なんてことは決してない」という感覚を述べたことは、アメリカの方が絶対的にすすんでいると言いたいがためではないです。

>アメリカが絶対的に同性愛者の解放が進んでいると言うことはそういうことです。

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


いやいや、そんなことは言ってない。


>つい最近までソドミー法があったような州に、同性愛者コミュニティのないところへ一人またはは数人で移住して、近所の人にカムアウトする勇気がイチカワさんにありますか? 

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


ないない(てかそゆことするのは「勇気」ではなく「愚かさ」だと思います)。

私もバイブルベルトと呼ばれる中西部の超保守的な都市を始め、アメリカのいろんな地域に行ったことがあるので、アメリカが一つの国というよりは、本当に様々な文化の集合体であることは理解してます。そういうところでの性的少数者は本当に生きづらいでしょう。

でも、アメリカの保守的な地域がロサンゼルスほどLGBT解放がすすんでいないからといって、日本はそこよりましだとかっていうのは全く別の話ですよね?

アメリカにはソドミー法が残っている地域があるし、ゲイに見えるだけでいきなり暴力を振るわれたりすることもまだある国です。そんなことは百も承知。

もっというなら、ロサンゼルスやニューヨークでも、ヘイトクライム的な暴力はまだまだあります。

私の友達のフェミニンなレズビアンカップル(アジア人Xヒスパニック)は去年、ロサンゼルス郊外のバレーエリアで手をつないで信号待ちしてたら、通りすがりの男に、つばを髪の毛に吐かれました。また別の友達は2004年(この子はヒスパニックのブッチで、当時はフィリピン系の彼女とつきあっていた)、ギャングの抗争みたいのに巻き込まれて、黒人の女性にレズ!と言われて顔を殴られました。この二つは私が直接聞いたので、ショックでしたが、ニュースになっているものでは、2008年の12月には、ニューヨークのブルックリンで、エクアドルからの兄弟が腕を組んで歩いていたところ(ラテン系の男性はよくやる)、ゲイだと思われて、殴り掛かられ、一人が死亡しました。←この事件はNY在住のHachiさんに教えてもらいました。

もちろん、これが全て同性愛者差別のみが理由となっているとは限らず、人種差別や、トランスジェンダー差別、女性差別など様々な要因が絡まって起きた事件でしょう。

でも、ロサンゼルスやニューヨークなど、アメリカの中の大都会でも、LGBT差別はまだ根強く残っているってことを指摘したかった。アメリカのゲイリブにだってまだまだ課題はたくさん残っている。全然ゴールに達してないし、完璧でも万能でもない。アメリカは社会的にも人種差別がすごいし、私なんて、英語が下手だしアメリカの文化にも慣れていないので、FOB(Fresh Off the Boat=新米移民)としても差別されています(泣)

でも、そういう差別だらけで格差社会社会だとしても、セクマイとしての私は「生きやすい」と感じてしまったわけですよ
。この感受性は否定できないと思うし、そういうゲイリブの成果としての開放感ってすごーいものがあるんです。

★ ★ ★

私は、生まれてこのかた、自分が抑圧されてるとか思ったことはなかったし、ゲイリブが必要だとも思っていなかった。幸せにぬくぬく日本で暮らしていたので。

でも、ニューヨークの書店、ディファレント・ライトに行って、無数のチラシを見たとき。

サンフランシスコのカストロストリートで道の真ん中に堂々とはためくレインボーフラッグを見た時。

ウェストハリウッドで、笑いながら犬を散歩させてるカップルを見たとき。

ロングビーチのプライドパレードで「私たちは14年間パートナーです」というサインを掲げて誇らしげに手をつないで歩く制服の警官たちを見たとき。

その時に胸の中にこみあげてきた気持ちは、今でも忘れられません。それは嬉しさなのか?開放感なのか?言葉ではいいあらわせない。圧倒的な『あなたはあなたでいい』肯定感のシャワーみたいなのを浴びたんです。

どんなに変態でもそれを隠したりしなくていい、っていうか。今まで普通に生きてきたつもりだったけど、本当は「ゲイである自分」を常に無意識に人から隠さなきゃいけないと思っていた。そういう自分に気づいた。でも本当は隠す必要とかないんじゃないか?隠したら、いろいろ聞かれたり、面倒くさいって思っていた。でもここではありのままの自分でいていい。っていう空気を感じた。

そういう空気は、日本では本当にたまにしか感じたことがなかった。レズビアン仲間といる時は感じたけど、街の空気として、みんながそういう風に生きているというのが凄く衝撃的だった。

アメリカでは「人は何色でも美しい」「人はどんなサイズでも美しい」「あなたはあなたのままで価値がある」みたいな強い主張が打ち出されることが多い。それは強い人種差別や、肥満差別やその他の差別が強く存在することの裏返しなんだけど、でも、そのポジティブなメッセージの力って言うのはやはり評価するべき。

そういう意味で「欧米のゲイリブをそのまま輸入しても、文化の違う日本では通用しない」という点には同意するとしても、「アメリカのゲイリブを紹介することによって、日本のセクマイ当事者がエンパワーされるという影響力はある」と思うし、それは十分に意味があることと思う。エンパワーなんて、大したことない、って思うかもしれない。でもそれは実はすごくすごくすごくすごく大事で、私にとってはアメリカのゲイカルチャーに触れ、昼間からレインボーフラッグがはためいているゲイタウン(といってもセクマイだけがいる排他的なコミュニティなわけではなく、ごくごく自然にオープンにノンケ社会と混じり合っている)に足を踏み入れことは本当に目からウロコがぼろぼろ落ちまくって、人生変わった、くらいの出来事だった。同じように感じる当事者は決して少なくないと思う。

だから、欧米のリベレーションを日本に紹介するっていうのにも、それが活動の参考にそのままならないとしても、それを目にする当事者にとって非常に大きな意味はある、と私は思うんだ。

★ ★ ★

もちろん、ゲイリブを批判するな!といってるのではないよ。それは初めから言っておいたはずだけど、フェミの視点からゲイリブを批判することは非常に大事だと思ってるし、他にもゲイリブは同性愛中心主義だとか、カップル至上主義だとか、いろいろあるでしょ。そういうのは批判していくべき。っていうのは同意。

私も「私もゲイリブにおけるゲイ男性中心主義な事態を目にした時、文句を言うとゲイリブ全体の推進力が下がるのではないかと恐れて、なかなか不満を口にできない」とは告白しましたが、今後、ゆんゆんさんを見習ってどんどん不満というか感じたことは言っていこうと思った。

まあブログで吠えるだけじゃなく、少なくとも自分が直接関わる現場では、そういう感性を大事にしながら動いていこうと思った。

★ ★ ★

次にヘテロセクシズムの話。

欧米はヘテロセクシズムが強い社会である。
子供時代をすぎると、あらゆる局面で男女カップルで行動することを要求される。

http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/824133.html


これは、ヘテロセクシズムというよりも「カップル単位社会」の問題でしょ。ちなみに最近ではプロムに同性パートナーを連れて行くことも結構あるよ。

日本には、確かに欧米のプロムやパーティ恋人同伴に代表されるようなカップル単位主義は薄いが、立派にヘテロセクシズムは存在する。

>日本は「隠れていれば差別しないといって同性愛者を抑圧する社会だ」と言われるが、欧米社会のヘテロセクシズムを考えると、パートナーの性別が問題になる機会が圧倒的に少ないことは想像に難くない。

http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/824133.html


カップル単位で行動する機会が少ないからといって、ヘテロセクシズムが「弱い」ということはない。問題を混同している。

>「オープンにする機会も少ないが、隠す機会も少ない」のである。

http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/824133.html


「セクシャリティをオープンにする機会が少ない=セクシャリティをオープンにしてもいいってことじゃないでしょ。

上でも書いた通り、セクシャリティをオープンにしないということは、セクシャルマイノリティの不可視化に貢献しているよ。

隠す機会も少ない?て書いてあるけど、日本のセクマイは常に隠しまくってると思いますが。

今の社会は黙ってたら勝手にヘテロだと思われる(これは立派なヘテロセクシズムだぞ)だから、何もアクションを起こさなければ、自然と「隠している」ことになっちゃうんだよ。自分の意識としては「隠してるつもりはない」としても、客観的にみたら「カムアウトしてないセクマイ」は自分のセクシャリティを、24時間隠してることになっちゃうわけだ。

「日本のセクマイが自分のセクシャリティを隠す機会が少ない」というのは、とんだ戯言で、彼らは無意識に四六時中「隠す」ことを余儀なくされている、それがデフォルト、ということを忘れないでほしい。

で、ここで強調しておきたいのは、「隠す」というのはなんか積極的に何かを隠蔽しているような悪いイメージだが、そういう後ろ暗いことを、セクマイがしていると言いたいわけじゃないってこと。黙ってたら自然とヘテロだと思われる社会で生きている=消極的にヘテロだと思われることを受け入れている=セクマイであることを隠している、ということにつながるってこと。

いちいち「私はヘテロじゃありません!」って叫びながら生きることはすっごく大変だし面倒くさい。カムアウトしてる活動家でもそんなことはできないっしょ。

セクマイが自分のセクシャリティを日常的に「隠している」というのは、カムアウトしない限り自動的に「ヘテロ」だと見なす社会の裏返しであり、後者に向けての批判をしないまま前者を責めるのは筋違い(※ゆんゆんさんがそれをしているわけではないけど、そういうことを言い出す人がいると思ったので、直近3段落はそういう人に向けての補足です。念のため)。

★ ★ ★

次に自衛隊とDADTの話。


>自衛隊では同性愛を理由に解雇されるのはありえないらしいですよ。したがって「同性愛者を受け入れる」という法律も作る必要はなさそうです。

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


こういう感覚はちょっと無邪気すぎる。

自衛隊のことはよく知らないので、もっと一般的な話をするけど、Don't Ask, Don't Tellのように明文化されたポリシーがないことが、社会が同性愛者を受け入れるように設計されていることにつながるではないでしょ。もしそう考えているとしたらおめでたい。

現実として、自衛隊を初めとする社会の構成要員一人一人が「同性愛者の存在」に対して寛容だと思うの?むしろ、何も言わなくても「同性愛者は存在しないもの」みたいな前提のもとに社会が動いているとは思わない?

今の日本にはDon't Ask, Don't Tellが明文化されているポリシーとしては存在ないけど(だからそれへのカウンターとしての「同性愛者を受け入れるという法律」は作る必要は確かにない)、むしろ、Don't Ask, Don't Tellが不文律のようにあまねく広がっているように感じるよ。

で、仮にTell(カムアウト)した時も、イランなどのように死刑になるわけじゃないだろ!?と言う人もいるかもしれんが、死刑がないからと言って制裁がないわけではない。日本において、現に社会的制裁を恐れてカムアウトできない多くの人々の存在がその制裁の存在の大きさを無言で裏付けている(これについては「在日の人はなんで、堂々と本名で生活しないんだ!」とパラレルに考えているよ)。

別に死刑になるわけじゃないけどだからといって差別がないというわけではないということ。死刑になる国もあるんだ!ということを持ち出して「だから日本はマシだ」とかいうのはオカしい。

★ ★ ★

あと、近代以前は日本はホモセクシャリティに寛容だったとか、ソドミー法などの強いホモフォビアは欧米からアジアに輸入されたものだという話。これは話としては「なるほどね」なんだけど…。

>ちなみに、日本の男性に限って言えば近代以前はバイセクシュアルが多数派でした(女性については資料を鋭意捜索中です)。

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


現在の欧米よりはるかに同性愛者の差別が少なかった前近代日本でも、制度上の同性愛者差別はありましたし、日本独自のホモフォビアの形ついてはこれからも追求していきたいです。
コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html

と書かれてるけど、「同性愛者」「バイセクシャル」みたいなアイデンティティが存在しなかった前近代の「同性愛者差別」をもって現代の差別問題を論じるのはオカしくないですか。うちらは、今、別に江戸の文化研究をしてるわけじゃなくて、今ここにある問題をどうにかしようとしてるわけだからさあ。歴史的な事実として、日本において、かつて同性とのセックスが今よりタブー視されていなかったとしても、現代においては、おかげさまで決してそうじゃないでしょ。現代日本において性的少数者は大きなスティグマを付与されているし、差別されてる。そういう話をしてる時に、そもそも日本は寛容だったとか、ホモフォビアはそんなに強くないはずといわれても、「ふむふむなるほど…で?」となってしまうんだけど。

で、現在日本でセクマイが差別されている証拠は?って言われると、このエントリの一番始めに戻って堂々巡りになっちゃうんだけどね(疲)

現実的に、同性とパートナーシップを組むライフスタイルは選びづらいような社会になっちゃってるし、トランスも、性同一性障害のルートに則ってカウンセリング→SRS→戸籍変更みたいな感じで普通に男女の枠内に収まるようなトランスだったらかなり市民権を得てきてるけど、どっちでもないようなジェンダー表現のままで行くとかってやっぱりやりづらいでしょ。オカマ!とかホモ!っていう言葉が効果的なイジメのツールとして、まだまだ通用しちゃうでしょ。

てか、「私たちはこんなに差別されてます!」って声高に叫ばなきゃいけないこと自体がホントげんなりだし「自分たちが抑圧/差別されてる」なんてことは、かっこわるいし、言いたいわけないのだが、黙ってたら日本におけるLGBT差別(とそれに対抗するリベレーションの必要性)が過小評価されてしまうと痛感した。

ゆんゆんさんは注意深く「別に、日本には同性愛差別がないと言いたいのではない」とおっしゃられていますが、一連の発言を読ませて頂き、ゆんゆんさんがやはり問題を過小評価しているという印象は拭えませんでしたので長々書かせて頂きました。

私は、ゲイリブや差別への認識を巡ってはいろいろ言いたいことがありましたが、基本的にはゆんゆんさんのフェミニストとしての立場からの発言には納得している。


でも、究極的には女性差別がなくならない限り同性愛差別もなくならないと個人的には思っていますし、超長期的にはゲイリブとフェミニズムの利害は融合するのではないかと思っている

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html



というのに同意しますし、以下のような指摘に対しても、頷くばかりです。


同性愛婚だの養子縁組の合法化だのが実現しても、レズビアンカップルにとってどれほどのメリットがあるのかどうか考えると、すごく難しいものがあると思います。というのも、現代ではまだまだ女性は男性を通してしか金や権力にアクセスできないからです。
だから、結婚や養子縁組が合法化されても生活していくために男と結婚する(子供も生む)というレズビアンが後を絶たないかもしれない。結局、レズビアン カップルが自活して生きていける世の中ってシングルマザーが男の手を借りなくても十分に生きていける社会というのとイコールだと思うんです。

コメント欄 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html


深く頷くより他ないという感じです。同性婚万歳といってはしゃいでいてはダメですね(恥)。私はまだまだひよっこで未熟なアクティビストですが、自分にとってはフェミニズムも、ゲイリブも切実な問題であり、一生つきあっていくものなので、フェミニストであるゆんゆんさんとはまた将来どこかで会うというか、連帯することがあると思っています。

読んで頂きありがとうございました。
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comment

長くなりましたが……
またまた丁寧なお返事をありがとうございます。

イチカワさんのアメリカの方が生きやすいという実感を私は否定しませんし、できません。
同じく、私が同性愛差別を過小評価しているという言葉にも反論できません。
ただし、イチカワさんご自身の感覚だけでは他人を動かすのは困難です。
日本よりアメリカの生活が楽しいのはイチカワさんが若くて元気で、プライオリティが恋愛にあるからだと言う人がいるかもしれませんし、特に同じセクマイの立場の人からアメリカより日本の方が生きにくいと言われたら、それだけでイチカワさんの皮膚感覚は大幅に説得力を失ってしまうわけです。
そこで、ある程度誰にとっても納得できる指標をもって説得する必要があります。
また、差別が発生するメカニズム(制度、制度が運用されている実態など)を抑えておくことが重要です。
その上で、
>日本はセクシャリティに関連することは私的な事柄として公にしないことを是とするからだと思う。だからこそよくも悪くもセクシャリティがらみのことは表に出てきづらいんだと思います。
という指摘は重要です。
実は、日本の家族や家は成立に際して必ずしも性愛を必要としていません。
そこが、欧米社会との大きな違いであり、セクシュアリティ(同性愛者だけではなく、異性愛者やトランスジェンダーも含む)が私の領域の問題に止まっている原因ですし、私的なものである限り干渉されない原因でもあると思います。
>ただ、セクシャリティを公にしないという文化が、結果として、性的少数者の不可視化に貢献しているということは否定できないし、
現代社会では確かにそういう方向に作用していますが、性の問題が同じく私的な問題として扱われていた(というと少々大雑把ですが)前近代の日本ではなぜ同性愛者差別が少なかったのだろう?というのが私のような人間には不思議でなりません。
強いて言えば、現代の日本人がヘテロノーマティブな、画一的なライフコースを強いられているのが原因かもしれません(そしてそれ以外のライフコースを送る人間を疎外する)。
また、友人と「生きているうちは無理だろう」と言いつつ家族のNPO化について何度も話すのですが、自分のセックスについて国家や社会に干渉されたくないという気持ちがあります。セックスのパートナーが生活のパートナーを一致させることの自由も認めつつ、そうしない自由も認めてほしいというものですね。
ただ、これはちょっとラディカルすぎるので実現性に乏しいですね。
もう少し現実的な話をすれば、個人的にはヘテロカップルの特権をなくす方向で同性愛者の便益を計る法律改正がなされてもいいと思っていますし、同性愛婚が憲法違反だという訴訟があったら寸志のカンパもやぶさかでないです。
というよりゲイリブではどうしてそういう話は盛り上がらないのでしょう?
弁護士の先生方は憲法訴訟が大好きですし、パレードよりはよっぽどマスコミも注目すると思うのですが。
私のような現世利益を重視する人間には、「セクマイの尊厳を」という抽象的なお題目より、そっちのほうがずっと気になります。

>上のような基準も、性的少数者がどの程度オープンにして生きていけているのか?というのを示す一つの指標になりうるとは思う。
なり得ますが、あまりに偏った指標は議論で足を引っ張ることになりますから、もう少しゆっくり考えてもいいと思います。

>-会社にカムアウトして働いている社会人の数
-カムアウトにしている政治家の数
-セクシャリティを理由にした差別を禁止するような法律/条例の数
-(宗派を問わず)セレモニーを持って、親族や友人に祝福される同性カップルの数
-性教育における性的少数者の扱い方
などいろいろ考えられる基準の全てが「キリスト教文化基準」だとはあんまり思わないし。
私にしてみれば、政教分離が進んでいないアメリカでは、皆宗教と深いかかわりを持っていると思います。
特に性教育については、ブッシュ政権下で最後のキリスト教会が推進する禁欲的性教育を受け入れる公立高校には補助金が下りており、完全にアメリカの性教育と教育は利権がらみで深く結びついています。
日本人の感覚では見逃し勝ちかもしれませんが、欧米では「キリストなんとか」党となのる政党が堂々と与党として活動している国も珍しくなく、キリスト教の影響力は無視できないものがあります。だから日本人の感覚からしてみれば一瞬宗教と関係ない指標も、実は宗教的バイアスが大いにかかっていないかどうかを吟味する必要があります。

>これは、ヘテロセクシズムというよりも「カップル単位社会」の問題でしょ。ちなみに最近ではプロムに同性パートナーを連れて行くことも結構あるよ。
だからそのカップル単位社会という制度そのものが、異性のセックスパートナーシップをあらゆる場面で社会的な単位にすべきというヘテロセクシズムの産物な訳です。
純粋な「カップル単位社会」の問題なら、ゲイレストランは最初から必要ではないのでは?
それにプロムに同性パートナーを連れて行くといっても、全ての学校がそんなにリベラルだとは思えません。

>セクマイが自分のセクシャリティを日常的に「隠している」というのは、カムアウトしない限り自動的に「ヘテロ」だと見なす社会の裏返しであり、後者に向けての批判をしないまま前者を責めるのは筋違い
この辺が自分の感覚とちょっと違うんですよね。日本では「ヘテロ」かどうかを問われているのではなく、結婚して、子供作ってという特定のライフコースを歩む人かどうかを問われていると言うか。同性愛差別がないというわけではなく、そういう価値観の強制のとばっちりを一番ひどく受けているのが、規範的なライフコースから外れがちな同性愛者なんです。だから、弾圧の的が「同性間のセックス」そのものが罪であるとする西欧社会とはズレているというか。

>現実として、自衛隊を初めとする社会の構成要員一人一人が「同性愛者の存在」に対して寛容だと思うの?むしろ、何も言わなくても「同性愛者は存在しないもの」みたいな前提のもとに社会が動いているとは思わない?
個人的には、セクシュアリティやセックスライフや、既婚か否かといったプライベートな問題について、職場の介入を受けること自体に大きな抵抗を感じます。
もちろん、ゲイの場合は職場の同僚との猥談などで疎外感を感じると言うこともあると思いますが(それも女性差別とあいまって深刻な問題ですが)、ヘイトクライムの対象としてリンチされるアメリカの軍隊よりは明らかにマシです。

>前近代の「同性愛者差別」をもって現代の差別問題を論じるのはオカしくないですか。うちらは、今、別に江戸の文化研究をしてるわけじゃなくて、今ここにある問題をどうにかしようとしてるわけだからさあ。
きましたね、歴史研究不要論。
まあ、アメリカのゲイリブばかり見ていたらそういう考えになってしまうのも分かりますが。
思わず歴史の話は初めてか? 力抜けよと言ってしまいたくなります。
江戸の話だって、うちらの曾おじいちゃんおじいちゃん世代にとっては、その曾おじいちゃんおじいちゃん世代の話になるわけで、知っている人の話なのです。
そもそも、法律のような制度そのものが歴史的存在です。
民法だけとっても、戦前からある法律がまだまだ存在するわけで。
家族形態や戸籍など、江戸時代からそれほど変わっていないものは沢山あります。
江戸時代の話は江戸文化研究者だけがすればよいと言った時点で(江戸を明治に置き換えてもいいですが)、イチカワさんは法律改正議論に必要な法社会学上の知識の勉強をかなりの部分放棄しています。
本気で法律改正に結実するような政治運動をしようと思ったら、法律の条文だけではなく、その法律が実際にどのような社会でどのように運用されてきたかということを知るのは必要不可欠です。
いい例が、カトリック教会の抵抗に阻まれて、多くの自治体で実質的に効力を発揮できないスペインの同性愛婚の合法化でしょう。
それに、歴史を学ぶと他にもいいことが沢山あります。
一つは、現代社会を相対化できることです。
過去の社会で今で言えばセクマイに分類される人たちが問題視されていなかったということは、現代のセクマイを「変態」と問題視する価値観が普遍的なものでなく、いかに恣意的かということを個人の体験談とは比較にならないほどの説得力で語ってくれます。
それがエンパワーでなくて何なのでしょう。
少なくとも、違う国のいつメディアから消えるかどうか分からないセレブを「ゲイかも」「レズかも」と言って持てはやすよりは、小学生でも知っている「東海道中膝栗毛」のやじさんきたさんは駆け落ちした男色カップルです、と本当のことを教えた方が日本社会に及ぼす影響は大きいと思われるのですが。
「歴史」のおかげでセクマイが差別されるようになった、というのはその通りでしょう。
だからと言って、どのようにして差別されるようになったかを全く勉強する必要がないと言うのは愚かです。
そのような知識がない人に、アメリカのゲイリブ文化を相対化できるとはとても思えません。
まあ、一度に勉強するのは大変ですから、フェミニズム本読書に疲れたら↓でもご覧になってください。
http://mudainodqnment.blog35.fc2.com/blog-entry-494.html
差別的な意見もありますが、結構いろんな角度からの感想があります。

何度も言いますが、同性愛差別撤廃には法律や制度の改正だけでは不十分です。
いわゆる「普通の人」の意識を変えることが必要です。
歴史考証のしなおしによって、バイセクシュアルやホモセクシュアルの歴史上の人物が大河に登場し、中高の歴史教科書にも伝記が載ったら、それは立派なセクマイの可視化です。
子供たちの認識を改めるきっかけになるかもしれません。
政治活動や市民運動が苦手な人にも、そういうところからリーチできたらいいですね。
  • 2009/07/08
  • ゆんゆん
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  • Edit
>ただし、イチカワさんご自身の感覚だけでは他人を動かすのは困難です。

そうですね。私個人の感覚をもってして同性愛解放の尺度としたり、それをもって他人を動かすことが馬鹿げていることは理解していますよー。ただ「日本の方がヘイトクライムがないだけまし」みたいな言説に対抗するために言ったまでです。

>強いて言えば、現代の日本人がヘテロノーマティブな、画一的なライフコースを強いられているのが原因かもしれません(そしてそれ以外のライフコースを送る人間を疎外する)。

そうですね。

>もう少し現実的な話をすれば、個人的にはヘテロカップルの特権をなくす方向で同性愛者の便益を計る法律改正がなされてもいいと思っていますし、同性愛婚が憲法違反だという訴訟があったら寸志のカンパもやぶさかでないです。

なるほど。面白いですね。

>というよりゲイリブではどうしてそういう話は盛り上がらないのでしょう?

ふむ。確かにそうですね。私個人的には興味ありますよ~。将来、日本帰ったら裁判でも起こしてみます。ていうか憲法24条って、フェミ的には「ベアテ・シロタよくやった!」なのですがゲイリブ的にみると「ヘテロセクシズムが憲法に書き込まれとる…orz」なんですよね。まあ文言解釈によって必ずしも同性婚を排除したものではないと解釈することも可能ですが…。日本は法体系が混じり合ってますから、裁判!裁判!という英米法的な発想というより、まずは政治家を動かして制定法をなんとかしようという大陸法的な発想が強いのかもしれませんね。

>私にしてみれば、政教分離が進んでいないアメリカでは、皆宗教と深いかかわりを持っていると思います。

-カムアウトにしている政治家の数
-セクシャリティを理由にした差別を禁止するような法律/条例の数
-(宗派を問わず)セレモニーを持って、親族や友人に祝福される同性カップルの数
-性教育における性的少数者の扱い方

これらの指標についてですが。本当にそうでしょうか?

特に性教育については、ブッシュ政権下で最後のキリスト教会が推進する禁欲的性教育を受け入れる公立高校には補助金が下りており、完全にアメリカの性教育と教育は利権がらみで深く結びついています。

利権で結びついている、というところはそうだと思いますが、それがなぜ「性教育における性的少数者の扱い方」が、社会における性的少数者の地位やオープン度を示す指標としてバイアスを帯びていることになるのですか?すみません。ここよくわかりませんでした。

>だから日本人の感覚からしてみれば一瞬宗教と関係ない指標も、実は宗教的バイアスが大いにかかっていないかどうかを吟味する必要があります。

うーん。そりゃそうだとは思います。でも、私が例としてあげた指標が具体的にはどういう宗教的バイアスがかかっている可能性があるのか、例示してもらわないと、イメージしづらい。

キリスト教圏で発達した思想をそのまま日本に持ち込めないというのは同意ですが、ものによっては、十分日本社会にも適用できるものはあると思っていて。それは個別吟味が必要だと思うんですが。ていうか、丁寧な見直しなしに、こういう指標は全て宗教的バイアスがかかっている可能背があるし、個人の感覚もダメだというなら、セクマイ差別の国際比較とかが一切成り立たなくなってしまいます。

>だからそのカップル単位社会という制度そのものが、異性のセックスパートナーシップをあらゆる場面で社会的な単位にすべきというヘテロセクシズムの産物な訳です。

カップル単位がヘテロセクシズムの産物だということは理解してます。

ただ、欧米がカップル単位であることを理由として「欧米は日本よりヘテロセクシズムが強い」ということは言えないといってるのです。ゆんゆんさんは、欧米が日本よりヘテロセクシズムの強い社会だといい、その証拠として「カップル単位」を挙げていますが、それは理由になるの?ということ。確かに、日本はカップルで行動することを求められる機会が欧米より少ないし、性的なことはことさらに聞かれる機会もすくない。でも、それは「ヘテロセクシズムが弱い」ことを示すものではないと思います。

>日本では「ヘテロ」かどうかを問われているのではなく、結婚して、子供作ってという特定のライフコースを歩む人かどうかを問われていると言うか。

>だから、弾圧の的が「同性間のセックス」そのものが罪であるとする西欧社会とはズレているというか。

ゆんゆんさんのここの問題意識については把握、そして納得もする。

>同性愛差別がないというわけではなく、そういう価値観の強制のとばっちりを一番ひどく受けているのが、規範的なライフコースから外れがちな同性愛者なんです。

はい。確かにセクマイに対する差別の「一端」がそこにあるとは思います。でもそういう「ヘテロノーマティブな特定のライフコースから外れている」ことに対する抑圧(これはセクシャリティ限らず)を越えた、セクマイ固有の差別が、やはりあるとは思います。

>個人的には、セクシュアリティやセックスライフや、既婚か否かといったプライベートな問題について、職場の介入を受けること自体に大きな抵抗を感じます。

だから「ほっといてくれてる日本」は「ヘイトクライムのあるアメリカ」よりマシだということですよね。ですがね~。両国で社会人した経験から言うと、日本の方がよっぽどプライベートな問題について首を突っ込んできますよ。既婚か、未婚か、とかボーイフレンドがいるのかとか職場で尋ねることに、アメリカ人は非常に敏感で聞いてきません。日本の方が無遠慮に聞いてきます。あと「私的な領域はほっておく日本」といっても、そこをほっておいてるから、セクシャリティという私的な領域とされた部分を理由とする差別がなかなか可視化されないわけで、そこを「プライベートに介入しない社会はいい」とすることには違和感を覚えます。確かにプライベートに介入しないのはいいのえすが、実際は、日本社会はプライベートをめちゃくちゃ尊重してくれているわけではなく、勝手にヘテロなプライベートを持っているのだろう、と想定し、それを前提として話をすすめるわけです。そういう、黙ってたら無意識にヘテロだと想定され、何も言わなければ「同性愛者は存在しないもの」みたいな前提のもとに社会が動いていることが問題だと私は言っているの。

ゆんゆんさんと私とでは、ここらへんが一番認識が異なる感じですね。

>きましたね、歴史研究不要論。

歴史研究が不要だとは言っていないし、そう思ってもないです(てか私がアメリカのゲイリブに興味を持ち出したのは最近で、パレードや映画祭などについては日本の方が長くみてますし、事前ボランティアなども含め日本のゲイリブや、コミュニティの方が親しみはあります)。

ただ、前近代の日本が多様な性行動に寛容だった!とか言い出す人って、「結局日本人はそもそもホモに寛容だった=日本にはホモフォビアはない=西洋の厳しいホモフォビアの対抗としてのゲイリブは不要」みたいなロジックで、でゲイリブの存在価値を否定する論拠として日本人の「寛容さ」を使うことが多いような気がするので。だから、ゲイリブについて話をする時に(ゲイリブ批判の文脈で)江戸時代が…という話が出てくる場合は、私は「今、別に江戸の文化研究をしてるわけじゃなくて、今ここにある問題をどうにかしようとしてる」と言うのです。

うーんと、フェミニズムで例えるなら「卑弥呼は女性だ」とか、「原始、女性は太陽であった」ということを勉強することは大事だけど、「だから日本はそもそも女性優位の社会だったのである→だからフェミいらね」みたいな流れになったら、イヤでしょ?

ただ、歴史研究などは非常に異議があると思っていますし、

>過去の社会で今で言えばセクマイに分類される人たちが問題視されていなかったということは、現代のセクマイを「変態」と問題視する価値観が普遍的なものでなく、いかに恣意的かということを個人の体験談とは比較にならないほどの説得力で語ってくれます。
それがエンパワーでなくて何なのでしょう。

とゆんゆんさんおっしゃっている通り、しがない個人の体験談なんかより、「江戸時代の日本人は皆銭湯の二階でセックスしまくってたんだお!」「やじさんきたさんはホモだったんだお!」という方がよっぽどインパクトがあるということは理解しています。

>歴史考証のしなおしによって、バイセクシュアルやホモセクシュアルの歴史上の人物が大河に登場し、中高の歴史教科書にも伝記が載ったら、それは立派なセクマイの可視化です。

ということも言えるでしょう。ただ、それが「史実物」であるというオリエンタルな視点の延長上での「ゲイ描写」に終わるのであれば、現代を戦っているゲイリブにとっては効果は薄い。

私は歴史的に性的少数者がどのように生き、どのように社会から扱われてきたかを知りたいですし、それを知ることの意義も認めますが、「歴史的にこうだった」というだけでは「今」の状況を変えることはできないと思うし、歴史を、現代にどう生かすかという視座なしで語ることはリブにとって無意味だと思います。

>同性愛差別撤廃には法律や制度の改正だけでは不十分です。
いわゆる「普通の人」の意識を変えることが必要です。

究極的にはそうですね。おっしゃる通りです。

ただ、「内面に干渉するな」「ゲイが嫌いで何が悪い」という人も多く、その意見ももっともですから、まずは、法律や制度の改正を訴えることが賢いやりかたかと思っています。制度と個人の意識、両方取り組んでいくことが大事ですが。内面の感じ方は強制できませんが、社会的取り扱いは、法律である程度強制できるので。そういう客観的なところから攻めていくしかないのかな、と思っています。

ゆんゆんさんとのやりとりは、全てが全て噛合い同意できるものではないにしろ、多くのことを学べるので非常に感謝しております。

ありがとうございます。
最後に
>日本に帰っても「ゆうはアメリカ行ってたからアメリカ第一主義だと思ってるし日本の状況がわかってない」とか言われちゃうんだろうか…。日本とアメリカだったら、日本のことのほうがよっぽどわかってると思うんだけどな。社会システムにしろ、国民性にしろ…。
ああすいません、これまでの遣り取りからアメリカに心酔してらっしゃる方かと思ってたので。
それに、アメリカより日本のことに詳しいからと言って、日本についての絶対的な知識量が足りているとは限りませんよ。私にも言えますが。

>日本は法体系が混じり合ってますから、裁判!裁判!という英米法的な発想というより、まずは政治家を動かして制定法をなんとかしようという大陸法的な発想が強いのかもしれませんね。
どんな市民運動にも言えますが、裁判は国と一市民が対等の立場で戦える数少ない機会です。 それを自ら放棄してどうしますか。「差別する社会が悪い」「差別をなくそう」という正論を振りかざして泣きごとを言うだけでは、ゲイリブ関係者以外誰もついてきません。裁判に至らなくても、それに備えて議論を尽くしておくのとそうでないのとでは、天と地ほどの差があると思います。

>「性教育における性的少数者の扱い方」が、社会における性的少数者の地位やオープン度を示す指標としてバイアスを帯びていることになる
「誰」が何を言っているのかという背景を吟味せずして、指標にするのは危険だと言っているだけです。
だいたいイチカワさんが評価している種類の性教育がアメリカにどの程度普及しているのかも分かりませんしね。

>丁寧な見直しなしに、こういう指標は全て宗教的バイアスがかかっている可能背があるし、個人の感覚もダメだというなら、セクマイ差別の国際比較とかが一切成り立たなくなってしまいます。
だから最初から、丁寧に見直すべきだと言っているつもりなのですが。
そもそもアメリカの指標をいきなり持ちだして「アメリカは日本より同性愛者が生きやすい」と乱暴な議論をしたのはイチカワさんだったと思いますが?
「日本の方を良く知っている」と仰るなら、日本に即した指標を考えてそれをアメリカに適用できるかどうか吟味することくらいご自分でされたらどうですか。

>欧米がカップル単位であることを理由として「欧米は日本よりヘテロセクシズムが強い」ということは言えない
カップルを形成しないと社会に居場所がないというのは、同性愛者ばかりか、アセクシュアル(私はあまりこの単語は好きではないのですが)の排除につながるし、やはり立派なヘテロセクシズムだと思います。欧米だって、シングルの男女は自動的にカップル予備軍と制度上分類されそうですし。

>そういう、黙ってたら無意識にヘテロだと想定され、何も言わなければ「同性愛者は存在しないもの」みたいな前提のもとに社会が動いていることが問題だと私は言っているの。
確かにおっしゃる通りですが、カミングアウトとパレードだけが解決策とは思えません。私が欲しいのは、レインボーフラッグで埋め尽くされた社会ではなく、「ホモ乙」とか「ホモキモい」とか言われて、「それがどうした」と言い返せる社会、そもそも人のアイデンティティが性的指向によって支配されることがない社会です。
そういう社会実現のために、日本のゲイリブの人たちがカミングアウトとパレード以外に何をして、それがどれほど役立ったというのでしょう。

>今ここにある問題をどうにかしようとしてる」と言うのです。
「今ここにある問題」だけで分からないことが多いから私たちは歴史を学ぶのです。
それに、同性愛差別がない社会のイメージは難しいものです。歴史を学ぶことで、いろいろな社会があると思考実験をすることは無駄ではないと思いますよ。

>うーんと、フェミニズムで例えるなら「卑弥呼は女性だ」とか、「原始、女性は太陽であった」ということを勉強することは大事だけど、「だから日本はそもそも女性優位の社会だったのである→だからフェミいらね」みたいな流れになったら、イヤでしょ?

あのですねえ、歴史研究やフェミニズムはそこまで層は薄くないですよ?
そもそも日本の歴史で母権制が存在したことなど一度もないですが、フェミニズムもちゃんと女性差別の歴史研究に寄与してるし、評価されてますし、歴史研究からフェミニズムへのフィードバックもちゃんとありますよ。イラネと言われてるのは、一部の一面しか見ないで「昔は今より女性が差別されていた」とか「欧米に比べて日本の女性はいつも差別されている」と歴史を既存の理論にあてはめて判で押したような結論しか出せない仕事の杜撰なフェミニストです。
それに比べて日本のゲイリブは何をしたんだかお伺いしたいですね。歌川さんみたいにがんばって調べる人もいますが、現状ではどうせ「衆道禁止令」が何度も発令された話を聞いて、どうせ自分でろくに調べもせずに、脊髄反射的に欧米=先進国、アジア・アフリカ=後進国のテンプレをあてはめて、「同性愛を禁止する法律を何度も発令した」日本はずっと同性愛差別のひどい社会だったと言って物笑いになる人がほとんどというレベルでしょう。そういう人たちがイラネと言われているのです。
大同小異のロジックで腐女子をも攻撃してきたから私はゲイリブが嫌いになったのですが。

>「史実物」であるというオリエンタルな視点の延長上での「ゲイ描写」に終わるのであれば、現代を戦っているゲイリブにとっては効果は薄い。
甘えないでください。ただのオリエンタリズムと捉えるか、現代社会はそういった歴史の上に成り立っていると捉え、そこから何かを学ぼうとするかはゲイ自身の問題でもあります。まあ、何も学ぼうとせずに損をするのも自由ですが、私はそういう連中の後押しをしたいとも思わないし、啓蒙されたいとはもっと思いません。
インドの人たちが過去を単なるオリエンタリズムとと捉えていたのならば、「ソドミー法はインドの伝統」という言いがかりにとても対抗はできなかったと思いますよ。
そもそもイチカワさんががんばって紹介しているアメリカのゲイリブだって、日本のほとんどの同性愛者にとってアメリカという別世界のことという、オリエンタリズムの対象になっているかもしれませんよ?

>ゆんゆんさんとのやりとりは、全てが全て噛合い同意できるものではないにしろ、多くのことを学べるので非常に感謝しております。
こちらこそ、市井の一フェミニストのはしくれ兼腐女子のはしくれの稚拙なコメントに丁寧に対応していただき、大変感謝しております。私自身は諸事情により議論を打ち切りたいと思いますが、どうかこれからも小山エミさんやマサキチトセさんのような頼もしい仲間と一緒にがんばって下さい。「ゲイリブを否定する人は無条件で信用できない」と言われない限り、ゲイリブの矛盾を承知しつつも、あえてそこに留まる方への一定の敬意は忘れないつもりです。
  • 2009/07/08
  • ゆんゆん
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最後に…ということですが、こちらからはレスしちゃいます。

>ああすいません、これまでの遣り取りからアメリカに心酔してらっしゃる方かと思ってたので。

アメリカが差別だらけであり、いろんな意味で問題が多い国であることはこれまでのコメントでも指摘しています。セクシャルマイノリティとしての側面に限れば日本にいた時より生きやすいとは言いましたが、アメリカに「心酔」なんてしてません。というか、ブッシュ政権時代の様々な対外政策はじめ、アメリカ人の愛国心が強い人でもうんざりしたいた人が多いと思いますよ。私がセクマイの立場から「生きやすい」と発言したことひとつをもってして、アメリカの愚行全てを支持しているとは思わないでくださいな。

>それに、アメリカより日本のことに詳しいからと言って、日本についての絶対的な知識量が足りているとは限りませんよ。私にも言えますが。

それはそうですね。知識は足りないです。

>どんな市民運動にも言えますが、裁判は国と一市民が対等の立場で戦える数少ない機会です。それを自ら放棄してどうしますか。

いつ誰が裁判を放棄したの!?「私個人的には興味ありますよ~。将来、日本帰ったら裁判でも起こしてみます」と書いてるでしょ!?

>裁判に至らなくても、それに備えて議論を尽くしておくのとそうでないのとでは、天と地ほどの差があると思います。

そりゃその通りですよ。裁判が重要な活動のツールであることは理解してますよ。

ただ、日本の法体系がコモン・ローとは違うので、アクティビズムにおける裁判の位置づけも、英米と比べ違うというのは単に事実の指摘でしょ。

>そもそもアメリカの指標をいきなり持ちだして「アメリカは日本より同性愛者が生きやすい」と乱暴な議論をしたのはイチカワさんだったと思いますが?

いやいやいや。アメリカの指標なんて持ち出してない。

>「日本の方を良く知っている」と仰るなら、日本に即した指標を考えてそれをアメリカに適用できるかどうか吟味することくらいご自分でされたらどうですか。

私があげたいくつの指標といのは、アメリカで使われてる指標をそのまま適用したわけではなく、「日本において機能しうる指標なのでは?」として私は考えていて、その例としてあげたのですが。例えば宗派を挙げず「セレモニーとしての結婚式」の数をあげたのは、宗教的意味合いの違いを考慮したからですし。それらの指標を「宗教的バイアスがかかっている」と指摘するのはゆんゆんさんですから、具体的にどう使えないのかを反証する責任はゆんゆんさんにあると思いますよ。

>欧米がカップル単位であることを理由として「欧米は日本よりヘテロセクシズムが強い」ということは言えない
>カップルを形成しないと社会に居場所がないというのは、同性愛者ばかりか、アセクシュアル(私はあまりこの単語は好きではないのですが)の排除につながるし、やはり立派なヘテロセクシズムだと思います。

カップルを形成しないと社会に居場所がないのは、たった今(↑)でご自分で書かれている通り、セクシャリティを問わず(ヘテロ、同性愛者、Aセクシャルその他)抑圧的になりえます。だから、これはヘテロセクシズムの問題ではなく、カップル単位主義の問題です。

逆に、ヘテロセクシズムがない社会であっても(例えば同性愛者のコミューンなど?)そこで、カップル単位主義が堂々とまかり通るのであれば、それは、それで問題です。ゲイ専用の学校や、ゲイ専用のレストランがあるとして、そこが「カップルでしか使えない」とか「恋人同伴でなければバカにされる」などという社会なのだとしたら、それは批判されるべきですよね。

ゲイリブの中でも「同性婚」というトピックについてはヘテロセクシズムと、カップル単位主義が両方絡んでくるのでややこしいですが、この二つは(絡み合っているにしろ)とりあえずは別の問題であることを一端明確に認識して話をするべきだと思います。

>>そういう、黙ってたら無意識にヘテロだと想定され、何も言わなければ「同性愛者は存在しないもの」みたいな前提のもとに社会が動いていることが問題だと私は言っているの。

>私が欲しいのは、レインボーフラッグで埋め尽くされた社会ではなく、「ホモ乙」とか「ホモキモい」とか言われて、「それがどうした」と言い返せる社会、そもそも人のアイデンティティが性的指向によって支配されることがない社会です。

私もレインボーフラッグで埋め尽くされた社会なんていらないですよ。

っていうかさー「ホモ乙」とか「ホモキモイ」と言われて、「それがどうした」と言い返せるように「言われた側」が変わらなきゃいけないんですか?「ホモ乙」とか「ホモキモイ」という発話自体が、悪口とかイジメのツールとして有効じゃなくなるような社会を目指すべきなのでは???

「人のアイデンティティが性的指向によって支配されることがない社会」の実現という目標自体は理解しますし、共感もします。が、前提として、ゆんゆんさんは日本のセクシャルマイノリティのおかれた現状への認識が激しく薄いので、そういう人が「人のアイデンティティが性的指向によって支配されることがない社会」を唱えるとき、結局その社会ってヘテロセクシズムを隠れた形で内在したままになる危険性があると思う。

>>今ここにある問題をどうにかしようとしてる」と言うのです。

>「今ここにある問題」だけで分からないことが多いから私たちは歴史を学ぶのです。
それに、同性愛差別がない社会のイメージは難しいものです。歴史を学ぶことで、いろいろな社会があると思考実験をすることは無駄ではないと思いますよ。

歴史を学ぶことが無駄だとは一度も言っていませんし、その重要性は理解します。

>>うーんと、フェミニズムで例えるなら「卑弥呼は女性だ」とか、「原始、女性は太陽であった」ということを勉強することは大事だけど、「だから日本はそもそも女性優位の社会だったのである→だからフェミいらね」みたいな流れになったら、イヤでしょ?

>あのですねえ、歴史研究やフェミニズムはそこまで層は薄くないですよ?

あーんもう、これはメタファーですよ~。やだなあ。「江戸時代、日本はバイに寛容だった→日本にホモフォビアはない→ゲイリブいらね」みたいな変な議論の例として出したんですよ。そういうロジックが「浅い」ってことは理解してますよ。

>>「史実物」であるというオリエンタルな視点の延長上での「ゲイ描写」に終わるのであれば、現代を戦っているゲイリブにとっては効果は薄い。

>甘えないでください。ただのオリエンタリズムと捉えるか、現代社会はそういった歴史の上に成り立っていると捉え、そこから何かを学ぼうとするかはゲイ自身の問題でもあります。

>そもそもイチカワさんががんばって紹介しているアメリカのゲイリブだって、日本のほとんどの同性愛者にとってアメリカという別世界のことという、オリエンタリズムの対象になっているかもしれませんよ?

そうならないようにしなければと思います。
「遠い国のおとぎ話」で終わらせないようにね。

私がしたいのは「大河ドラマに性的マイノリティの描写が出て来るようになった」からといって、それが現代にいい影響を与えるとは必ずしも言えないという当たり前のところの指摘です(もちろんそういう機会をポジティブに捉える努力は当事者として必要なのはあたりまえですが、当事者以外に対して『オリエンタルなもの』として観られて終わりになるという危険性は普通にあると思いませんか?)。

ゲイリブにおいて歴史研究が非常に有効であることは認めますが、正直研究者でもない多くの市井のアクティビストが、前近代の日本やら、中東における同性愛者の弾圧の現実まで、全てを押さえた上で行動するのは不可能です。

ゆんゆんさんは、以下のように述べ、歌川さん以外の、歴史に無知なゲイリブを嘲笑されます。

>それに比べて日本のゲイリブは何をしたんだかお伺いしたいですね。

>日本のゲイリブの人たちがカミングアウトとパレード以外に何をして、それがどれほど役立ったというのでしょう。

が、パレードにしろ、周囲への地道なカムアウトにしろ、それらは研究するほどのリソースを持たない多くの当時者が、必死で編み出してきた生きのびるための必死の知恵であり、それ自体が十分に有効な草の根ゲイリブであるだと思います。私は個人的には、日本におけるゲイリブで一番重要なことは、信頼できる相手へのカムアウトだと思っていますが、それですら、できている当事者は少ないのが現実。「カムアウト以外に何をしたの?」と簡単に言うけど、肉親や友人、ましてや職場やメディアでカムアウトすることが現代日本でそんなに簡単だと思っているんですか?

はっきりいって、セクシャリティの歴史だの、同性愛者が扱われてきた歴史だの、イランの実体だのなんだの、調べるのは大変ですし、そんなことできるリソースがある人ばかりじゃないですよ。でも目の前の問題をどうにかするために不器用ながらアクションを起こしているわけです。そういう草の根活動的なものを「何もしてない」「何も役立ってない」的に評価するのは非常に失礼。改めて強調すると、歴史研究の重要性は私は認めています。ただ、カムアウトするだけでも今の日本においては、非常にゲイリブ的意義が大きいと思うし、それを「カムアウトしただけじゃん」みたいな評価するのは、やはりセクシャルマイノリティのおかれている現状を理解していないとしか思えないです。

>こちらこそ、市井の一フェミニストのはしくれ兼腐女子のはしくれの稚拙なコメントに丁寧に対応していただき、大変感謝しております。

いえいえ、どういたしまして。

>私自身は諸事情により議論を打ち切りたいと思いますが、どうかこれからも小山エミさんやマサキチトセさんのような頼もしい仲間と一緒にがんばって下さい。

仲間でもなんでもありません。そういうレッテルはりはやめてください。ゆんゆんさんは自分のブログでも「Ry0TAさんの仲間」とか書かれており、「仲間」認定をするのがすきなようですが、そうやって議論を党派的に把握しすぎると、議論の本質を見失いかねないと思いますよ。

>「ゲイリブを否定する人は無条件で信用できない」と言われない限り、ゲイリブの矛盾を承知しつつも、あえてそこに留まる方への一定の敬意は忘れないつもりです。

私はゲイリブに興味がないと言い切るフェミニストは信用できません。(ゆんゆんさんがそうだと言ってるわけではなく、一般的に)もちろんフェミニストといっても、個々のメインの問題意識はそれぞれあると思うので、常にクイア関連の活動でアクティブである必要はないし、おかれている環境によってはクイアについての知識がないこともあるでしょう。それは当然しかたない。ですが、もしも気持ちの問題として「ゲイリブに興味がない」「クイアとは関わらない」と言い切ってしまえるフェミニストがいるのであれば、それは信用できない。それこそ、一番始めに戻ってしまいますが、ゲイリブはゲイ男性だけのものではなく、女性のためのものでもあるからです。そして、フェミニズムもまた、異性愛女性のためのものだけではないからです。

もちろんフェミニズムに興味がないことを言い切るゲイリブも信用できません。ゲイリブ内部には、女性やゲイ以外の少数者に対して公然と抑圧的な人もいるようですが、そういうむきに対しては私は彼らの功績を十分に尊敬しつつも、批判していこうと思っています。

>ゲイリブの矛盾を承知しつつも、あえてそこに留まる方への一定の敬意は忘れないつもりです。

えっ、ゲイリブの矛盾って!?(男性中心的であるということ?)うーんどうやら私はゲイリブの矛盾を承知していないようです(苦笑)ですが、ゲイリブが矛盾していようとなんだろうと、私にとってゲイリブは「あえてそこに留まる」などというものではなく自分が自分であるために必要なムーブメントなので今後もそこに留まるでしょう。

議論はもうされないということですが、これまでお相手してくださり、ありがとうございます。また何かあったらいつでもコメント下さい。いつでも読む用意はできています~!私も未熟者ですが、いろいろご教授いただけて本当に感謝しています。
すみません
最後に、と言いましたが余りに突っ込みどころが多かったのでちょっと突っ込ませてください。

>ブッシュ政権時代の様々な対外政策含め、アメリカ人の愛国心が強い人でもうんざりしたいた人が多いと思いますよ。
そんなの知ってます。ただ、イチカワさんのブログ含めた今のゲイリブメディアの情報が、欧米=善、先進国、その他=悪、後進国というバイアスを助長する形で偏ってるのが問題だと言いたいのです。
http://blog.livedoor.jp/karpfen32/archives/832377.html

>ただ、日本の法体系がコモン・ローとは違うので、アクティビズムにおける裁判の位置づけも、英米と比べ違うというのは単に事実の指摘でしょ。
はあ……。イチカワさんがどれほど欧米の市井の同性愛者のブロガーをご存知かなのか知りませんが、
英米とのアクティビズムと日本のアクティビズムが違うと言うのは日本のアクティビストの話題が私のような一般人にとって、
「で、実際にそれが日本の同性愛者の開放とどう結びつくの?」と感じさせる一定のトピックに偏りすぎている言い訳にはならないと思います。
欧米のどこかの国で同性婚が合法化された、ハリウッドセレブの誰々がゲイだった、小児性愛者はゲイリブ運動に入れていいのか……。
なんかということを鸚鵡返しのように唱えるよりは、よっぽど関心を惹きつけるテーマだと思いますよ。
原爆訴訟やハンセン病患者の例を見れば、裁判は日本社会でもかなりポピュラーな手段ですよ。
もし万が一裁判起こしたところで法律が変わらないと思っているのなら、「尊属殺人」でググってください。
高校の教科書に載っている、かなりポピュラーな事例です。
無戸籍問題も早く解決するといいですね。

>それらの指標を「宗教的バイアスがかかっている」と指摘するのはゆんゆんさんですから、具体的にどう使えないのかを反証する責任はゆんゆんさんにあると思いますよ。
そうですね。たとえば、イチカワさんの言う「社会的制裁」とか曖昧すぎて何を想定しているのかよくわからないですよね。
「同性愛を理由にした解雇」の件数でなければ思いっきり宗教的バイアスのかかっている「ヘイトクライムの件数」という訳にはいかないと思いますし。
まあ、反論のための反論をする時間はないのでこれくらいにしておきます。

>とりあえずは別の問題であることを一端明確に認識して話をするべきだと思います。
欧米のヘテロセクシズムを要請しているのがカップル中心というか強制主義であり、切り離せないんじゃないの?というのが私の今のところのスタンスです。
逆にカップル文化だけで論じてしまうと、それが社会制度として同性愛者にどう抑圧的に働くかが見えなくなってしまうのでは?

>っていうかさー「ホモ乙」とか「ホモキモイ」と言われて、「それがどうした」と言い返せるように「言われた側」が変わらなきゃいけないんですか?「ホモ乙」とか「ホモキモイ」という発話自体が、悪口とかイジメのツールとして有効じゃなくなるような社会を目指すべきなのでは???
私は同性愛者が変われといいたいのではありません。
現代日本では明らかに「ホモキモイ」という悪口について「それがどうした」と言うのに一定の困難がつきまといますよね。
それは「それがどうした」という言葉が反論としてあまり有効ではない社会だからです。
しかし、「同性愛者」というカテゴリが消えない限り、「ホモキモイ」という悪口はなくならないと思います。
なので、「それがどうした」という反論が意味を成すような社会にしたいということです。

>ゆんゆんさんは日本のセクシャルマイノリティのおかれた現状への認識が激しく薄い
だから、最初からお仲間に入れてくれなくて結構です。
ただ、自分の言うことに納得しないからといって、その人を攻撃するのはどうかと思います。
それに私一人の認識が変えられないようでは、ゲイリブが社会を変えていけるようになるのはまだまだ遠い将来のことですね。

>その社会ってヘテロセクシズムを隠れた形で内在したままになる危険性があると思う。
ヘテロセクシズムというよりは、ヘテロ中心主義なら納得。

>当事者以外に対して『オリエンタルなもの』として観られて終わりになるという危険性は普通にあると思いませんか?
じゃあレインボーパレードも要りませんね。
欧米のわけの分からない思想にかぶれた一部の物好きが変なカッコして歩いてるという『オリエンタルなもの』として見られる可能性を常に秘めてますから。

>ゲイリブにおいて歴史研究が非常に有効であることは認めますが、正直研究者でもない多くの市井のアクティビストが、前近代の日本やら、中東における同性愛者の弾圧の現実まで、全てを押さえた上で行動するのは不可能です。
全部押さえろとは言ってません。
ただ、批判の対象となるほど、ゲイリブサイトの情報の偏りが深刻なのです。
「ジャックの談話室」でも読んでください。
市井の人でもここまでできるといういい例です。
彼がアンチゲイリブだからと言って、歴史について全くウソを書いているわけではありません。
それに、せっかくアンチゲイリブの人が纏めてくれたんだから、敵を知るためにも活用しない手はないと思うのです。

>イランの実体だのなんだの、調べるのは大変
私だって、主な情報源はネットです。
グーグルがあれば調べられることを調べないのは、怠慢だからです。
政治活動をするなら、それなりの知識が求められます。

>不器用ながらアクションを起こしているわけです
「愚かさ」と「蛮勇」だけ評価されたって仕方ないと思います。
今の状態では正直、アメリカ発祥のものを無批判に受け入れている単細胞の連中と思われてもしょうがないと思います。

>「カムアウトしただけじゃん」
別に私はカムアウトを批判したいのではなく、カムアウトしないとだめというカムアウト至上主義者や、カムアウト一辺倒日本のゲイリブの芸の乏しさをどうかと言っているわけです。
カムアウト至上主義でなければ仲間にいれてくれない、というのであれば仲間に入れてくれなくて結構です。

>仲間でもなんでもありません。そういうレッテルはりはやめてください。
ああ、すみません。「先生」と言い直しておきますね。

>私はゲイリブに興味がないと言い切るフェミニストは信用できません。
同性愛者一般には含むところはありませんが、理論上、モノセクシュアリティを前提とする構造の致命的な欠陥、やり方への不満が理由でゲイリブは個人的にも興味がないです。
興味が持てるような裁判があれば寸志をカンパするくらいのことは考えてもいいですが。

>ゲイリブの矛盾
「他にもゲイリブは同性愛中心主義だとか、カップル至上主義だとか、いろいろあるでしょ。」と、イチカワさんご自身がさんざん批判されていたような気がするのですが、気のせいでしょうか。
  • 2009/07/09
  • ゆんゆん
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わすれてました
>不器用ながらアクションを起こしているわけです
あ、それでもって軽はずみに間違った腐女子批判とかしたり、石田某というダメ研究者に釣られたりするわけですね。
やはり行動力があるというのと、愚かなのは違うと思います。
  • 2009/07/09
  • ゆんゆん
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あほなひとりのレズから正直な感想です…
すごい応酬ですね…。
知性と知性のぶつかり合いというのかな。

非常に勉強になるし、改めて真剣に考えさせられる部分がたくさんあって、これを公開してくださるお二人に頭が下がる思いです。うーん。ただ、あっぱれだなーと敬う気持ちは95%あるのですが、正直言うと、ちょっとだけ辟易…5%。それは単純に、双方の「相手への嫌味」表現の部分だけですが。はっはっは~(汗)

私は頭が悪いからあんまりうまく言えないんですが、とにかく、誰にだっていろんな事情や経験や考え方がある…にしても、なにかと闘っている人に対して、闘わない人が「だって、その闘い方ってどうなの?」とか言うだけなのって好きじゃない。たとえその闘い方が相当ピント外れだったり成果を上げてなかったり他の問題を生むようなきっかけになったとしても、それはそう思います。
だって、この世界が大きな海ならば自分は小さな波なんだけど、だからって海の潮流を変えることをあきらめるわけにはいかないもん。唐突にイレギュラーな小さな渦巻き(うずまき)で消えちゃうとしても、「こっち!」って思うほうに、私の「波」は何度も立つしかないから。

なんか場違いなコメントで恐縮すが、あほな私がお二人のやりとりを読んで一番感じたのは、この「私は小さな波だけど」ってことでした。
高尚な賢さ対決の場に、ズレたカキコミですみません…
  • 2009/07/10
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横レス失礼します
>知性と知性のぶつかり合いというのかな。
私の稚拙なコメントを最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お疲れ様です。
分かり辛かったとすれば、それはひとえに私の表現能力の不足です。

>それは単純に、双方の「相手への嫌味」表現の部分だけですが。はっはっは~(汗)
私のガラが悪いというのを差し引いても、お互い正論を戦わせているのでギスギスした雰囲気になってしまっているのでしょうね。
「議論と喧嘩の区別がついていない」と言われても、私は私なりにできるだけ誠心誠意対応したつもりです。
イチカワさんにとって、ゲイリブやフェミニズムが切実な問題なのは知っているつもりなので。
時間の制約上、カバーし切れなかった部分もありますが。
読んでいる方に不快感を与えてしまって申し訳ありません。

>なにかと闘っている人に対して、闘わない人が「だって、その闘い方ってどうなの?」とか言うだけなのって好きじゃない
カミングアウトのような手段が、ある人にとって最適な手段であることを私は否定しませんし、全否定はしていません。
ただ、そういう手段を否定する人の言う事にも、一定の説得力はあると思ってしまったのです。
凛さんがどういうお立場の方かは存じませんが、ゲイリブに関心がなかったり、参加したくないと思っている日本の同性愛者は確実にいるはずです。
それは、単に政治運動や市民運動が苦手だから、という同性愛者がいるからかもしれませんが、やはりゲイリブにもいろいろ抱える問題があるからだと思っています(私は小児性愛者やアセクシュアルやクイアを含めたあたりから訳が分からなくなりました。それに、バイセクシュアルやトランスセクシュアルの扱いにも問題があると思います)。
だから、「ゲイリブに関心がない人は認めない」という主張には賛成できないし、心が狭いと思います。
私は一応反論のための反論に終始しないで、できるだけ対案や代替案を述べる努力はしたつもりです。
凛さんにそう思わせたとすれば、それは私の説明不足です。すみません。
私は、私なりのやり方で闘っていきます。たとえ、それが他の人には十分戦闘的でないように見えたとしても。
  • 2009/07/10
  • ゆんゆん
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Re: ゆんゆんさんへのお返事など
お互いの正論をぶつけ合うとき、どれほど互いの認識や思考に浸食し合えるか、そして浸食し合った結果、どのような合意形成がなされたのか、といったプロセスが見えることが大事だと思います。
ゆうさんとゆんゆんさんの議論を読んで、合意形成は少なかったけれども、合意形成に至ろうとするプロセスは充分にみてとれたので、読み応えがありました。
某研究者が言ってました。
「政治の本質とは、他者との葛藤に耐えながら合意形成していくプロセスだ」
お二人の議論を読みながら、上の言葉を実感しました。
  • 2009/07/22
  • トモ
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