クソレズ宣言 -我々は誇り高きクソレズである!-

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初めに、「ダイク」と「レズビアン」というレズビアンを指す二つの言葉のニュアンスの違いについて、Tokyo Wrestlingの以下の対談記事を読んでみてほしい。(強調は私)

R: 私がカムアウトしたのは10年前なんだけれども、その時はもう古かった。多分、70年代の頃に古くなったのかな? じつは「ダイク」って言葉も少し古いんだけれど、とりあえずダサくはないの。

K: じゃぁ、何で「レズビアン」だけダサイの? その違いは?

R: そうね。「ダイク」ってそもそも差別用語だったという点が「レズビアン」との違いかもね。アメリカで70年代にブラックパワーが起こったじゃない? そのムーブメントに少し似ているのかも。差別されていたダイクたちが、その言葉を自分たちで主張する時にわざと使って、エンパワメントしたの。だから「プライドを持って主張する」っていう雰囲気も漂う言葉だと思う。でも、「レズビアン」っていうと、50年代のレズビアン同様、自分のセクシュアリティを恥じて隠そうとしている女性にも聞こえるの。さっき、「レズビアン」はフェミニンなイメージがあると言ったけれども、外見的にフェミニンやソフトというよりも、社会の中でソフトで静かに生活するライフスタイルのことを指すと言うほうが適切かも。「秘密で、囁かれている」って感じね。

K: なるほど。「レズビアン」はコミュティーとは関係なく生活していて、ふたりの女性がカップルでひっそりと幸せに過ごしているっていうことなのね。 また、「ダイク」って、少しボーイッシュな女性でもあるような気がするんだけれど。実際は?

R: ボーイッシュというのもあるんだけれど、それよりも性格的にタフで自分を表現・主張できる人かな。自信に溢れている態度だから、ある意味男らしいというか。

K: たとえば、『Lの世界』シーズン3で印象に残ったあるシーンのこと。ジェニーとモイラが一緒にいたところ、若い男性に絡まれちゃうんだけど、「are you fags?」(お前ら、ホモなのか?)と聞かれて、ジェニーが「we are not fags, we are dykes, asshole!」(ホモじゃないんだよ、ダイクなんだよ、バーカ!)って返事するの! そういう強気の態度のこと?

R: そうそう、まさにそういう姿勢。「ダイク」は差別用語なのにそれを逆手にとって、「自分たちで使ってやる」、みたいなアティチュードね。性的指向だけを指しているのではなくて、そのダイクなライフスタイルの意味までも含んでいる。生活までも「ダイク」なのね。

http://www.tokyowrestling.com/articles/2007/11/dyketalk1.html



※2009年のWest Hollywoodにおいてはレズビアンがダイクより古い、ダサイという認識は必ずしもないように思われる。一番ポピュラーな自称のやりかたは「I'm gay」次に「I'm lesbian」であるように思う。dykeを自称するのはかなり少数であるように思われるが、もちろんこれは私が観察しているごく狭い範囲の文化圏に限った話なので、これが一般的であるとするつもりはない。

というわけで「自称において、レズビアンは古く、ダイクの方がカッコいい」という点は個人的には疑問だが、それ以外の「dyke」という意味あいの持つニュアンス説明や歴史などはなかなか正確で面白い。

ここで強調したいのは、そもそものdykeはタフなレズビアンを指す言葉では決してなかったということ。上でも触れられている通りdykeは差別用語であり、当事者が積極的に使い始めた現代においてもまだ、文脈においてはレズビアンを罵倒するのに十分有効な言葉である。

そんなdykeという言葉が持たされてきた意味合いや、それを乗り越えてきたという歴史的意味合いを無視して、「dyke」という言葉の現代における表層的なかっこよさだけをカタカナの「ダイク」として輸入しようとしても、そのインパクトは薄い。

dykeを日本語に訳すならカタカナの「ダイク」ではなく「クソレズ」だろう。
上で引用した文章は、「ダイク」を「クソレズ」に入れ替えて読んでみて、初めてその言葉の持つインパクトや意義がより伝わると思う。

日本のレズビアン自身が「私たちはクソレズですがそれが何か?」と開き直ってみた時にはじめて、私たちは[dykeは「タフなレズビアンを指す」言葉である]という文章の意味を本当に理解することになる。

「クィア」もそうだ。「クィア」というカタカナ用語は現代日本において、なんとなくニュートラルに「性的マイノリティ一般」を指すかのような使われ方が多数派だと思われるが、英語におけるqueerはそもそもは「変」「ヘンタイ」という侮蔑の言葉だった。それを「ヘンタイで何が悪い」という文脈で捉え直し自らのものとしていったのが「queer」だ。

dykeやqueerが英語圏において「カッコいい」と捉えられるのはそういう「侮蔑語を自称し、ポジティブな物として再定義した」というバックグラウンドがあるからだ。dykeやqueerの本当の意義を知り、その言葉の真のかっこよさを痛感したいのなら、「ダイク」や「クィア」をカタカナとしてのみ理解するのではなく、日本語で同様の行為をすることを想像してみてほしい。

私は、自分に--そして私の愛する仲間たちに--繰り返し投げかけられる「クソレズ」という言葉をがっしりと受け止め、そしてこの世界に対して投げ返してやりたい。

クソレズと言われる度に、笑いが込上げてくる。クソレズは、お前らだけが使える言葉だと思うなよ?クソレズという言葉が誰かに精神的ダメージを与えるとして有効であると誰かがまだ信じているような「場」がそこにまだ存在することを「クソレズ!」という発話は鮮やかに示してくれる。そして、「クソレズ」という罵倒が存在する限り、「わたくしはクソレズですよ(それが何か?)」という宣言もまた、インパクトを持ち続けるのである。


我々は誇り高きクソレズである。

クソレズはこの世に当たり前の前提のように潜んでいる異性愛中心主義、男性中心主義へ意義を申し立てる。
クソレズは法律上、社会慣習上のいかなる不当な取り扱いにも意義を申し立てる。クソレズは実質的平等を求める。
クソレズは我々の自尊心を傷つけようとするあの手この手の卑怯なやり口には絶対に負けない。右手にフェミニズムという剣、左手にクィアセオリーという盾を持って闘い続ける。
我々は決して1人ではない!クソレズはあらゆるところにいる!
クソレズは日常生活ではトラブルなく生き延びるためにネコをかぶることもあるかもしれない。クソレズは実生活において必ずしもアクティブな活動をしていないかもしれない。だがそれは我々のクソレズ性を否定するものでは全くない。心の中にクソレズがいる限り、誰でも立派なクソレズである!
クソレズはネット上においてまで万人に好かれることを求めない。うるさくて生意気で理屈っぽくてうざくて結構。
クソレズは止まらない。疲れてほっと一息つくこともあるかもしれないが、クソレズは必ずまた走り出す。クソレズが倒れる時は常に前のめりである。
クソレズは絶対に絶滅しない。一人のクソレズが死んでも、我々の中のクソレズ精神は仲間たちに受け継がれ、決して途絶えることはない。


クソレズ万歳!
クソレズ上等!
クソレズに幸あれ!
クソレズは永遠に不滅である!

2009年7月15日
誇りあるクソレズ同盟
(賛同者)

 



※宣言に賛同するという方はコメント、拍手、もしくは★などで表明お願い致します(宣言の主旨に賛同していただける方であれば性自認、性指向などは問いません)。
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