私の肌が黄色いということを私は知らなかった

最近人種についていろいろ考えている。
自分は女性である、とかクィアである…とかそういうことは昔から割と考えて来たが、人種に考えることは最近まで全然なかった。だから最近改めて自分の人種について考えるのは妙な気持ちだ。

例えば、私は物心ついた頃からいつも女性に恋をしてきたけど、真剣に自分のセクシャリティについて考え、ゲイとしてのアイデンティティを持ったのが思春期だった。

それと同じように、私は生まれた時からアジア人だったのだろうけど、アジア人になったのは最近だ。

というかアジア人に、たった今なりつつある。

別に「アメリカではあーだこーだ」とアメリカ風をふかすつもりは毛頭ない。が…アメリカにきて、これまでいかに自分が自分のことをアジア人だと思っていなかったか…と痛感した。アジア人だと思っていなかったっていうか、自分がアジア人だったということを知らなかった。さらに言うなら、私は自分のことを白人だと思っていたふしすらある(爆)

…と書いても、日本で生まれ育ったアジア人にとっては、なんのこっちゃ、だろう。(日本で生まれ育った人でも、混血の人はまた違うだろうがここではとりあえず典型的アジア人に見える人を念頭において話している)

「お前さん、バカか?自分がアジア人なことくらい、わかっておるわい。自分が黄色いことくらいわかっておるわい」と言いたくなる人もいるだろう。

だが、はっきりいって、日本で生まれ育ったアジア人は、ほとんど全員自分がアジア人だということをわかっていないし、多かれ少なかれ自分のことを白人だと思ってる。と、私は思う。

別に、それが悪いとか、狭い視野の持ち主だとかいって糾弾したいわけじゃない。日本で生まれ育ったら、自らの人種について思いをはせなくてすむのはある意味当然だからね(異性愛者であったり、モノガミーであったり、っていう人たちが、自らのセクシャリティに思いを馳せることなく、当たり前のように「“ノーマル”ですがなにか」って言えるのと一緒だ)。

私がLAという街で生活する中で、どのように自らの“アジア系”としての意識を持ち始めたか…その話はおいおいしようと思うけど、とにかく、外国で暮らして数年たって、ようやく自分がアジア人らしいと気づいた。

それでもまだアジア人としての確固たるアイデンティティは持てていない(爆)

最近コミュニティに出入りして痛感したが、アメリカで暮らすアジア系アメリカ人の「アジアンプライド」はものすごいものがある。私は日々それに圧倒される。彼らに比べると私なんかはまだまだアジア人の自覚は薄い。人とつきあう時も、相手の人種をさほど意識しない。

で、ここでそうやって、強く「アジアンプライド」を持つことが、果たしていいことなのかどうか、私はまだわからない。

アメリカという移民国家において、中国人、そしてアジア人は差別されてきた。移民が規制され、市民に帰化することが規制され、かつては白人と結婚することが禁止されていた。そんな中、アジア人という少数派が結集し、権利を訴えなければいけなかった事情もわかる。

が、「アジアンプライド」を持って、自分は黄色い人間です、と言うことは、「相手の用意したカテゴリーに乗っかる」ということでもある。そういうプロセスを、アメリカに移民してきた日本人がアジア人に見えるからと言って、全員とおらなければいけないとは思わない。

実際、私自身は、アジア人だからといって、アジア人コミュニティに完全になじめるわけではない。アメリカ生まれで、英語ペラペラで、日焼けしたアジア人たちが「アジア人の誇り!」なんてスピーチしていると心底シラケてしまう。

以前も以下のように書いている。

私はどっちかというとアジア系というよりも、FOB(Fresh off the boat=ボートから降り立て=新米移民を揶揄的に表すスラング。アジア系がよく使う)としてのアイデンティティの方が強く、アメリカ生まれ、アメリカ育ちで、ばりばりWhite Washedな“日系”アメリカ人よりも、移民したてで、片言英語で頑張っているラティーノ達とかコリアンのFOBちっくな新移民の方が身近に感じるし、実際友達も多い。

だから何も私はここで「全アジア人よ結集せよ!」とか「日本人よ、アジア人の自覚を持て!」とか言いたいわけでない。

ただ、自分がアジア人だってことを全く知らない/意識しない状態の日本人を見ていると、不思議な気持ちになる。というかはっきりいうと、妙に気持ち悪い違和感を感じるようになった。まるで…歯にノリをつけて平気でプレゼンしてくるベンダー候補を見るような…。社会の窓全開で説教してくる上司を見るような…。

だからちょっと言いたくなったのだ。「ねえねえ、あなた、自分がアジア人だと言うことに、気づいていますか?」と…。

★ ★ ★

例えば、Lの世界ことthe L word。私もこのドラマが大好きで夢中になってた。はっきりいってLAに引っ越してきたのは、このLの世界で描かれているようなオシャレでオープンなレズビアンカルチャーに憧れたから、というのが結構大きい。だが、実際に、LAにすんでみると、the L wordに描かれているのがいかに狭い世界の話か、よくわかる。

前にも何度か書いたが、LAが舞台なのに、なんでアジア系が全然出てこない?LAといえば、ラテンの街だが、ラテン系は一応出てくるが脇役だし。しかも、出演者ほぼ全員フェミニンじゃねーか。どこがリアルなLAのレズビアンカルチャーなんじゃ!

(まあ人種によって世界がきっぱり別れていることを示している…という意味ではリアルだが)

そういう感じで、日本で「えるわーど~♪」ってせっせと観てたときは全然気づかなかったことが、アメリカに来てから妙にひっかかるようになった。(以前書いた記事:『the L wordに出てくるアジア人考』)

もちろんthe L wordは一つのドラマ作品にすぎない。一つの作品に対して、Lコミュニティの全てを表象しろ!と要求するのは無理な相談ってのはよーくわかってます。だから、あれは白人(と“白い黒人”)の上流階級の世界を描いた存在しないファンタジー、それでいいってのもわかってる。

ただ、ここで強調したいのは、「そのドラマを観る時に、我々はその限界に自覚的に観ることができてるのか?」ってこと。単に一つのドラマとしてthe L wordを楽しむのは全然いいんだけど、その時、無意識に自分を白人側においたうえで、シェーン萌え~とかカルメン萌え~とかやってないか?ってこと。その無自覚さっぷりに今の私は愕然としちゃうのね。

もう一度念を押しておくと、別に、白人好きなのが悪いわけではないし、the L wordを嫌いになれ!とか、アジア人を好きになれ!とか人口比率にのっとった出演者の人種割合にせよ!とか言ってるわけではないよ。シェーン好き、カルメン好き、大いに結構。私はさんざん文句たれつつもthe L word大好きです!

ただ、日本にいる誰かがあそこに描かれている世界とかを「わーい♪LAのファッショナブルなWeHoカルチャー★」といって、無邪気に憧れている時、その時自分はアジア人であることをあんたは忘れてないか?ということなんです。

それは、ファッション雑誌や広告のモデルが混血の子ばっかりだったりするのを観たりする時にも感じる。

意地悪い言い方をするならば…。なんか、自分がアジア人であることに気づかず、気分だけは白人になりきって「西洋的美」を楽しもうとしている姿は、なんか美意識が植民地化されてるんじゃないのかね?と思ったりする。

感じ悪い言い方ですみません。…これはとりもなおさず、ちょっと前までの自分の姿にすぎず、自分自身がそういう意識を持っていたからこそ強く感じるのです。

★ ★ ★

もっとも、見方を変えれば、自らの立場を「棚においておいて」いろんなものをニュートラルに、無邪気に楽しめることも一つの特権であり、大いに享受するべきものなのかなとも思う。

音楽を例にとるなら、ロックも、パンクも、ジャズも、ラップも、ハウスも、カントリーも、ニュートラルに楽しめる日本というのは音楽ファンにとって楽園である。それに対してアメリカでは人種や文化と音楽がかなり強く結びついているので、純粋に音だけを聞いて音楽を好きになったり、ライブに行ったりすることは難しい。

でもさ、そうやって様々な音楽を楽しんでいる日本の「音楽ファン」が自分を本当にニュートラルな立場に立っていると無邪気に思い込んでいるのだとしたら、私はそれに対して「違う」と言いたいのだ。

繰り返すが、これは、現在日本で暮らすアジア人…つまり、しばらく前の自分に言いたいことでもある。

お前は自分のことを白人だと思ってるだろうが、お前はなーーー「アジア人」だッ!お前さんは、自分が「ベトナム」とか「フィリピン」とか「韓国」とか「中国」より「アメリカ」とか「フランス」とか「イギリス」に近いと思ってるかもしれへんが、お前がアメリカにくれば、ざっくり「アジア」の枠に入れられるんだっ!

はあはあはあ。

しかし、こういうことはいくら文字で書いても反感ばかりがつのり、「わかって」もらえるものではないのかもしれない。一度人種が混ざっている環境で暮らして「アジア人」扱いを受け続けないと、皮膚感覚としてわからないと思う。

おーい!あんたは自分が無色透明な存在=白人だと思http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1683.htmlってるかもしれへんが、違うぜ!お前には色がついているぜ!


関連エントリ: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
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comment

Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
人種だけでいえば、アジアにはイランやインドなど日本人よりヨーロッパの白人に近いコーカソイドが多数派の国があります。
そもそも「アジア」なんてヨーロッパ人がユーラシア大陸と沿岸諸島からヨーロッパを除いただけの西洋中心の政治地理学的概念なのに、自らのアイデンティティとして内面化すること自体が、ご自身の批判する精神の「植民地化」ではないでしょうか?
日本と中国の区別もつかないような人の多いアメリカのような国で、深刻な人種差別に直面せずに生活できないのにはご同情申し上げますが、アメリカに住んでいない人間も肌の色をアイデンティティとして第一に問題にすべきという、アメリカ特有のものの見かたの押し売りにはうんざりです(スパイク・リー監督「セント・アンナの奇跡」で指摘されていますが……)。
啓蒙活動は、まずアメリカ特有の価値観の相対化と、「アジア」地域の多様性のお勉強が終わってからなさっては?
  • 2009/08/26
  • アジア人は黄色人種だけですか?
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  • Edit
> 人種だけでいえば、アジアにはイランやインドなど日本人よりヨーロッパの白人に近いコーカソイドが多数派の国があります。

はい、アジアといっても、インドや、パシフィック会いランダー、それにコーカソイド系の人もたくさんいらっしゃることは承知しております。“アジア系”を切り口に集まるコミュニティに出入りすれば、自然とそのことはわかります。ただ、私をはじめとする日本に生まれ育った多数派であろう「黄色人種」を対象に書いたので、黄色、という文字を使いました。一応黄色くない人の存在も頭にははいっています。

>アメリカに住んでいない人間も肌の色をアイデンティティとして第一に問題にすべき

という議論の立て方は、私は決してしていないつもりなのです。アジアンプライドを持つことについての違和感として本文中でも書いてあると思います。

> そもそも「アジア」なんてヨーロッパ人がユーラシア大陸と沿岸諸島からヨーロッパを除いただけの西洋中心の政治地理学的概念なのに、自らのアイデンティティとして内面化すること自体が、ご自身の批判する精神の「植民地化」ではないでしょうか?

アジア人というカテゴリを受け入れること自体が、相手が勝手に作ったカテゴリを承認することになる…という問題意識については、わかります。これについては私も今考えているところです。

その上で、それ自体が、精神の「植民地化」であるかどうかについては、必ずしもそうではないとも思っています。

> 啓蒙活動は、まずアメリカ特有の価値観の相対化と、「アジア」地域の多様性のお勉強が終わってからなさっては?

ん~。

「啓蒙活動」をしているつもりはないのですがね(苦笑)私は別に“勉強”したことを発表して啓蒙しているわけではなく、毎日、生活している中で実感したことを書いているまでですよ。

私がこの文章で一番言いたかったことは、日本で生まれ育った多くの黄色人種は、自らの「黄色性」に気づいていないのではないか?ということです。

「黄色性」に気づくことがよいとかわるいとか、気づくべきとかそういう話をしたいのではありません。

ただ日本で流通している文化が「自らを黄色」として見ているのではなく、「自らを透明」なものとして見ているような気がしたので書いたのです。
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
興味深く読ませていただきました。なるほど、いろいろな感じ方があるのですね。
私がアメリカ(東部)に滞在していたときに強く感じたのは自分がアジア人であるということよりも「アジア人と認識させられる」ことですかね。「日本人は漫画でも読んどけ!」(すいません、ちょっと乱暴な例えです)と言われたなら、それはまさに人種差別ですがアジア人だから云々ということにはなりません。しかしアメリカではスーパーのコーナーやサラダドレッシングの地域別の分け方など様々な場面で「西洋」と「それ以外」に分類された(主にアングロサクソン系)白人視点の人種差別が既成事実化されているんですね。これには凄い違和感というか裸の王様的な気味の悪さを感じましたね。そこで「そうか自分はそれ以外のアジア人なんだ」と受け入れてしまうことが白人(米国の)の既成概念に乗っかちゃうような気がして恐ろしいなと思った記憶があります。
うまく言えませんが、白人と黒人のハーフの方に対して普通に「黒人」ということになっていること(黒人初の大統領とか黒人初のアカデミー賞とかF1レーサーとか)の違和感と同じですね。白人たちがそう言っているからそうなんだ、という。

  • 2009/08/27
  • una chica
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  • Edit
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
>一応黄色くない人の存在も頭にははいっています。
では、最初からそう書けばいいのでは?

>アメリカに住んでいない人間も肌の色をアイデンティティとして第一に問題にすべきという議論の立て方は、私は決してしていないつもりなのです。アジアンプライドを持つことについての違和感として本文中でも書いてあると思います。
「おーい!あんたは自分が無色透明な存在=白人だと思ってるかもしれへんが、違うぜ!お前には色がついているぜ! 私はいつもそれを忘れないようにしたい。」という文章と整合性がないと思うのですが。

>その上で、それ自体が、精神の「植民地化」であるかどうかについては、必ずしもそうではないとも思っています。
どんな説明をされるのか、楽しみにしてます。

>「啓蒙活動」をしているつもりはないのですがね(苦笑)私は別に“勉強”したことを発表して啓蒙しているわけではなく、毎日、生活している中で実感したことを書いているまでですよ。
では、「しかし、こういうことはいくら文字で書いても反感ばかりがつのり、「わかって」もらえるものではないのかもしれない。」とか「ただ、日本にいる誰かがあそこに描かれている世界とかを「わーい♪LAのファッショナブルなWeHoカルチャー★」といって、無邪気に憧れている時、その時自分はアジア人であることをあんたは忘れてないか?ということなんです。」という書き方は必要ないのでは? 海外ドラマを好きになったり、感情移入したりする理由は白人への憧れ以外にもいろいろあるはず。啓蒙するつもりがなければ、ご自分がそうだからといって、他の「日本人」もそうだと上から目線で勝手に決め付けないでください(啓蒙するつもりがあっても迷惑なことは迷惑ですが)。

>ただ日本で流通している文化が「自らを黄色」として見ているのではなく、「自らを透明」なものとして見ているような気がしたので書いたのです。
日本人にとっての「無色透明な存在」が「白人」だというロジックもさっぱり分かりません。大体日本にいれば、「白人」だって有徴化される対象でしょう。

>一度人種が混ざっている環境で暮らして「アジア人」扱いを受け続けないと、皮膚感覚としてわからないと思う。
ヨーロッパで四年半暮らしてましたが、さっぱり分かりません。せいぜいアメリカとヨーロッパは違うんだなということくらいです。
  • 2009/08/27
  • 1.
  • URL
Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
> >一応黄色くない人の存在も頭にははいっています。
> では、最初からそう書けばいいのでは?

一応この文章の守備範囲として(日本で生まれ育った人でも、混血の人はまた違うだろうがここではとりあえず典型的アジア人に見える人を念頭において話している)と書いておいたのですが。「黄色くないアジア人」の問題については、私はまだ何もかけません。

>
> >アメリカに住んでいない人間も肌の色をアイデンティティとして第一に問題にすべきという議論の立て方は、私は決してしていないつもりなのです。アジアンプライドを持つことについての違和感として本文中でも書いてあると思います。
> 「おーい!あんたは自分が無色透明な存在=白人だと思ってるかもしれへんが、違うぜ!お前には色がついているぜ! 私はいつもそれを忘れないようにしたい。」という文章と整合性がないと思うのですが。

そうですか?

自らが無色透明だと思い込んでいることへの批判と、黄色人種としてのプライドを持つべきとは限らないという主張は必ずしも矛盾しないと思います。

>
> >その上で、それ自体が、精神の「植民地化」であるかどうかについては、必ずしもそうではないとも思っています。
> どんな説明をされるのか、楽しみにしてます。

「アジアン」としてのカテゴリを受け入れた上で、「アジアンプライド」を使って政治をしていく戦略は、精神の「植民地化」とは限らない、というのはごく当たり前のことではないですか?

植民地主義的カテゴリを前提として、その上で、主従関係を拒否するというアプローチは十分“あり”であり、それは精神の「植民地化」とは違うと思いますよ。

むしろ、自らを無色透明だと信じて疑わないまま、白人種の美しさカテゴリを内面化し、アジア人に対しては他者的に「アジアだ」という目線を向けることの方が、よっぽど植民地主義を内面化しており問題だと思います。1さんの個人的な考えはわかりませんが、日本のメインストリームメディアにおいての表象を見ていると、全体としてそういう空気が流れていることは否定できないかと思うのですが、どうでしょう。

> >「啓蒙活動」をしているつもりはないのですがね(苦笑)私は
別に“勉強”したことを発表して啓蒙しているわけではなく、毎日、生活している中で実感したことを書いているまでですよ。
> では、「しかし、こういうことはいくら文字で書いても反感ばかりがつのり、「わかって」もらえるものではないのかもしれない。」とか「ただ、日本にいる誰かがあそこに描かれている世界とかを「わーい♪LAのファッショナブルなWeHoカルチャー★」といって、無邪気に憧れている時、その時自分はアジア人であることをあんたは忘れてないか?ということなんです。」という書き方は必要ないのでは? 海外ドラマを好きになったり、感情移入したりする理由は白人への憧れ以外にもいろいろあるはず。啓蒙するつもりがなければ、ご自分がそうだからといって、他の「日本人」もそうだと上から目線で勝手に決め付けないでください(啓蒙するつもりがあっても迷惑なことは迷惑ですが)。

不愉快な思いを与えてしまい、大変失礼致しました。

> >ただ日本で流通している文化が「自らを黄色」として見ているのではなく、「自らを透明」なものとして見ているような気がしたので書いたのです。
> 日本人にとっての「無色透明な存在」が「白人」だというロジックもさっぱり分かりません。大体日本にいれば、「白人」だって有徴化される対象でしょう。」

日本において、人種的に「無色透明な存在」が「白人」であることはロジックというよりもデファクトスタンダードであると思うのですが。違いますでしょうか。リアルな生活の場において、日本で生活する「白人」や、その他の他人種が有徴化されているのは事実ですが、そういう場を離れたポップカルチャーやマスメディアにおいて、日本人が自らを「無色透明」=限りなく白人に近い場においているという指摘自体はそれほど的はずれているとは思わないのです。

> >一度人種が混ざっている環境で暮らして「アジア人」扱いを受け続けないと、皮膚感覚としてわからないと思う。
> ヨーロッパで四年半暮らしてましたが、さっぱり分かりません。せいぜいアメリカとヨーロッパは違うんだなということくらいです。

なるほど、そうでしたか。外国暮らしをした人のある人が全て同じ感覚を持つとは思いませんし、様々な考え方があるのは当然のことでしょうね。

アメリカにおいても、土地柄によってかなり違うはずです。例えばカリフォルニアと東海岸また中西部…などによって。カリフォルニアはアジア人の人口が特に多く、API系のコミュニティが発達しています。アジア人が少ない地域からやってきたアジア人は、このようにアジア人だけでコミュニティを作って「アジアンプライド」系のアプローチをとることに対して違和感を覚えたりもしているようです。
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
>一応この文章の守備範囲として(日本で生まれ育った人でも、混血の人はまた違うだろうがここではとりあえず典型的アジア人に見える人を念頭において話している)と書いておいたのですが。「黄色くないアジア人」の問題については、私はまだ何もかけません。
なら素直に黄色人種かモンゴロイドの話を書けばいいのでは……。アメリカ特有(それも地域限定の)「アジア人」アイデンティティと人種の問題を結びつけて、日本に住む日本人に問題意識を喚起しようとするレトリックは余計分かりにくいのでは? イスラム教徒に対する偏見丸出しのアメリカのメディアのせいで、西アジア・東アジア・東南アジアのイメージが貧困で、同じ「アジア人」である彼らを他者化せざるを得ないとしたらご同情申し上げますけど。ロスのアジアン・コミュニティでチャイニーズの存在感が他を圧してるとか「○○県人会」とかの日系人組織がアジアンコミュニティとどう繋がってるとか、そういうネタであれば面白いですが……。

>植民地主義的カテゴリを前提として、その上で、主従関係を拒否するというアプローチは十分“あり”
それだけですか……。植民地主義的カテゴリにはじまる欧米のものの見方を無批判に前提として扱うと、主従関係を受け入れている「脳内名誉白人」とか「バナナ」とか勘違いされるリスクが段違いに高まると思いますが、ま、がんばってください。

>日本のメインストリームメディアにおいての表象を見ていると、全体としてそういう空気が流れている
随分日本のメインストリームメディアにお詳しいのですね。私は「白人や白人との混血モデルばっかり出るファッション雑誌」やアメリカ製の「海外ドラマ」がメインストリームメディアを代表しているとは思いませんし、それだけで日本人の意識を代表できると思いませんが、白人だけが内面化される対象だとは思いませんよ。「生活の中の実感を書くだけ」なら、ご自分がかつて白人崇拝という愚行を犯したからといって、日本人をひとまとめに同じ理由で愚民呼ばわりする必要はないと思いますが。

>「無色透明な存在」が「白人」であることはロジックというよりもデファクトスタンダード
そんな偏見を押し付けられても……。日本で見かけが白人だから苛められたとかいう芸能人の話は良く聞くし、身近な例でもいますけどね。ハーフの子で金髪に生まれて見かけ黄色人種だらけの中学校で上手く振舞えない昔のクラスメートとか。白人だって、日本で容赦なく他者化されてますよ。

>アメリカにおいても、土地柄によってかなり違うはず
だったら、ロサンゼルス特有の問題をアメリカと日本という枠で論じなくても……。
同じ「日本人」でもかなり違うと思いますしね!
  • 2009/08/27
  • 1.
  • URL
Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
個々のご指摘については今後の課題とさせてください。

一つ興味があったのですが、1さんは、私の主張のキモである以下

日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えているのでは?

という指摘については同意していただいているのでしょうか。

結局私のエントリの趣旨はそこを問題視するものなのですが。
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
yamtomさんのtwitterに日系アメリカ人についてのコメントがあったので、来てみました。
私は第二次大戦ヨーロッパ戦線オタなので、二世部隊のことを連想して。結果全然違ってたー当たり前ですね。フェミニズムと二世部隊は直接の関連はないからね。

で、読んでみて不快でした。

>ただ、自分がアジア人だってことを全く知らない/意識しない状態の日本人を見ていると、不思議な気持ちになる。というかはっきりいうと、妙に気持ち悪い違和感を感じるようになった。まるで…歯にノリをつけて平気でプレゼンしてくるベンダー候補を見るような…。社会の窓全開で説教してくる上司を見るような…。

これって、生まれてからずっと日本で暮らしてて、海外に行ったこともない私を侮辱してるように読めるんです。
ゆうさんはアメリカで暮らしてアジア人と意識させられて色々気づいたことがある、ってのは充分わかるのだけれど。

つまり、気づいてない人間を見下してるように読めてしまうのです。
これってわたしの僻みかなぁ。

あと、無色透明=白人と感じてるのは、
日本で暮らす日本人にとって日本という環境は日本人ということを意識しないから(あるいは支配階級だから)無色透明=アメリカでは白人がそれに相当する、ということですか?
(思いっきり私の誤読かもしれないけど。)
  • 2009/08/27
  • DH98
  • URL
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
>日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えているのでは? という指摘については同意していただいているのでしょうか。
「白人に近い位置」というのが何を指すのかまず意味不明ですが、日本に暮らす日本人が人種を意識しない生活を送る上で、「白人」という特定の人種への同一化が必要不可欠だとは思いません。日本で人種を意識しないで暮らしている人で、イチカワユウさんのように白人崇拝が昂じて「白人への同一化」という症状に至る人もいれば、そうでない人もいます。それとも、自分がかつて「脳内名誉白人」気取りという愚行を犯したからといって、日本人すべてを道連れにしなければ気がすみませんか? それこそご自分の批判してらした「植民地化」された意識ではないですか?
DH98さんの仰る「日本で暮らす日本人にとって日本という環境は日本人ということを意識しないから(あるいは支配階級だから)無色透明=アメリカでは白人がそれに相当する」という理屈ならまだ分かりますが。
そもそも、黄色人種だから改まらなきゃいけない(白人なら改まらなくていいの?)という発想が理解不能です。「まるで…歯にノリをつけて平気でプレゼンしてくるベンダー候補を見るような…。社会の窓全開で説教してくる上司を見るような…」という滑稽感を、私はイチカワユウさんに感じます。

それから、横レス失礼します。
> DH98さま
興味深いコメントをありがとうございました。
二世部隊に関して、フェミニズムと直接の関係はないですが、『二つの祖国』という小説を思い出しました。また、ヨーロッパ戦線であれば『戦争は女の顔をしていない』というソ連女性兵士のインタビュー集があります。
  • 2009/08/27
  • 1.
  • URL
  • Edit
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
 なんだか賑やかな論争になっていますが、ただの文章の書き方の問題ではないかなと思います。
 上のエントリは、いつかどこかでも見た「あなたがたは気づいていない」式のユウさん節が出ていて、ある意味でユウさんらしいなと思いました。
 でもそのたびに「上から目線」と捉えられて、肝心のおもしろそうなテーマのほうが議論されないのでは、その「らしさ」も邪魔なものだといえるでしょう。
 今回の場合、とくに「あなたがたは気づいていない」とまでいう必要はないんじゃないかしら。つまり、ユウさんが「わたしは気づいていなかった」という話をするだけで、読者のうち賢明なひとびとは「自分自身はどうだろう」と自問自答するものだからです。つまるところ「わたしは気づいていなかった。あなたがたはどうだろう?」と問いかけたほうがよかったのでは?
  • 2009/08/27
  • Siesta
  • URL
  • Edit
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
初めまして。
私は東京在住で一度も海外で生活をした事がありません。

>日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えているのでは? という指摘については同意していただいているのでしょうか。

そもそも日本で育ち、日本で生活してる人間に
人種を意識しろというのが難しいのではないでしょうか。
日本とアメリカでは環境も全く違いますし、ゆうさんのように
アメリカで実際に暮らして色んな人種の人に接してみないと自分の
人種なんて意識しないと思います。


私の個人的な意見ですが、白人に近い位置に捉えてるとわけではなく
雑誌、映画、音楽、ドラマなどでアメリカ、イギリス、ヨーロッパ
などの情報量が多いんだと思います。
アジアの音楽、ファッションなどはどちらかというと日本よりも
都会的ではなくて、最先端とうイメージがありません。
人種として近く捉えてるのではなく
音楽やファッションが身近なんだと思います。
スタイルが良いとか目が大きい、鼻が高いなど、
日本人が憧れる要素も多いと思いますし。

他国で日本とは違う環境で色んな事を感じる事は良いと思いますが、
ゆうさんが少し前まで自分を白人に近い存在に捉えていて、
つい最近自分の事をアジア人だと意識した事がなかったと気付いたからって日本で生まれ育った日本人達に自分の人種を意識しろというのは少し押し付けがましいというか、書き方に少し反感を買いました。

  • 2009/08/27
  • Otu
  • URL
  • Edit
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
はじめてコメントさせていただきます。

>日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えているのでは?

こちらのエントリに関して重要視されているのは上記のポイントだということでしたので、私なりのコメントを。
私は、日本で生まれ日本で育ち、おそらく一生この日本で暮らしていくと思うのですが、アメリカのドラマや韓国ドラマを観たとき、自らの「黄色性」を意識することはたまにあります。
しかしそれはゆうさんの言われているものとは違うかもしれませんね。
でも、それでいいと思います。ソレくらいの軽い意識でよいのだと思っています。
それよりも、私は「日本人」であることを意識していたい。
日本独自(古来)の文化や音楽、風習を心から愛し、実行すること。「黄色性に気づくこと」よりも大切なことだと思っています。

そんな私ですから、自分を白人に近い存在だと思ったこともなく。
Lは純粋にドラマとして楽しませていただいてます。

  • 2009/08/28
  • 6310
  • URL
コメントありがとうございます。まとめてお返事させてくださいね。

なんだか多くの方に「不快感」を与えてしまったようですね。申し訳ありません。もともと書いている頃から、この文章は多分多くの方(特に生まれて来た時からずっと日本で生活して来た人)にとっては不快だろうなと思っていました。

ただ、「あなたたちも気づいていない」と決めつけれられるのが不快ということですが、これに対しては「不快感は理解しますが、その不快感の表明は、私の主張に対する本質的な批判とは言えないのでは?」という形です。

>そもそも日本で育ち、日本で生活してる人間に
>人種を意識しろというのが難しいのではないでしょうか。
>日本とアメリカでは環境も全く違いますし、ゆうさんのように
>アメリカで実際に暮らして色んな人種の人に接してみないと自分の
>人種なんて意識しないと思います。

とおっしゃっている通り、異人種との混血だったりするケースを除けば、日本国内で生まれ育った「黄色い人」が自らの黄色性について気づかないのは当然のことであるからです。

>「あなたがたは気づいていない」式のユウさん節

と書かれてしまいましたが(汗)日本で育った「黄色人」の多くが、自らの黄色性に気づかない…というかさほど意識しないですむのは、私が言うまでもなく、当然のことではないでしょうか?ていうか、日本で育って自らの「黄色性」を強く意識せざるをえない人がいるとしたら、それは、決してメインストリームの日本人ではなく、何からの特殊な事情を持つ周辺的な方だと思います。(例えば他人種や混血の多いインターナショナル・スクールに通っていたとか。外国から帰国して来た「戻って来た移民」とか。他にもいろいろあるでしょうが)

私自身ははっきりいって白人崇拝(?)していたつもりはありませんし、自分を白人に近い存在だとも思っていませんでした。多くの人もそうでしょう。

そのような「自分を白人に近い存在だと思ったこともない」ごくごく“普通”で“ニュートラル”「日本人」が持っている価値観が、既に「白人より(≒植民地主義的価値観)」である、と思ったのですよ。

例えば、頂いたコメントでもありましたが

>雑誌、映画、音楽、ドラマなどでアメリカ、イギリス、ヨーロッパ
>などの情報量が多いんだと思います。
>アジアの音楽、ファッションなどはどちらかというと日本よりも
>都会的ではなくて、最先端とうイメージがありません。
>人種として近く捉えてるのではなく
>音楽やファッションが身近なんだと思います。
>スタイルが良いとか目が大きい、鼻が高いなど、
>日本人が憧れる要素も多いと思いますし。

確かに、日本のメインストリームカルチャーの素朴な実感は、上で書かれている通りでしょう。そしてそういう状況こそが、私が指摘したことの裏付けになると思うのですが。

だからといって、それを変えるべき!とか、アジアのものを好きになれと言ってるわけではありませんよ。念のため。

一番初めに引用したコメントにて指摘されている通り、日本で生活している民族多数派が「自分の人種を意識しろ」というのは現実的にほぼ不可能だと思いますし、その必要もないのかもしれません。

地球で暮らしてる私たちが、地球人としてのアイデンティティを持っておらず、また持つ必要がないのと同様です。私たちが「地球人」としての自分を意識するのは、火星人や土星人と出会い、彼らから「地球人は…」と言われた時です。地球において火星人や土星人と関わりなく暮らしている地球人が自らを地球人だと感じたことがないとしても、それはそれで別に悪いことではないのでしょう。

だからこのブログのエントリでも、「アジアンプライド」に対しては慎重な立場を取っていますし、日本人はアジア人としての意識を持つべき!という姿勢からは距離を取った上で、「あなた方はアジア人ですよー」という程度の比較的軽めの呼びかけにとどめておいたのです。「アジア人!」と呼びかけられる経験を持つ、というのと、アジア人というアイデンティティを持つということの間には雲泥の差がありますし、私は必ずしも「アジア人アイデンティティを持つべき!」と主張してるわけではない。ただ、このブログエントリで、ちょっと「アジア人!」と呼びかけてみたのでした。

その呼びかけに対してこのような反応が来たこと自体とても興味深く見ています。

特に

>それよりも、私は「日本人」であることを意識していたい。
>日本独自(古来)の文化や音楽、風習を心から愛し、実行すること。「黄色>性に気づくこと」よりも大切なことだと思っています。

というような感受性は非常に興味深かったです。

皆様の貴重なコメントに感謝致します。ありがとうございました。
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  • 2009/08/28
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  • 2009/08/28
Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
ご丁寧なコメントをありがとうございました。

「人種意識うんぬん」については、ちょっと横においておき、コメントのうち字数を費やしていただいた「姿勢」みたいなものについて、改めて考えております。

確かにどういう姿勢で話しかけられるのかによって、その人の言っている内容がどれくらい頭の中に入ってくるか、というのは相当変わってきますね。

それは今こうしていろんな立場の方からいろんな内容のコメントをつけて頂いた私が今実感していることでもあります(笑)

自分の“芸風”として、「戦略的」に毒舌なやりかたをしている、という部分が全くないとは言い切れないかもしれません。

今まで3年間ブログをやってきて痛感したことですが、誰の心にもひっかからないあたらずさわらずの文章では、誰にも読まれない。そして、誰にも読まれない文章は、私の求める「力」を持たないからです。

私は研究者でも文筆家でもなく、このちっぽけなブログ以外には、世間に対する自らの主張の発表の場を一切持ちません。そんな私が少しでもブログエントリのリーチを増やそうとして、確信犯的に人を煽動するような書き方をすることが全くないとは言えません。

ですが、アタシはそういうキャラです!悪いか!と100%自覚的に開き直っている訳ではなく、最近ではそういう戦略の副作用をひしひしを感じているので(効能も感じていますが)、いやはやどうしたものか、と思い悩んではいます。おっしゃるとおり、やはり「不要な摩擦」はさけたほうがよいのでしょう。私の「上から目線」が原因で、私の話し合いたいテーマから話がそれてしまうのであれば、それは確かにもったいないことですし…。

ただ、一つ確認しておきたいことは、私が一番興味があることは、不可避的に社会の構成員の多数に対して「摩擦」を産むことだろいうことです。「確かに“不要な”摩擦」を生むことは得策ではないが…これからも私の書く文章は本質的に常に「摩擦」をはらむものであり、その議論において何が不要であり、何が不要なのかは、一概に決められないと思ったのです。

例えば、私が今回のエントリでの分析は、どんなに注意深く書いて「不要な摩擦」を取り除いたとしても、結局「不快」だとする人はいたと思ったのですね~。←って、でも私が元エントリにおいて、不要な摩擦を換気するような嫌みな書き方をしたのは事実なので、こんな言訳するのはオカしいですが。

というか、ここらへんはおそらく文章の書き方というよりも、自分の人間性に関わってくるので、かなりセンシティブなところなのです(涙)

今回の文章に限らず、ご指摘を受けたように常に「謙虚」さを忘れず、自らの「視野の狭さをも自覚」というのは心に刻まなければいけないと思っております。

と、書くのは簡単ですが、実践するのは非常に難しい…。

特にこのブログの場においては、私は、今後も不用意な発言や極端な意見において、皆さんを不愉快にさせてしまうかもしれないという思いは正直あります(決してそうすることを楽しんでいるわけではないのですが)。

自らも精進していければと思っておりますが、これからももしお気づきの点は是非ご指摘下さい。

文章上は硬直した頑固者のように思えるかもしれませんが、実際には、様々な方から頂いたご指摘、ご批判は全て大切に受け止めているつもりであり、日々移り変わる自分の思考に影響を与えています。(必ずしもそれは自分の意見が誰かと一致するようになることを意味しませんが!)

長くなりましたが、どうもありがとうございました。
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
>私が一番興味があることは、不可避的に社会の構成員の多数に対して「摩擦」を産むことだろう
>例えば、私が今回のエントリでの分析は、どんなに注意深く書いて「不要な摩擦」を取り除いたとしても、結局「不快」だとする人はいたと思ったのですね~。
随分ご自分に都合のいい考え方ですね。
イチカワユウさんの文章がいろんな人に批判されたのはトピックが日本社会のタブーに触れる核心をついたものだからではありません。
単なるアメリカ的価値観の押し売りだからです。
そもそも、国民を「肌の色」でグループ分けしてグループに序列をつけるというアメリカ人的発想自体がおかしいとなぜ思わないのですか。
大多数の日本人がアメリカに行けば「黄色人種」とカテゴライズされて白人に差別される存在だからといって、
「お前ら差別される身分である黄色人種としての身の程を弁えろ!」と白人中心的な序列意識を内面化しろと
アメリカに住んでいない日本人に説教すること自体が無意味なことです。

>本質的な批判になっていない
本質を分かってもらいたければ、もっと何が本質なのか分かりやすい文章を書くべきです。
アメリカにおける人種的カテゴリーと、民族的カテゴリーをごっちゃにして、
それで日本に住む非アメリカ人の人種意識・民族意識を説明・評価するエントリのどこが「分析」なのでしょうか。
イチカワさんが書くべきことは、自分がそれを受け入れてしまったら差別の対象になる人種意識を無意識に内面化して、
それが人種差別的主義言動として現れてしまう人の愚かさへの批判ではないのですか(某政治家とか)?
「日本人」が在日外国人、中国人や韓国人、フィリピン人を差別するのは肌の色が理由ではありません。
民族差別・外国人差別です(同じ理由で、「先進国」アメリカの黒人が日本で差別を免れることもあるはずです。そして、実際には白人であっても社会の「異分子」として差別にあうのは前も申し上げました。)
アメリカ人から見れば「同じアジア人なのに」とイチカワさんは言いたいのかもしれませんが、
アメリカ人がどう思うかは、私には本当にどうでもいいです。

>自分の“芸風”として、「戦略的」に毒舌なやりかたをしている、という部分が全くないとは言い切れないかもしれません。
>これからも私の書く文章は本質的に常に「摩擦」をはらむものであり、その議論において何が不要であり、何が不要なのかは、一概に決められないと思ったのです
アメリカ人の価値観を普遍化して、お前らそれを知らないだろと自分が「アメリカに住んでいる」という理由だけで、
「アメリカに住んでいない人」を見下して「アメリカではこれが普通だ、だから日本人もこう考えるべきだ」というのは「挑発的なレトリック」とは言いません。
根拠を欠いた、幼稚な価値観の押し付けというのですよ。
私から見ればイチカワユウさんは典型的な海外に住んだ/住んでいたというだけで他の日本人より偉い、正しいと思っている典型的なイタい「脳内名誉白人」です。
決め付けとか、自分がそうだったから他の日本人もそうに違いないという思い込みに基づいた議論展開が多すぎます。
小山エミさんとかは、挑発的なレトリックでも一定の成功をおさめている好例だと思いますよ。
豊富な知識と用意周到な理論武装と何を伝えたいのかという明確な目的意識を備えて入れば、挑発的なレトリックでもメッセージは伝えられます。

最後に、スパイク・リー監督(念のため、黒人の監督です。主な作品は「マルコムX」など)「セント・アンナの奇跡」で印象に残った台詞を書いておきますね(細かい間違いはあるかもしれませんが、趣旨は間違っていないと思います)。
「不思議だ。アメリカとちがってここ(第二次世界大戦末期のイタリア)では俺は『黒人(ニガー)』でなく、『俺』でいられる。イタリア人は、黒人差別を知らない」
  • 2009/08/28
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Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
ついでにツイッターでyamtomさんの「アメリカにおいて「アジア系」ってアイデンティティを初めて意識した」という言葉を聞いて書いた違和感を感じておきます。
というのも、「日本人はアジア人」という「呼びかけ」自体が、少なからぬ日本人にとって皮膚の色以前に「大東亜共栄圏」という言葉を思い出させるものではないかと思ったからです。
「大東亜共栄圏」自体、高校の教科書に太字で書いてあるレベルの重要なキーワードで、終戦の日にテレビをつけていれば何度も耳に入ってくる言葉ですので、別にわざわざアメリカまで行かなくても、日本人なら一般教養として「日本人はアジア人」という意識を持っていると思いますが、いかがでしょう。
それとも、イチカワユウさんやyamtomさんは教科書を読んだり、終戦の日に第二次世界大戦を扱ったテレビ番組をみるような環境でお育ちにならなかったのでしょうか(まさかそんなことはないと思いますが)。
問題にされるべきは、日本人一般の人種意識や民族意識や、アメリカ人の価値観ではなく、アメリカまで行かないとそれを思い出せないという個人の資質のような気がします。(私は在日コリアンや韓国・北朝鮮出身の知人の前では、軽々しく「我々アジア人」と口にできません)

最後に、ウィキペディア「大東亜共栄圏」項目からの引用を貼り付けておきますね。
「戦後、日本政府が強い主導権を発揮して政治的にアジア諸国を纏めようとすると内外から「大東亜共栄圏の復活」と揶揄されることも多く、ODAを多用した「ばらまき外交」に徹するトラウマになったとの指摘もある。」
日本人が「アジア人よ!」と叫び辛くなったのはこういう国内外における抑圧もあるからかもしれません。
  • 2009/08/28
  • 1.
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Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
1さんが引用されたスパイク・リー監督の映画の台詞にすべてが集約されているように思います。
ユウさんの書かれた文章の言葉の選び方や内容については確かに議論を呼ぶかもしれませんが、
人種の自覚に関しては様々な意見があって当然なのでこれ以上のコメントもありませんがひとつ知りたいのが、

アメリカに渡って気がついたことというのが「自分は肌の黄色いアジア人」だということで、それに付随して
「日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えている」と考えるようになったのですよね。それはそう思うように導かれているアメリカ社会の独特さにも気づかれたうえでの発言だったのでしょうか。

  • 2009/08/28
  • una chica
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Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
una chica さん

こんにちは初めに頂いたコメントについていろいろ考えていたのですが、何もレスできてなくてすみません。

> アメリカに渡って気がついたことというのが「自分は肌の黄色いアジア人」だということで、それに付随して
> 「日本において育った多くの黄色人種が自らの「黄色性」に気づいておらず、自らを「無色透明」=実質的には限りなく白人に近い位置にいるものとして捉えている」と考えるようになったのですよね。それはそう思うように導かれているアメリカ社会の独特さにも気づかれたうえでの発言だったのでしょうか。

そうですね。確かに、私は自分のいる社会の「独特さ」に十分気づいていたとは言えません。皆さんのコメントを通じて(匿名コメントやついったーでの指摘も含め)そのことを教えて頂き、初めてなるほど…となってる次第であります。

una chicaさんの一番初めの、混血が当然のように非白人にカテゴライズされている、つまり、有色人種/白人を初めとする人種カテゴリ自体、作られた枠組みであるんだよなーという指摘についてははっとしてずっとそれから考えていました。

ただ、その上で、私が感じた日本文化に対しての実感を、ではどのように書き直すことが適切であるのか、今考えている最中です。

また思いついたら書きますので、何か気づいたら教えてください。コメントありがとうございました。
Re: Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
皆さんから頂いたご指摘について考えていました。

つまり、

1)
私は元エントリにおいて、日本人が、「自分は黄色い!」という意識を持っていない…ということを私は感じて、それを指摘したわけですが、

実は、この「自分は黄色い!」と感じる見方そのものが、アメリカ西海岸的なもの(←特殊)であり、別に日本にいる日本人がそんな感じ方をする必要がない、という指摘を皆さんから、うけた、と私は捉えています。そしてそれは言われてみれば、確かにもっともな指摘だと思います。

★ ★ ★

2)
で、私が指摘したかったことがもう1つあってどちらかというとこちらが本質なのですが、自らの黄色性を意識しない日本人は(←てか、これ自体は別にもう意識しなくていいんですが)無意識のうちに自らを「白人」として捉えているのでは?つまり、日本人は無意識に自らを「アジア」という枠組みではなく、どちらかというと西洋的な主体に同化したうえで「アジア」を他者として見ているような気がしたんですね。それこそ「名誉白人」的な位置に自らをおいているような気がして、そういう思いが、アジア蔑視にも関係しているような気がしました。

それは、個人な私の気持ちとか誰かの気持ち、というよりは、私が今日、日本の雑誌や広告などをみて感じるようになったことです。

1)についての認識について皆さんから批判を頂いた点について、自分の認識のフレームの限界、というかゆがみが見えて来たのですが、2)についてはどうなのでしょうか。
Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
2)について

日本の欧米人崇拝とアジア人蔑視は経済力と帝国主義の歴史とからきていると思います。
ただ、日本の貧乏国蔑視や帝国主義が白人至上主義的な人種間の序列や美意識を根拠として成立しているかどうかは私には分かりません。
第二次世界大戦前には韓国や満州の王族と日本の皇族を政略結婚させていましたが、
日本の皇族が同盟国であるドイツやイタリアから結婚相手を探したという話は聞いたことがありませんし
(もしかしたらあったのかもしれません。明治期にはハワイ王朝との縁組が取り沙汰されましたね)、
現在はますます純血主義になっているような気がします。
アメリカの黒人を差別の対象とする一方で(「黒人がいるからアメリカは生産性が低い」とか随分昔に言った政治家がいたと思います)、
山田詠美の描写するようなアメリカの黒人文化に憧れる日本人もいますし、
国家や民族の問題と捉えた方が私はしっくりきます。
私はイチカワユウさんが、どうしてそこまで人種にこだわるのか興味があります。

美意識はどこからどこまで意識的なもので、どこからどこまで無意識か分からないので、複雑だと思います。
イチカワさんがご覧になった雑誌が何か分かりませんが、
女性向きファッション雑誌(それだけが日本のメインストリームメディアとは思いませんが)だとすると、
そもそも女性向ファッション雑誌のほとんどが最初はエルとかヴォーグとか白人中心の国の雑誌の輸入で、
おフランスとかおアメリカのハイソ(?)な雑誌というイメージを保つために、あえて日本人モデルの露出を抑え、
本国でステータスのあるモデルを使うのではないかということも考えられますし、
後発の日本製の雑誌もそのスタイルを踏襲しただけとも考えられます。
黒人は黄色人種より白い肌とまっすぐな髪への憧れが強いとも聞きますが、
彼らが黄色人種より白人に同一化する度合いが強いかどうかは疑問です
(どうでもいいですが、「白人」「黒人」はよく使うのに、「黄人」はあまり使いませんね)。
ファッション業界に詳しい人からみたら頓珍漢かもしれませんが、個人的見解としてご笑覧いただければ幸いです。
  • 2009/08/28
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Re: Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
こんにちは。
コメントありがとうございます。

> 日本の欧米人崇拝とアジア人蔑視は経済力と帝国主義の歴史とからきていると思います。
> ただ、日本の貧乏国蔑視や帝国主義が白人至上主義的な人種間の序列や美意識を根拠として成立しているかどうかは私には分かりません。

「日本の欧米人崇拝とアジア人蔑視」という意識の存在については同意です。

私自身は上を痛感したのが、「人種」というきっかけでしたが、その意識の「原因」が「人種」意識であるとは言っていません。

言葉を変えて言うと、

>日本の貧乏国蔑視や帝国主義が白人至上主義的な人種間の序列や美意識を根拠として成立している

ということを私は主張していません。

人種ではなく、国家や民族の問題と捉えた方がよいのでは?というのは確かにおっしゃる通りかもしれませんね。教えて頂いたことなどを手がかりにいろいろ考えてみたいと思います。

★ ★ ★

雑誌についてですが、今回改めてみてみたのは、女性ファッション紙&美容雑誌であり、確かに観測範囲は狭いのですが、それを前提にもう少し書いてみますね。

>あえて日本人モデルの露出を抑え、
>本国でステータスのあるモデルを使うのではないかということも考えられますし、
>後発の日本製の雑誌もそのスタイルを踏襲しただけとも考えられます。

モデルの起用においては、確かにおっしゃるような事情があるでしょう。別に白人や混血モデルを使うことが問題だとは全然思いませんし、変えるべきとも思いません。

ただ、そういうカルチャーにおいてあたかも「人種」を気にせずに消費しているかのような文化が面白いなーと思ったわけですよ。

もちろん、そういう「人種」を気にしないですむ、というのは特権であり、素晴らしい点もあると思います。本文中にも音楽ファンのたとえとしてそれは書きましたし、アメリカ的な人種概念…それは決して普遍的な本質などではないということを皆様に教えて頂きましたが…を日本にいる人が身につけなければいけないというわけでも、もちろんありあせん。←ここは強調しておきます。

ただ、リアルな生活においては、いかにも“ガイジン”な「白人」が隣にいたら、めちゃくちゃ「有徴化」し、排除するであろう日本文化が、ファッションなど一部の文化の表象においては、「白人」が「白人」であるともさほど意識されず、ナチュラルに「人間」の表象であるかのように受け止められ流通している…それが非常に面白いと思ったのです。
レスありがとうございます
>私自身は上を痛感したのが、「人種」というきっかけでしたが、その意識の「原因」が「人種」意識であるとは言っていません。
「無意識のうちに自らを「白人」として捉えているのでは」と書いてあり「西洋的な主体に同化したうえで「アジア」を他者として見ている」と否定的なニュアンスで書いてあったので、そう理解しただけです。

>モデルの起用においては、確かにおっしゃるような事情があるでしょう。別に白人や混血モデルを使うことが問題だとは全然思いませんし、変えるべきとも思いません。
私は是非は論じてません。
そう言えば、エステのCMで日本人という設定の女の子が、エステに行って返信して「ナオミよ~」とナオミ・キャンベル(もちろん黒人)の姿で現れるものがありました。
もしかしたら白人崇拝というよりも、人種に関わらず本場のモデル(黒人も少数派ですが、黄色も少数派)を使うことでハイ・ファッションを表現しているのではないかという気もします。ハイ・ファッションの本場は残念ながら欧米ですので……。もちろん雑誌にもコストがありますから、パリコレとかでばりばり活躍するようなモデルはいつも雇えません。その場合、有名モデルに似た東欧出身(出身国の賃金が日本より安い)の無名モデルを安く雇って代わりにしているのではないか? と思います。
ハーフモデルが好まれることについては個人的な仮説があって、彼女たちは日本人にとって「親しみやすさ」と「ハイファッションぽさ」を同時に出せる存在なのではないかと思います。ですので、ハーフであっても金髪碧眼で全く日本人の血を引いているように見えないモデルは、エビちゃんのようにライフスタイルやキャラクターを売るモデルにはなれないと思います。
ただ美しい写真を眺めるだけでもいいハイ・ファッションの雑誌と、実用的な通販のカタログ(表紙だけ白人とか)ではまた違いがあるかもしれませんね。

>カルチャーにおいてあたかも「人種」を気にせずに消費
時々、ドレッドヘアの「日本人」の男女をみます。
レゲエとかヒップホップとかはアメリカとは違うやり方で「黒人文化」として消費されているような気がしますが、いかがでしょう。
そもそもこんなに人種の住み分けが厳格なのはアメリカと南アフリカぐらいでは?とブラジルやキューバの話を聞いて思います。

>日本にいる人が身につけなければいけないというわけでも、もちろんありあせん。
お前に言われんでも分かっとるんじゃ! お前に命令される筋合いはないわ!というマジレスはさておき、老婆心ですが、「啓蒙」と誤解されたくないときは「~と自分は思っている」と個人的な見解とはっきり分かるように、きっちりマークアップされた方が誤解が少ないのではないでしょうか。米語のレトリックと違って自分の考えを普遍的真理であるかのように話す必要はないと思います(米語にそこまで詳しくないので、印象論ですが)。

>「白人」が「白人」であるともさほど意識されず、ナチュラルに「人間」の表象であるかのように受け止められ流通している
前述の理由で、私はファッション雑誌で白人モデルが多用されるのは「ハイ・ファッションぽさ」を出したいがためであり、日本人が白人モデルを「ナチュラル」に「人間」の表象として見ているとは思いません。
  • 2009/08/29
  • 1.
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アメリカの鳩山氏批判
「在日」日本人の「アジアン・アイデンティティ」は旧植民地だけではなく、アメリカ様からもどやされるようですね。「アジア」を持ち出したとたんに「反米」と解釈するアメリカの思考回路もすごいですがw

以下読売新聞のオンライン記事から引用


民主・鳩山氏「米紙論文、反米ではない」

8月31日22時4分配信 読売新聞
 鳩山代表は31日、党本部で記者団に対し、米国のニューヨーク・タイムズ紙に掲載された鳩山氏の論文が米国内の一部から批判されていることについて、「決して反米的な考え方を示したものではないことは、論文全体を読んでいただければわかる」と強調した。

 論文は、米国主導のグローバリズムや市場原理主義を批判し、アジア中心の経済体制の構築などを主張している。鳩山氏は「寄稿したわけではない。(日本の)雑誌に寄稿したものを、抜粋して載せたものだ」と述べた。
  • 2009/09/01
  • 1.
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Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
私は議論の「摩擦」を肯定的にとらえていますよ。
ゆうさんのブログを読んでは頷き、またそのブログへのコメントを読んでは頷き、またまたゆうさんの再コメントを読んでは頷くといった振り子のようなヘナヘナした読者ではありますが(汗)、こうした議論の応酬は自分の視野を広げてくれるので重宝してます。
議論の応酬・摩擦・軋轢の中で、ステレオタイプな内容を崩していくことに意味があると思います。
  • 2009/09/02
  • idoido
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Re: 私の肌が黄色いということを私は知らなかった
通りすがりです。私は東京に暮らす日本人ですが、ゆうさんの意見にリアリティは感じません。ただひたすらパフォーマンスせざるを得ない国で暮らす、ゆうさんの苦労を感じました。昔の自分を見るようなのでコメントします。

境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵なんだ、ということに気づいている人が、もう既に多く存在する状態だと私は実感しています。なのでアジア人、とか黄色、とか言われても逆に?な感じです。これは個人的な感覚ですが、「アメリカ的なナニカ」を目指すことは、時代を逆行している感があります。

私の職場では人種も学歴も性別も国籍もゲイもストレートも関係なく働いています。これは日本だから、東京だから、ということではなく、共感できる人たちを集めたらそうなったということです。そういう時代になっていると思います。

1.さんのコメントは、数年前にガツンと言われたいこと満載でした。私自身は自分の周囲の摩擦を日本という環境のせいにして、脱出して居場所探しをしていただけだったのですけどねw。自分が無意識に受けてきた影響を一旦見直した経験があります。

ゆうさんが自由に書くからこそ、この議論を読めて、自分の経験を再度反芻ことができました。感謝します。

  • 2009/09/10
  • のり
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