「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権

私の肌が黄色いということを私は知らなかった」というエントリについて、コメントを頂いたのでご紹介です。

通りすがりです。私は東京に暮らす日本人ですが、ゆうさんの意見にリアリティは感じません。ただひたすらパフォーマンスせざるを得ない国で暮らす、ゆうさんの苦労を感じました。昔の自分を見るようなのでコメントします。

境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵なんだ、ということに気づいている人が、もう既に多く存在する状態だと私は実感しています。なのでアジア人、とか黄色、とか言われても逆に?な感じです。これは個人的な感覚ですが、「アメリカ的なナニカ」を目指すことは、時代を逆行している感があります。

私の職場では人種も学歴も性別も国籍もゲイもストレートも関係なく働いています。これは日本だから、東京だから、ということではなく、共感できる人たちを集めたらそうなったということです。そういう時代になっていると思います。

1.さんのコメントは、数年前にガツンと言われたいこと満載でした。私自身は自分の周囲の摩擦を日本という環境のせいにして、脱出して居場所探しをしていただけだったのですけどねw。自分が無意識に受けてきた影響を一旦見直した経験があります。

ゆうさんが自由に書くからこそ、この議論を読めて、自分の経験を再度反芻ことができました。感謝します。


http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1663.html#comment3022


まずは、コメントありがとうございます。「東京に暮らす日本人」であるのりさんが、私の意見にリアリティを感じないというご感想については、反論するまでもなく「なるほど…」というしかないのですが、「境界線」や「枠」についてちょっと書かれている内容が気になったので別エントリにさせてもらいますね。

境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵


なるほど。「境界線」や「枠」は必ずしも必要とは限らないと私も思いますし、意識しないですむのなら、それが一番だと私も思います。そういう意味で、境界線や枠を意識しないで考えを持つことは確かに「素敵」なのかもしれません。

ですが、「境界線」を意識しないですむ、というのは、ある意味恵まれている立場にいるからです。そういう恵まれた立場から「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言い切ってしまうことには、ちょっと違和感があります。

というのは、誰しも「境界線」を意識したくて意識しているわけではなく、それは常に他者によって意識させられるものだと思うからです。他者から何度も繰り返し呼びかけられることにより、その「境界線」によって区切られた「枠」は自らを示すものとして、ほぼ押しつけられているのです。

「境界線」や「枠」がいいとかわるいとかに関わりなく、社会において様々な「境界線」はどうしようもなく存在する。その「境界線」の存在など一度も意識せずに生きていく人もいれば、毎日の生活の中で、絶え間なく「境界線」を意識せざるをえない人々もいる。←それを「苦労」と捉えるかどうかは、また別の話。(私は個人的には、人種についてセンシティブになってしまった現状を別に「苦労」だとは感じていません)

「境界線」や「枠」を意識しないですむ、というのは、ある意味の特権だと思います。言い方を変えると、「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言い切ってしまえることこそがどうしようもなく恵まれてるのです。

あなたが、日本において「アジア人」だの「黄色い」だの「日本人」だのという「枠」を意識しないですむというのは、ある意味多数派日本人であればあたりまえのことであって、例えば、日本において民族少数派であったなら、そういう風に無邪気に「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」なんだと言えるのでしょうか?また、帰国子女なり、混血児が自らのアイデンティティを模索した結果「アジア人アイデンティティ」なり「日本人アイデンティティ」を持つにいたった時に、そのアイデンティティという「枠」を意識しないですむことこそが「素敵」なのに、と言えるのでしょうか。

もちろん、個人的な態度としては、「呼びかけ」に答えず、「境界線」を徹底的に無視する、というアプローチもありです。「アジア人」「日本人」「女」…という呼びかけを徹底的に拒否することも私にはできる。ですが、現実においては「呼びかけ」に答えようが答えまいが、私たちは勝手にカテゴライズされつづける。特に人種など目に見える「枠」は、自らがどう答えようが、勝手にあてはめられる。はらってもはらっても、覆いかぶさってきます。その「枠」は確かに構築物かもしれない。けれど、それは誰かの頭の中にだけある幻想の概念ではなく、現実に厳然と存在し、社会の中で具体的に機能しているものなのです。

あなたの職場が「人種も学歴も性別も国籍もゲイもストレートも関係なく」働ける場所であることは、本当に素晴らしいなと思います。ですが、今の世の中がおしなべて「そういう時代」になっているとおっしゃるのであれば、それはかなりおめでたい世間認識ではないかと思います。

あと、確認しておくけど、私は、別に「アメリカ的なナニカ」を目指すべきだとは全く思いません。確かに元エントリにおいて「黄色い」「アジア人」などの分類については、現在アメリカで流通している人種カテゴリを使いましたが、それに基づいてアメリカのアジア人がしているような「黄色人」としてのアイデンティティを持つべきだとは必ずしも思いません。実際アメリカで盛んに行われている「アジアンプライド」的なムーブメントに対しては違和感を感じる、と元エントリにも書いておきました。また、人種の分類は、社会的に構築された恣意的なものであり、必ずしも本質的でないことも、複数の方にご指摘を頂いた結果、徐々に見えてきました。

ただ、私が今どの国にいようといまいと、日本における多数派が、(アジア人アイデンティティうんぬんはおいておいて)自らの人種や民族についての「枠」や「境界線」を意識する機会が少ないまま生きてこられた、というのは私の決めつけ、というよりも、ある程度客観的な事実だと思うのですよ。←元エントリーに対していただいたフィードバックのいくつかによると、それにすら同意いただけない方もいらっしゃるようですが、私はそれには同意できません。感情的に反発したくなるのは理解できますが、社会において多数派が自らを多数派たらしめている特質について思いを致すことは少ない、それはいいとかわるいとかじゃなく、どうしようもない現実だと思っているので。

もちろん、個々の事情によって、例外はあるでしょうし、皆無とは言いません。ですが、一般的に、右利きの多くが自らの聞き手について常に思いをはせずにすむのが、端的に事実であるようなのと同様に、日本人のマジョリティーは自らの人種性について考えないですんできていることは否定できないと思うのです。(←それが「よくない」とか「意識しろ!」とか言ってるわけではないです。繰り返しになりますが、念のため)

多数派日本人の中でも、帰国子女、混血、島出身、インターナショナル・スクール出身、家族に外国人がいる、出身地…などなどいろんなケースにおいて、「日本においてもつねに、人種、民族、その他さまざまな特質などを意識させつづけられ」アイデンティティ形成を持つのに苦労したという層はいるでしょう。でもそれは彼らが「境界線」によって「少数派」にカテゴライズされるからこそであって、「多数派」は自らを「多数派」の側においやる「境界線」を意識することは少ないし、意識しないでもすむことがほとんど。それを意識するきっかけは、人によってさまざまなきっかけがあるでしょうし、別に何も外国に行く必要なんてないわけですが。(私の場合は人種については、自らが少数派になってみて初めて意識したわけですが、そんな経験をせずとも、自らの人種について意識する人は大勢いらっしゃることでしょう)

ただ、何かしらの“きっかけ”がないかぎりは、多くのケースにおいて多数派は「境界線」を必要としないし、むしろ「境界線」が存在することにすら気づかないよね。と思うのです。(←で、私はここで、「多くのケースにおいて」と書いているので、いやいやこんな例外がある、とかいわれても困っちゃうわけです。例外があるとしても、圧倒的多数がそうでしょ?という指摘の妥当性は変わらないと思いますので)

下手すると「境界線」の存在に気づいたうえで、その「境界線」が社会においてどんな役割を果たしているのか十分吟味することもなく、「境界線とか、枠はいらない」とかあっさり言ってしまえる。これこそはまさしく「多数派」の「特権」であり、いやがおうにも常に「境界線」の存在を意識させられ、「境界線」と自分との距離を測ることなしには存在を許されない立場の人間からすると、ため息がでるほど、恵まれているものだと思います。

ということで、要約しますと、私は決して「境界線が必要」だと主張はしませんが、「境界線を意識しないことが素敵」と言い切ってしまうことには問題を感じるということでした。


あと補足になりますが、のりさんは、私の文章を読み、「昔の自分をみるよう…」と感想を抱かれていて、どういうところでそう思われたのか謎なのですが、私は「自分の周囲の摩擦を日本という環境のせいにして、脱出して居場所探しをして」いるわけではないです。そこのところまでご自分と重ねて読まれているかは分かりませんでしたが、一応念のため(笑)

のりさんがどの地域で海外生活を送られたのかわかりませんが、自らの人種や国籍について改めて思いを致すことなく海外生活を送られたのだとすれば、それ自体が非常に興味深いなあーと思いました。詳しく知りたいです。
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comment

Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
のりさんというか前エントリにコメントを寄せた人たちのほとんどがイチカワさんの意見にリアリティを感じない(そして話がかみ合わない)のは、単にイチカワさんのアメリカ中心(アメリカ>日本)的なものの見方のせいだと思います。


>私は個人的には、別に人種についてセンシティブになってしまった現状を「苦労」だとは感じていません
自分がアメリカで「黄色人種」として差別されるのも至極当然のことだし、奴隷制度を前提としたアメリカの人種差別も当然だというわけですね。
うわあ……。
私にはとうていついていけない考え方ですが。


>特に人種など目に見える「枠」は、自らがどう答えようが、勝手にあてはめられる。
>その「枠」は確かに構築物かもしれない。けれど、それは誰かの頭の中にだけある幻想の概念ではなく、現実に厳然と存在し、社会の中で具体的に機能しているものなのです。
人種というカテゴリは自然に出来たものではなく、人間が構築したもので、人種差別のためにあるものです。
人種、そして人種差別などのマイノリティ差別は「制度」です。
そういう「制度」を撤廃できないと、イチカワさんはなぜ考えるのでしょうか。
のりさんの言いたいことはそういうことだと私は考えています。


>圧倒的多数がそうでしょ?という指摘の妥当性は変わらないと思います
指摘に「妥当性」が生じるのは、イチカワさんのいう「圧倒的多数」が客観的に圧倒的多数である場合に限ってです。アメリカ=「圧倒的多数」とか、若い女性向けファッション雑誌=「圧倒的多数」とか言われても……。


>いやがおうにも常に「境界線」の存在を意識させられ、「境界線」と自分との距離を測ることなしには存在を許されない少数派からみたら、ため息がでるほど、めぐまれている
上に書いたように、多人種国家の中でも特に人種差別の厳しいアメリカの現状に本当に満足しているなら、日本在住の日本人は「人種を意識しなくてすむから恵まれた存在」とかいう言い方は必要はないと思うのですが?


何度も繰り返しますが、多人種国家でもアメリカの人種差別は特に厳しいです。
そういう国の人種意識を、世界中の人間が共有する必要はないし、実際にしていません。
中央アジアも白人と黄色人種が混在する地域ですが、そこで両人種の間にアメリカのような住み分け・序列関係ができているでしょうか。
アメリカの人種意識を日本人が共有していないのを恵まれているというより、単にアメリカが特殊で、奴隷制度の歴史のせいで人種というカテゴリに異常にこだわる国だという方が正しいと思うのですが。
中央アジアなんか例外、というならそれこそアメリカ=日本にとっての外国すべて=世界というアメリカ中心的なものの見方をしていることの証拠です。
こんなエントリを書かれる前にアメリカ中心的なものの考え方を見直されたほうがいいのでは。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
  • Edit
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
このエントリに関する、Twitterのコメントを引用させていただきます。

>それらの批判は「多数派日本人が自らの色なり民族について考えないできてて、自分を透明な「人間」だと思ってるのでは」的な指摘を覆すものではあんまりないと思ってるんだよね。

「国民国家」というカテゴライゼーションで「日本人」とカテゴライズされた人たちが、日本以外の国家でマイノリティとしてカテゴライズされることのどこが不思議なのか、私にはさっぱりわかりません。
「日本人」が「日本以外の国」でマイノリティである理由を、イチカワさんは人種や民族という「本質」に還元したいように読み取れるのですが、私個人はまったく同意できません。
民族や人種という概念も、フィクションであることはいろんな人が論じているとおりです。
ちなみに「国民国家」は「一民族一国家」という幻想を前提としているので、アメリカにおいてはその虚構性が特に目立つものではありますが。
個人的には、人種や民族という概念がフィクションでありながら、制度としてどう社会の中で機能しているかを注意深く見なければと思いますが、そのためにアメリカに行ったり、アメリカ的なものの考え方をすることは必要ではないと思います。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
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Re: Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
> >私は個人的には、別に人種についてセンシティブになってしまった現状を「苦労」だとは感じていません
> 自分がアメリカで「黄色人種」として差別されるのも至極当然のことだし、奴隷制度を前提としたアメリカの人種差別も当然だというわけですね。

そんなこと言ってません。どこをどう読んだらそう読めるんですか!?

> >特に人種など目に見える「枠」は、自らがどう答えようが、勝手にあてはめられる。
> >その「枠」は確かに構築物かもしれない。けれど、それは誰かの頭の中にだけある幻想の概念ではなく、現実に厳然と存在し、社会の中で具体的に機能しているものなのです。
> 人種というカテゴリは自然に出来たものではなく、人間が構築したもので、人種差別のためにあるものです。
> 人種、そして人種差別などのマイノリティ差別は「制度」です。
> そういう「制度」を撤廃できないと、イチカワさんはなぜ考えるのでしょうか。

マイノリティ差別という「制度」は撤廃できると考えていますし、それに向けて、何かしたいと常に望んでいます。

私が、> そういう「制度」を撤廃できないと、考えると、あなたはなぜ考えられるのですか?

> のりさんの言いたいことはそういうことだと私は考えています。

ふうむ。

「境界線」なり「枠」はいらない。また、それに基づく差別はないほうがいいなどという点では一見私も同じ立場です。ですが、私の解釈では、のりさんのおっしゃるような「境界線を意識しない方が素敵」方式の考えでは、かえって差別は温存されると思います。


> >圧倒的多数がそうでしょ?という指摘の妥当性は変わらないと思います
> 指摘に「妥当性」が生じるのは、イチカワさんのいう「圧倒的多数」が客観的に圧倒的多数である場合に限ってです。アメリカ=「圧倒的多数」とか、若い女性向けファッション雑誌=「圧倒的多数」とか言われても……。

若い女性向けファッション雑誌は一つの例にすぎません。
多数派「日本人」が民族や人種について考えたことないのが「圧倒的多数」でないと思える方が逆に不思議です。

> >いやがおうにも常に「境界線」の存在を意識させられ、「境界線」と自分との距離を測ることなしには存在を許されない少数派からみたら、ため息がでるほど、めぐまれている
> 上に書いたように、多人種国家の中でも特に人種差別の厳しいアメリカの現状に本当に満足しているなら、日本在住の日本人は「人種を意識しなくてすむから恵まれた存在」とかいう言い方は必要はないと思うのですが?


えーと?すいません。
何を書いてるのかわかりません。
日本在住の日本人は「人種を意識しなくてすむから恵まれた存在」だと思います。

> 何度も繰り返しますが、多人種国家でもアメリカの人種差別は特に厳しいです。
> そういう国の人種意識を、世界中の人間が共有する必要はないし、実際にしていません。
> 中央アジアも白人と黄色人種が混在する地域ですが、そこで両人種の間にアメリカのような住み分け・序列関係ができているでしょうか。
> アメリカの人種意識を日本人が共有していないのを恵まれているというより、単にアメリカが特殊で、奴隷制度の歴史のせいで人種というカテゴリに異常にこだわる国だという方が正しいと思うのですが。
> 中央アジアなんか例外、というならそれこそアメリカ=日本にとっての外国すべて=世界というアメリカ中心的なものの見方をしていることの証拠です。
> こんなエントリを書かれる前にアメリカ中心的なものの考え方を見直されたほうがいいのでは。

アメリカが特殊なことは何度もご指摘いただき理解できました。感謝しています。

ですが、それ以外の点では、残念ながら、なかなか同意ポイントがないですね。私が今回書いていることは、必ずしも「アメリカ中心的」ではないと思います。
Re: Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
> 「日本人」が「日本以外の国」でマイノリティである理由を、イチカワさんは人種や民族という「本質」に還元したいように読み取れるのですが、私個人はまったく同意できません。

私はアジアの某国・地域でも、外国人としてのマイノリティである経験をしていますが、そこでは、「人種」に絡めて自らを意識することはありませんでした。自分が自分のものとしてもっていなかった特質を事後的に獲得したのは人種が初めてだったので、意識したまでです。

あと、私の考え方って、そんなに「アメリカ的」ですか!???

元エントリはさておき、今回のエントリがそんなに「アメリカ中心的」だとはまったく思えないのですが…。
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
>あと、私の考え方って、そんなに「アメリカ的」ですか!???

例えば、何の前提もなく、「日本在住の日本人は「人種を意識しなくてすむから恵まれた存在」だと思います。」とアメリカ在住の日本人の立場を普遍化する書き方ですね。ウズベキスタン在住の白人と黄色人種の混血児(笑)や、中国在住のチャイニーズや、日本在住の日本人からすれば、「そんな人種差別の激しいところに済むなんてかわいそう」という書き方になるでしょう。そういうことです。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
  • Edit
Re: Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
> >あと、私の考え方って、そんなに「アメリカ的」ですか!???
>
> 例えば、何の前提もなく、「日本在住の日本人は「人種を意識しなくてすむから恵まれた存在」だと思います。」とアメリカ在住の日本人の立場を普遍化する書き方ですね。

え、それは別にアメリカ在住の日本人の立場を普遍化しているわけではありませんよ。

元コメント主の「のり」さんが、「日本在住」であることを明らかにしたうえで、人種などの(と私には読めました。文脈からしてそうですよね)「境界線」や「枠」を意識しないですむのが素敵であり、今はそういう方向に、時代は進んでますよー的な文脈でコメントしてくださったので、それに対して、「いやいや、そういう風に「枠」とかいらね、と言えるのは、恵まれているからでは?」という答えで書いたまでです。

ウズベキスタン在住の白人と黄色人種の混血児(笑)や、中国在住のチャイニーズや、日本在住の日本人からすれば、「そんな人種差別の激しいところに済むなんてかわいそう」という書き方になるでしょう。そういうことです。

上の例えは、文脈を無視するものであり、激しく不適切だと思います。私の今回のエントリのどこがどうアメリカ中心的なのか具体的にご批判下さい。また、ウズベキスタン在住の白人と黄色人種の混血児に「人種」についてどう思うのか、本気で興味あります。聞いてみたいです!
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
議論以前に、日本語の書き方の問題ですね。
ののしり言葉を使わないのが最低限の礼儀、と胸を張って仰る方に説明するのにだんだん徒労感を覚えてきたのですが。

>私の今回のエントリのどこがどうアメリカ中心的なのか具体的にご批判下さい。
「書き方」がそうだと具体的に批判しましたけど。

>え、それは別にアメリカ在住の日本人の立場を普遍化しているわけではありませんよ。
イチカワさんはそう仰るつもりがなくても、特に断り書きがないと「普遍的な立場からの意見」として読むというお約束があるからです。普遍化したと誤解されたくないなら、「アメリカ在住の日本人としては」と限定した書き方をされた方がよろしいのでは。
それに、そもそも「恵まれている」「かわいそう」という評価そのものが、相対的であり、書き手の立ち位置に依存したものです。
「誰」からみて、日本在住の日本人が「恵まれている」と書くのは、マイノリティ差別の構造を明らかにする上で必要なのでは。「人種差別の激しいアメリカ在住の日本人から見れば、日本に住む日本人は恵まれている」と書かれて、反発する人はそこまで多くはないでしょう。

>「いやいや、そういう風に「枠」とかいらね、と言えるのは、恵まれているからでは?」
そういうことを言いたいのだったら、「人種差別をデフォルトとする国から見て相対的に恵まれている「日本」に住む「日本人」」よりも、マシな例がいくらでもあったはずというのが私の正直な感想です。もっとも、そこまでのりさん個人に拘っておられるなら話は別ですが。

ちなみに、
>若い女性向けファッション雑誌は一つの例にすぎません。
例示と、「圧倒的多数」である根拠を示すというのは全然違いますよ。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
  • Edit
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
まず、確かに人種にこだわるのはアメリカらしい、とは思います。
(こだわる、という表現が不適切だったらごめんなさい。)
例えば人を説明するときにアメリカの人はよく"black""asian"という言葉を
わざわざ付ける気がするし(もちろん説明として必要な時も当然ありますが)
人種系の話題も好きな気がします。

それはアメリカの歴史や国の特徴から考えて自然なことなのかもしれないですが
アメリカはなかなか人種差別が激しい印象です。

それと考え方が"アメリカ人らしい"とはまた違うとは思いますが。

自分が突然マジョリティーからマイノリティーになった時に人種に対する意識が変わる人は多いのではないか、と私も思います。

そして世界中のどこにいても"境界線"は存在すると思っています。
ただ境界線の定義の違いもあるのではないでしょうか。
人種差別のために引かれる境界線とアイデンティティのために存在する境界線。

上手く言えないのですが境界線自体が日常に置いてどんな意味を持つものか。
"境界線を意識しないことが素晴らしい"と"境界線を意識しないことが必ずしもいいことではない"というときの境界線が少し違う意味を持っていると思いました。

例えばインターナショナルスクールなどの色々な人種が存在するのが日常な場所では
自分のアイデンティティを意識する機会は多くても"境界線"は薄いと思います。

私は日本の学校→インターナショナルスクール→外国の国立大学に行ったのですが
やっぱりその中で意識は変わりました。

人種についていえば日本の学校ではマジョリティーだし
インターナショナルスクールでは色々な人種が混ざっていましたが
大学では学部にアジア人一人の完全なマイノリティーでした。

ただ日本で育って留学や仕事で海外に行った人の場合は
人種だけに限らず"その国で育っていない"という事実もあります。

言葉の壁や習慣の違いもありますし
その国で育ったアジア人ならすんなり入っていけることろに入っていけない場合もあると思うので
単純に"人種"だけでみるのは難しいところもあります。

すみません、最後少しポイントがズレてしまいました。
  • 2009/09/10
  • UC
  • URL
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
"アメリカ人らしい"→"アメリカ中心的"のことでした。
すみません。
  • 2009/09/10
  • UC
  • URL
1さんへ
「アメリカ在住の日本人としては」というよりも、

「境界線や枠を意識せざるをえない立場の人からしたら」という方が正確かもしれません。

そして、そういう立場の人間は、決して「人種差別の酷いアメリカ在住の日本人」に限ったものではなく、日本国内にもいるでしょうし、世界中にいることでしょう。私は「アメリカ在住の者」として上の言葉を言ったわけではありません。


ある立場においては、私は「境界線や枠を意識せざるをえない立場の人」であり、ある立場においては「「境界線や枠を意識しないですむ」人間です。
Re: Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
そうですね。
私が人種を意識したのは、確かに今自分のおかれている環境のせいというのが大きいでしょう。

>人種差別のために引かれる境界線とアイデンティティのために存在する境界線。

上の二つの定義が異なる可能性があるというのは理解。ただ、元エントリについたコメントというのは、その文脈上「アジア系」「黄色」などのアイデンティティを獲得するために使われる「枠」を批判していると私は読みました。

また、差別をなくしたいという意図から、「差別のための境界線」など不要だという言説もわからないではないですが、その場合でもその言説は、やはり弱者のアイデンティティのよりどこととしての「枠」すらも否定しかねない副作用を(当事者の意図に関わらず)持ってしまうことは否定できないと思います。

>言葉の壁や習慣の違いもありますし
>その国で育ったアジア人ならすんなり入っていけることろに入っていけない場合もあると思うので
>単純に"人種"だけでみるのは難しいところもあります。

そのとおりですね。

実際、私もそもそも英語が第一言語じゃないんで、American Born Chineseといるより、英語が片言のメキシコ人&韓国人の方がカンファタブルです。なので、別に私はアメリカの「アジアン・プライド」ムーブメントにはなじんでません。アジア人の統一!的な集まりは苦手です(苦笑)

そういう意味で、私にとって「人種」だけが自分のアイデンティティを構成しているものでは全然ないです!むしろ、「移民」というアイデンティティの方が強いかも。でも日本にいた時よりは(私は日本の学校出身なので)、「人種」と言う要素を多少意識するようになったとは思います。

逆にUCさんは、アメリカじゃないと思うのですが、自らの人種意識についてはどう思いますか?日本にいた時とインターナショナルにいた時と、大学はいった時…など。どのように考えは変わったのでしょうか?興味あるのでもしよろしければ聞きたいです。

UCさんの周りの人種的環境がどうかはわかりませんが、自分以外にアジア人が一人もいない場合(アジア系コミュニティが存在しない場合)、アジア系アイデンティティを持つのではなく、周囲の人種に自分をなじませるので、アジア人が多い地域に来た時に逆に戸惑う、という話を聞いたことがあります。(東海岸のアジア人が少ない地域からLAに引っ越した複数の友達が言ってた)

Re: 1さんへ
>「境界線や枠を意識せざるをえない立場の人からしたら」という方が正確かもしれません。

議論の立て方として、イチカワさんが具体的にどのような局面で「境界線や枠を意識せざるをえない立場の人」であり、「「境界線や枠を意識しないですむ」人間」になるのか、そして自分と読者(日本に住む日本人が中心?)をどのように位置づけているのかを明らかにしなければ、読者にイチカワさんが何を問題にしているのか、何がメッセージなのかということを伝えるのは不可能です。今まで拝読したエントリでは、それが非常に不明確だったと思います。

「私はアジアの某国・地域でも、外国人としてのマイノリティである経験をしていますが、そこでは、「人種」に絡めて自らを意識することはありませんでした。」と自らお書きになっているように、外国ならどこでも日本人が人種を意識するわけではありませんし、人種を理由にマイノリティになるわけではありません。
ですので、「アメリカにいる日本人/日本に住む日本人」の差異だけを根拠に、日本人が「日本に住んでいる」だけで人種を意識しないですむ「特権」を持っているかのように評価するのはおかしいと思います。

イチカワさんがアメリカ中心的なものの見方をされているのでなければ、どうして日本という国についての議論が「日米の違い」に還元されてしまうのでしょうか。どうして、日米と他の国との差異/共通点は無視されてしまうのでしょうか。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
  • Edit
Re: Re: 1さんへ
うーん。どうもずれているような気がしますが、すみません。

1さんに対してはわたくしが何を問題にしているのか、何がメッセージなのかということを伝えるのは不可能だったということで残念でしたが…

私が今回書きたいことは全て本文エントリおよびコメントにて書いたので、それで伝えられなかったというのであれば、もうこれ以上コメントで何を書いてもお役に立てないかと思います。力不足ですみません。
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
>その文脈上「アジア系」「黄色」などのアイデンティティを獲得するために使われる「枠」を批判していると私は読みました。
「アジア系」、「黄色」はアメリカ西海岸の社会においてのみ有意義な「枠」であるのに、それをあたかも普遍的なものであり、日本社会においても有効なものであると書かれたから批判されたのだと思います。……と何度も同じことを書いて疲れてしまいました。

>また、差別をなくしたいという意図から、「差別のための境界線」など不要だという言説もわからないではないですが、その場合でもその言説は、やはり弱者のアイデンティティのよりどこととしての「枠」すらも否定しかねない副作用を(当事者の意図に関わらず)持ってしまうことは否定できないと思います。
 最初からご自分の立場を相対化した上で、そういうことをアメリカ西海岸のアジア人社会の問題としてガッツリ書いて下さったら、面白く拝読したと思いますよ(なので、日本在住のアメリカ人が人種を意識しないですむ「特権」を持っているという問題の立て方は「激しく不適切」と思います)。
 なんだかメインディッシュを頂く前に食事が終わったようで残念ですが、メッセージが通じないのはなぜかと仰っていたので、私なりに考えて理由を何度も説明しました。それがイチカワさんに通じなかったのは残念であり、力不足でお役に立てなくてこちらこそ申し訳ありません。
  • 2009/09/10
  • 前エントリ1.
  • URL
  • Edit
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
ありがとうございます。ちょっといろいろ考えてみます。
改めて書けたら書きますね!
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
うーんブログを書くって難しいんですね。私は1さんがおっしゃるようなことを、今までのゆうさんのブログから得た情報をもとに頭のなかで補完しつつ、ゆうさんが仰りたいのはこういうことなんだろうなーくらいで読んでいましたが、一文一文自分の立場を完全にクリアーにしながら書かないと、読み手に誤解を与えるのか…。
  • 2009/09/10
  • riqu*
  • URL
1さんは飛躍しすぎ…もう妄想でしょ
議論にならないよ…

イチカワさんを通して、一体何を批判したいんだか

彼女が何を言いたいかは、このブログを読んで彼女の立場を知ってれば理解に難くないと思ったけど、私は。「人種」も一つの例に過ぎないんじゃ?
  • 2009/09/10
  • URL
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
この議論は以前から興味深く拝見しています。
ブログの性質上理解し合えないのは仕方ないと思います。
どんなに意見を交わしても文章で全てを理解するのは難しい事ですもんね。

最近はそれぞれの意見で揚げ足取りになりつつあった気がします。
それも議論の一つだとは思いますが永遠に終わりがないような・・・。

とにかく一区切りついたようですね。
  • 2009/09/10
  • まき
  • URL
Re: 「境界線や枠を意識しない考えを持つことが素敵」と言えることの特権
私はむしろイチカワさんのこのエントリを見て「なるほどな~」と頷いた口です。

昔、世界の民族紛争や日本に長らく住んでいながら日本国籍を持たない人たちのことを知るまでは、「国籍や人種を意識しない方がずっと素晴らしい」と明るく信じきっていました。
今でも、地球の大地に国境線はあるべきではないと考えていますが、現在の国際情勢を鑑みるにそう考えられること自体が凄く恵まれているのだなとは感じます。
自分は彼らを目の前にして、全ての怨讐を捨てろとは到底言えません…。

そういう私も別の意味ではマイノリティであり、未だクローゼットな人生を送ってますので、あっさりと「枠なんてないよ」と言い切れるマジョリティには含むところがなくもなかったり…。
そんなに簡単に「ない」って言い切れちゃうものなのかな?と。
  • 2009/09/11
  • URL
  • Edit
他の最近のエントリーでリンク貼られてたから読んだんですが・・・
前エントリー1さん(苦笑

こういう「自分は分かっている」と勘違いしている人の中でも、自分の中にあるフレームワーク以外で物事を考えられない、自分の中に無い概念は説明されても想像すらできない・しようとしない人とはそもそも議論にならないので、読んでいて滅茶苦茶イライラしました。そう、まさしくこういう感じの人と議論したときのイライラと徒労感・・・。その中でも失礼な発言がないように注意深いレス…。ホントご苦労さまです。

つい5年前のエントリにレスしてしまいましたよw
  • 2014/06/13
  • 通りすがり
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