ジョージ・タケイ結婚一周年のメッセージ(日本語字幕付き)&同性婚について

ジョージ・タケイが結婚一周年のコメントを出していました。



日本語字幕もついているので、是非観てみてください。日系アメリカ人の歴史とも重ねあわせてジョージ・タケイが差別の撤廃を訴えています。


実は、個人的には最近私は「同性婚」というトピックへの興味が急激にさめてきています。理由はいろいろあるのですが、同性婚が実現したところで、それが結局セクシャルマイノリティの中に、新たな、「既婚者/シングル」の分断を生み、セクシャルマイノリティの中に、現在ヘテロ社会ではびこっているような「婚活」めいたムーブメントを生んだり、結局「シングル差別」を温存しただけで、婚姻の特権をセクシャルマイノリティに対しても広げるだけだというならば、なんかそれは、本当に私が求めている変化ではないのかもしれない、と最近強く思いはじめているからです。

とかいうと、私がシングルだから、ひがんでいるとか、将来結婚相手が見つからないのではないかと悲観していると解釈するのか、そういう方面から慰めてくれるような人もいるんですが、決ッしてッ!断じて!そうではないんですねッ!

私はまだうまく表現できないので、最近読んでて、気になったブログ記事などを引用しますので、読んでみてください。

(一応書いておくと、以下のブログ記事に全て同意したり、各ブログ主さまと私の意見が全て同じだと言いたいわけでは全然ないです。立場が違う部分はある。以下は「同性婚ムーブメントへの懐疑」みたいな視点から、私が読んでて、なるほどなーと思った箇所を引用しました。)



同性婚がすごい嫌。

そもそも婚姻制度って既婚者を特別扱いして優遇するための特権制度でしょう?

そこから外されてた同性愛者にも、その特権を与えるというのが同性婚だよね。


旧来の婚姻制度で。

結婚指向の異性愛者が60名。

そこから漏れるのは40名、そのうち同性愛者30名。

そこから、30名が当事者として活動して、同性婚を法制化できたとする。

同性婚も付いた婚姻制度で。

結婚指向の異性愛者+同性愛者が90名。

そこから漏れるのは10名。

同性婚のときは、30名が活動したから不平等を撤廃できた。

でもその次、残りの10名では少なすぎて不平等に抗えないかもしれない。

そこで30名の同性愛者が当事者性にがんじがらめだったら、10名の少数派のことなんて見えず協力しないでしょう。

なので、同性婚が認められると、婚姻制度から漏れる10名への差別は、よりひどくなってしまう。

そんなのは嫌です。

http://d.hatena.ne.jp/elperro/20090817/1250514639



同性結婚、相続、社会保障・・・こういうのって、結局、同性愛者の「カップル」の問題なんですよね。
あくまでも。
確かに、それらの議論を大切にしていかなければいけないし、またこの事について書いていきたいと思っています。

ただ、私は思うんですよね。

セクシャルマイノリティーであることは、しんどいし、不安な面がある。
でも、恋人がいる人は、それなりに異性愛者カップルよりも老後の不安とか大きいけれど、まだ手をとりあって生きていく人がいる。その意味で、まだ心強い。

より不安なのは、同性愛者の中でもシングルさん、最近の言葉でいえば「おひとりさま」ではないでしょうか?
そんな人にとっては、同性結婚の権利獲得の話より、自分の恋人を獲得することのほうが先決。
もしくは、恋人がいないのなら、どうやって一人で生きていくか、という問題に直面しているはず。

とくに、Lならば、「女性」であり、社会で稼いでいく場合に弱い地位に置かれてしまう。
そんな人が「じゃあ、婚活でもして誰か捕まえれば?」などという突っ込みをかわしながら一人で生きていくのって結構つらいと思うんです。

こういう人たちの問題は、同性愛者の権利の問題より、「おひとりさま」の生き方の問題のほうがよりしっくり来るのかもしれません。


だから、これからいろいろ「同性愛者の権利」を考えていくうえで、きちんと「おひとりさま」のことも含めて考えていくことが必要だな~と感じています。

http://tlwtlw.blog24.fc2.com/blog-entry-132.html



あと、自分のブログ記事に頂いたコメントでも以下のようなものは考えさせられた。



同性愛婚だの養子縁組の合法化だのが実現しても、レズビアンカップルにとってどれほどのメリットがあるのかどうか考えると、すごく難しいものがあると思います。というのも、現代ではまだまだ女性は男性を通してしか金や権力にアクセスできないからです。だから、結婚や養子縁組が合法化されても生活していくために男と結婚する(子供も生む)というレズビアンが後を絶たないかもしれない。結局、レズビアンカップルが自活して生きていける世の中ってシングルマザーが男の手を借りなくても十分に生きていける社会というのとイコールだと思うんです。

http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1598.html#view_comment



まあ、そんな感じで、同性婚に対していろいろ考えていた私だが、一般的に同性婚などのパートナーシップ保護については、態度を以下のように分類することができそう。

法整備に肯定的な
(1)平等追求型
(2)実利追求型
(3)偏見解消手段型

法整備に否定的な
(4)婚姻制度拒絶型(個人単位型)
(5)<逸脱>肯定型
(6)自然本質主義型

(参考:「同性間パートナーシップの法的保障に関する当事者ニーズ調査」
http://www.jca.apc.org/wssj/nenpo/27.html)

で、これは要約しか読んでないので、実際に、それぞれの類型がどのような主張を含むのか、全て把握しているわけではない。だが、ざっくり言うと、私は同性婚について、特に(1),(3)の観点からかなり肯定的な立場だった。(2)実利については、日本においては、普通養子縁組制度が発達しているので(これ自体、「家」の存続のため広く使われていた制度であるというのが皮肉だが)おかげさまで実利においては、必ずしも婚姻である必要はないような気もしていた。ただ、とにかくProp8キャンペーンの真っただ中においては、私は、とりあえず同性婚はとにかくよいことだと思っていたし、婚姻制度に対しての懐疑みたいなものはあまり持っていなかった。

戸籍制度と絡めて婚姻制度に対する懐疑を表明したような例えば以下のようなエントリを読んでも、恥ずかしながらあんまりピンとこなかった。


同性婚に話を戻すと。私は個人的に、上記のようなことを考えると、今の日本で結婚したいとは思えない。相手が異性であろうと、同性であろうと。友人たちの結婚式のたびに目の当たりにする“家”意識を、自分自身が受け入れられるとは到底思えないし、かといって逐一抵抗できる自信もない。

でも、それ以上に、戸籍の問題が引っかかる。

とくに同性パートナーを選んだ場合。何よりも、私が誰と「夫婦」になったのかを国家に管理されたくない。今後どのようなリスクがあるか分からないから。また、戸籍は一定の手続きを取れば他人の戸籍謄本を得ることもできるため、それも怖い。精神的には、常にアウティングされているような状態なのでは。そして、仮に私と未来のパートナーにそれらすべてのリスクを背負う覚悟があるとしても、家族関係が無限に追跡できてしまう現行の戸籍では、双方の親族まで諸々の影響が及ぶ可能性も考えられる。

そんなわけで、仮に将来を誓い合うパートナーがいたとしても、そして仮に憲法24条が「両性の合意」から「両者の合意」に書き換えられたとしても、私自身は「今すぐ結婚しましょ!」ってことにはならないだろうなあ。

http://blog.goo.ne.jp/coochin_777/e/f458325afafef3248bad2acf9ab961f0



だが、最近、特にこの1年間様々な議論をしたり、様々な意見に触れるなかで、かつて読み飛ばしていたような上のような意見が繰り返したち現れてくることを思い知った。(既存の)婚姻制度への問題点を指摘し、事実婚という選択をする人々の存在を知ったり、またLGBT関連のリベレーションにおいても、クィアセオリー vs トラディショナルなゲイリブという対立を感じたり、同性婚が唯一そして最大の問題ではないようなことがだんだん見えてきた。その中で、自分が目指したい「CHANGE」は必ずしも、「同性婚」ではないような気がしてきた。

それをだめ押し的にはっきりと意識したのは、とある同性同士の挙式および披露宴パフォーマンスについての複数のブログ記事やコメントを読んだ時だった。彼らの挙式に対する自分の感じーつまり歓喜や祝福の気持ちーは、多くの列席者や、ブログの読者と共通だったかもしれない。だが、私には、その気持ちを「“ご結婚“おめでとうございます」と言い表してしまうことに対して、ものすごく違和感があった。

おめでとうございます、という祝福の気持ちはもちろん強くある。が、それは「結婚」に対してなのか?てか、そもそも、結婚って…外国で結婚しても国内で効力はない…無粋な言い方をすれば、あくまで「結婚ごっこ」なのに、それをあたかも見ないようなふりをして「ご結婚」という言葉を使うことがなんとなく妙に思えた。ままごとみたいで。私は考えていた。…ご結婚がめでたい…のか?それは何かが違う…。だって、そもそもこれはテクニカルな意味での「結婚」じゃないわけだし…。じゃあ何がめでたいんだ…。

私にとっては…、彼らが、結婚という儀式を行おうとお互い決意するくらい、長い年月コミットした関係を築き上げていることが純粋にすごいなと思うし、多くのセクシャルマイノリティがまだ親戚や職場へのカムアウトができないでいるなか、それを成し遂げ、彼らから祝福されるような関係を、周囲と築いていることがすごいなと思うし、更には、素晴らしい披露宴パーティを力を合わせて実現できるような友達に囲まれていることもすごい、かっこいいと思った。

私は、そういう全てのことに対して感動したんだし、憧れたし、「おめでとう」と思ったのであり、必ずしも「結婚」というラベルに対して反応したんじゃないんだよなぁ~と思ったのです。



というと、なんか私がめちゃくちゃ同性婚に対してシニカルな姿勢であるように聞こえるかもしれませんが、私は相変わらず、同性婚に対しては今もとりあえず賛成の立場ですし、結婚式をあげたいというカップルには心の底からおめでとう!と嬉しく思います。

今丁度メイン州で1年前のカリフォルニア州と同じような住民投票によって同性婚が禁止されるかもしれないという動きがあって、かなりゲイリブ団体が必死でボランティアを募集していますが、そういう動きにも自分のできる範囲で参加しようと思っていますし。

でもそういう同性婚ムーブメントをやっていくなかで、上の分類でいうところの、

(4)婚姻制度拒絶型(個人単位型)
(5)<逸脱>肯定型


に代表されるような視点は忘れたくないな~と思ってます。(6)の自然本質主義型は記事を読んでいないので、よく意味がわからなかった)

ただ、現実問題として、婚姻制度の解体→個人単位の社会を目指すというのと、同性婚の法制化を考えた場合、後者の方が実現可能性が高いと思いますし、セクシャル・マイノリティに対する偏見解消という意味でも、効果的だと思っています。だから、「個人単位型」一本やり、とか、「逸脱肯定型」一本やりのアナーキーな戦略ではなく、適度にプラグマティックな戦略を採るべきだと思っています。

ただ、今言い切ったけど、実はこれは非常に難しい問題。今自分自身も同性婚やそれに象徴される、「同化」を目指すムーブメントについてはどう考えばいいのか正直悩んでいるのです。1年前ほど無邪気に「No on 8!」と叫び「同性婚を勝ち取ろう!」と突き進めない自分がいます。私はゲイリブについてはもろ「Prop 8チルドレン」なところがあるので、そもそも始まりが同性婚べったりだったのですが、それがバランス取れた、っていうことでいいのかもしれませんが。

DSCN1676.jpg

でもやっぱり、婚姻に対して大分シニカルな見方をするようになってきた今の私にとっても「同性婚」は何か象徴的な意味を持つもの。ジョージ・タケイのメッセージに励まされ、友人の結婚式のレポートにはじーんと涙ぐんでしまう自分がいるのもまた事実。これからもいろいろ意見が変わったり変なことを口走ってしまうかもしれませんが、皆様から学んだり考えたりしながら、そのつど考えることをここで皆さんとシェアしていけたらと思います。
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