笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー

コメディアン「ある女性が医者に行った。

『肩こりが酷すぎて死にそうなんです。胸を小さくする手術は健康保険でカバーされるでしょうか?』

医者は、『問題ありません』と答えた」


聴衆「(笑)」

コメディアン「次の患者はこうでした。

『鼻づまりが酷く、うまく息ができないんです。鼻を高くする手術は健康保険でカバーされるでしょうか?』

医者は、『問題ありません』と答えた」

聴衆「(笑)」

コメディアン「次の患者はこうでした。

『私の胎児は無脳症と診断されました。どうやら、脳の一部と頭蓋骨がないようなんです。中絶手術は、健康保険でカバーされるでしょうか?』

医者は、『それはそれはお気の毒に…でも、保険ではカバーされません』と答えた」



聴衆「……(沈黙)」




この広告「笑えないジョーク」は、先日米国の下院を通過した健康保険改革法案について作られたものです。アメリカでは、国民皆保険システムに向けた大掛かりな医療保険の改革がなされようとしています。これはオバマ大統領の政策の目玉であり、何としても法律を成立させたいところ。だが、「死の審査会(デス・パネル)」などの反オバマ派によるキャンペーンに踊らされた国民は、タウン・ホール・ミーティングなどで地元に帰省してきた政治家に対して激しく反発。参加者が怒鳴り叫ぶなど荒れにあれたタウン・ホール・ミーティングの有様は、広く報じられました。




選挙区から選出されないと国会に議席がキープできない政治家は、地元民の声に弱い。そんなこんなで、健康保険改革法案が成立するかはかなり不透明であったが、いくつかあったアイディアを入れて、妥協した法案が先日通過した。その“妥協”の一つが「公的保険や政府補助金が妊娠中絶の保険支払いに充当されない措置を強化する修正(Stupak-Pitts修正条項)」であり、冒頭の広告で批判されているものである。

この条項は、レイプ、近親相姦、そして、母体に危険がある時などの例外を除き、中絶の手術、また中絶を含む健康保険に対しては連邦政府の公的資金が渡ることを禁止するものである。これは女性の人権を制限するものであり、宗教と政治の一体化であるとして批判が集まっている。

参考記事:10 Reasons Why the Stupak-Pitts Amendment Has to Go

日本でも経済的な理由などによる中絶は健康保険適用外であり、費用が7万~20万円くらいかかるようです。アメリカでは500ドル~10000ドルするようです(時期によって異なる)。大体、テレビ番組などで言われるのは「5000ドル」が多いような気がします。中絶に対しては激しい反対勢力があり、今年の5月にも中絶を行なう医者が過激な中絶反対派によって殺されたりしています

健康保険改革法案については、まだ上院での審議が残っているので、このStupak-Pitts修正条項がこのまま法律になるかは分かりません。が、もしも法律になれば、現在アメリカのほとんどの民間の健康保険会社は中絶をカバーするプランをオファーしていますが、これらが今後連邦の公的資金が関わる場面ではオファーできなくなります。そして、公の健康保険だけではなく、民間の健康保険についても、そのプランに何らかの補助金を関わっている場合(おそらく大部分がこれにあてはまる)は、中絶をカバーすることができなくなります。つまり、一部の女性にとっては、現在既に持っている保険の内容が、健康保険改革によって奪われるということになります。

私は現在民間で提供されている健康保険の内容や、中絶の実体についての事実を把握していないので、断言的なことは言えません。以下は個人的な感想です。Stupak-Pitts修正条項は、中絶自体を禁じているわけではないので、直接的には中絶の権利を否定するものではないと思います。ですが、健康保険の適用外になることで、間接的に中絶という選択肢が取れなくなる女性がいることは事実なので、それがどの程度いるのか?保険の適用から外すということが、どの程度実質的に女性が自らの権利を行使することの妨げになるのか?等の客観的な評価をすることが不可欠だと思います。

健康な立場の人間からすると、健康保険があるかないかでどんな違いが出てくるのかは、想像することが少し難しいのです。が、健康保険を持っていない、もしくは自分の病気が保険でカバーされないために、大きな違いが出てくることは珍しくありません。簡単な病気であっても、経済的な理由で治療が受けられず死んでしまう人が沢山います。歯科保険を持っていず、80ドルの治療費を払えなかったばっかりに、虫歯をこじらせて死んでしまう子供もいます。そう考えると、中絶が保険でカバーされないことによって、中絶という選択肢を取れなくなり、影響を受けてしまう女性は沢山いるでしょう。ここらへんは、感覚では想像しきれない部分なので、中絶にまつわる様々な統計を見なくてはいけないと思います。

今回可決した健康保険改革法案については、Stupak-Pitts修正条項以外にも批判がなされており、決して最善のものとは言えないようです(参考記事1)。今後、上院での審議に注目したいと思います。

★ ★ ★

さて、後半は、健康保険からは離れて、一般的な中絶について書きたいと思います。中絶は、人権についての問題であり、また宗教的価値観が絡んでいる点で、“同性婚”についての議論と類似していると思います。私のスタンスを簡単に言うと、中絶手術の禁止などには反対です。中絶は、女性の権利の一貫として当然保障されるべきものだと思います。

もっとも、じゃんじゃん妊娠して、じゃんじゃん中絶すればいいとは全く思いません。そのように中絶がカジュアルに捉えられる世の中がいいとは思わず、中絶の件数は最小限に留めることができれば望ましいと思っています。私は『中絶は胎児の命を奪う行為である』という認識を持っている点で、中絶反対論者と共通しているかもしれません。

ただ、中絶することに必要以上の罪悪感を植え付けようとしたり、必要以上の経済的負担を課すことによって中絶へのハードルを高くすることには反対です。また、中絶=悲しいことというような固定観念にも疑問を覚えます(例えば、日本の中絶に関するウェブサイトで「かなしいこと」というのがあります。大変充実した内容の素晴らしいサイトだと思うのですが、なぜサイトの名前が「かなしいこと」なのでしょうか?決して中絶の体験者に罪悪感を植えつけて断罪するようなものではなく、プロ・チョイス/プロ・ライフという表面的な対立構図をたてるものでもなく、冷静で中立的な視点を持った自助グループ的なサイトなのに、サイト名およびドメイン名のおかげで「中絶はかなしいことである」という強いメッセージを発信し、中絶に対する固定観念を再生産してしまっているのではないかと思います)

「中絶の少ない社会」を目指すべきであると思っている点で、私は中絶反対論者と同意できると思います。ですが、それを実現する為の施策は、「望まれない妊娠を防ぐ」という入り口の段階での対処(具体的には性暴力の予防、避妊の知識の普及、避妊器具や避妊薬へのアクセスを容易にするなど)によるべきであり、「中絶手術の制限」という出口の段階での対処によるべきではありません。
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Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
中絶に関しては当人の痛みはあると思うのです。
胎児の命どうこうよりも、中絶の手術って女性にとって簡単なことではないと思うのですが。。。
子宮内を手探りでそうはする手術です。
やらないにこしたことはない。
それでもしなくちゃいけない状況に対してつけられたのかな?と思いました。
これはやはり当事者の読むサイトならではのサイト名なんだろうなぁーと思いました。
私は、中絶に関してはゆうさんとほぼ同じ見解ですが、この題名に関しては大きく感じ方が違ってました。
  • 2009/11/18
  • える
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えるさん
こんにちは。

コメントありがとうございます。

「かなしいこと」についてもう少し考えてみました。

確かに、中絶手術は、「胎児の命」というのとひとまずおいておいても、純粋に女性にとって負担となる手術だというのはその通りですね。ただ、他の手術(盲腸を取るでも甲状腺をとるでもいいですが…)なども女性の体に負担がかかる点では同様ですよね(中絶手術自体は、出産や一部の注射よりも体に危険がかからないという意見もあります)。また、中絶のみならず、他の外科手術も手術を「したいわけではないのに、しちゃいけない状況」におかれてやむを得ずする場合が多いと思われます。

ですが、中絶手術は他の手術と同様には捉えられておらず、ことさらに「かなしいこと」とされているのは、やはりそこに「胎児の命を失う」という要素が影響していることは否定できず、それが「かなしいこと」という感情的な名前の一つであると私は思います。

中絶を選ばなければいけなかった個人個人が、そういう「かなしさ」を経験するのは、自然なことだと思いますし、当事者のそういう感じ方を否定するつもりは毛頭ありません。また、その「かなしさ」に焦点を当てた、感情的な癒しを目的とするのであれば、そのような名前にも一定の意味と効果はあると思います。

私が感じた違和感は、中絶に対して、当事者の視点から幅広い情報を提供しており、多くの当事者の支えと助けになっているであろうくだんのサイトが、「中絶=かなしいこと」というイメージに対しては抗うことなく、むしろサイト名として掲げ、そのメッセージを発し続けていることに違和感を持ったのです。中絶の経験に対し、当事者がかなしむのは理解できます。ですが、中絶は当事者にとってポジティブな意味も持っているはずです。中絶を語る上ではその両面をはずせないと思うのですが、くだんのサイト名は、圧倒的に一方に偏っているような気が私はしたのでした。

ただ別にこれは単に私の感想であり、別な感じ方を否定したり、サイト名を変えるべきとか言っているわけではありません。もっと中絶を身近に感じる人々がどういう風に感じているのか、いろいろな方のご意見を聞いてみたいと思います。
Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
 ぼくは基本的に妊娠中絶は女性の権利とする考え方に賛成です。ただし、いくつかの点、とくに「中絶は当事者にとってポジティブな意味も持っているはずです」というゆうさんの発言に対しては、すこし慎重になりたいと思います。なぜならば、たとえばもしぼくがこうした発言をしようとするならば、そう述べる前に、ぼくは、ポジティブに捉えることのできないでいる当事者と協力しながら、そのあらゆる要因を本人の周囲から取り除く努力をしなければなりません。そうでなければ無責任きわまりないことになります。経験にもとづいて言うのですが、過去に中絶を行った経験をもち、かつそのことを現在進行形で「悲しんでいる」と表明している女性が目のまえにいたとします。その女性に面と向かってすぐに「それはポジティブな捉え方もできるんじゃないか」と述べることは決してぼくにはできませんし、ふつうはすべきではないと思います、そもそも男性であるぼくがそう述べてしまえば場合によって本人から男性に対する怨みの一切がぼくに向けられるかも知れないというおそれもあるのですが、ぼくに限らず誰がこう言おうとも本人が傷つくおそれはつねにあります。むしろ、秘密の守られる空間(シェルター的な場所)で、完全な信頼関係のもとで、そうした女性と個人的な(かつカウンセリング的な)対話をつづけ、しだいにその女性の悲しみがやわらぐように働きかけていくことで、最後にその女性自身がそうした考えに肯定的かつ自発的にたどりつけるようになったときに、ようやく言えることばなのではないでしょうか? ですから――ゆうさんがどんな読者を想定しておられるかよくわかりませんが――「かなしいこと」の関係者がもしも読者だった場合この記事をどう思うだろうかということをぼくは少なからず懸念します、そしてそれがぼくの思いすごしであることを願うばかりです。
  • 2009/11/23
  • Siesta
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Re: Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
こんにちは。
コメントありがとうございます。

Siestaさんの書かれたような接し方が、中絶をした当事者にとってよい接し方というのは理解します。私も当然回りに中絶で苦しんでいる人が複数いますので(一人はこのブログの存在も知っている親友です)、その人たちに向って「ポジティブになれ」みたいなことをいうことが無神経であることは承知しております。前のコメントでも書いた通り、私は中絶を「かなしいこと」ととらえ、当事者の気持ちにそってケアすることは非常に重要だと思っています。

ただ、私はブログを書く上においては、そのような誰のことをも傷つけない文章を目指して書いていません。上のような個別具体的なケアのありかたというのとはさておき、私は、それでも中絶の情報サイトの名前として「かなしいこと」を掲げてしまうのには、やはり違和感を感じるのです。この違和感は中絶を「かなしいこと」としてちゃんと悲しみをみとめることが大事だというのと両立する感覚です。

また、パラレルになりますが、当事者に面とむかってそれをいって慰めるなんていう無神経なことは当然しないけれど、中絶にはポジティブな面があります(それのみを強調して、中絶の「かなしさ」を無視してしまうことはあってはなりませんし、それは十分理解しています)。だからこそ、女性は、中絶の権利を獲得する為に昔から闘い続けてきたのです。

中絶はもちろんかなしいことであり、中絶が少ない社会が好ましい、と私は書いています。けれど、中絶のポジティブな意味合い(中絶という選択肢が女性に与えてくれる自由)も、私は同じくらい強調するべきだと思っており、「中絶のかなしんでいる女性が読んで傷つくかもしれない…」という配慮の為に、「中絶にはポジティブな面がある」ことを書くのを遠慮するようなことを、誰もが読むであろうこのブログではしていません。誰かに対して直接話す場合や、手紙を書く場合はもちろん別ですが。
Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
 どうやら前回のぼくのレスはいくぶん問題をぼく自身に引き付けすぎていたようです。つまり、同じ言葉でも、たとえばゆうさんがおっしゃるのとぼくが言うのとではずいぶん受け取られ方が変わってくるにも関わらず、“ぼくなら言えない”というふうに自分の立場に固執しすぎていました。そのように、ぼく自身は権利問題よりもケアの問題に重きを置いて考える癖をもっている(むしろケアのなかでそれが権利であることを本人が自発的に気付けるような状態にもっていきたいと思っている)わけですが、どうしても自分のこの性向が変えられないことにも少し限界を感じています。そのため、いつも言いにくいことを言おうとするこのブログでのゆうさんの姿勢(むしろ芸風?)には頭が下がります。
 ところで、実はもうひとつぼく自身の抱えている懸念があります。それは――前回お伝えしたように、ぼくもまた基本的に中絶は女性の権利だという考え方をとっているのですが、それでも――権利の問題のなかで捉えると、どうしても生命倫理の文脈に踏み込まざるをえないことです。この文脈に踏み込んだ瞬間、“いつの時点で胎児は生存権を得るのか”という問いが発生します。これはある意味で非常に危うい問いかけです。なぜならば、もしもひとびとがこのような問いに答えようとして、生存権を持つ者と持たない者を区別する基準を提示したならば、おそらくそのような基準はただちに中絶問題とは別のいくつかの領域にも多かれ少なかれ関わってくるだろうからです。とくに少なくとも脳死問題ならびに尊厳死問題の領域に確実に関わるはずです、というのも“どこからが「人間的な生」であり、どこまでがそうでないのか”という区別を前述の基準が必ず含んでしまうためです。こういうわけで、ぼく自身は残念ながら今の段階ではこの問いには答えられずにいるのですが、もしもゆうさんがこの困難について一定の答えをお持ちでしたら、ヒントでも教えていただければ幸いです。
  • 2009/11/24
  • Siesta
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Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
私も「かなしいこと」というサイト名を残念に思います。
中絶した当事者が、どのような感情を経験し、それにどんな感情名を付けるかは、当事者の主観や認知に委ねられるべきではないでしょうか。中絶当事者が混乱した状態で自分自身の感情をはっきりと解釈できなかったり、曖昧にしか感じられないときに、他者が感情の定義の手助けをすることは控えるべきです。中絶当事者が自分を取り巻く環境の中にその手がかりを求めながら、自分の感情と向き合い定義することが大切だと思います。ケアとは伴走者としてクライアントに寄り添うことであり、感情の定義を手助けすることではないでしょう。
感情名をサイト名にすることには、私も違和感を覚えます。
  • 2009/12/13
  • idoido
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No title
そもそもプロライフ対プロチョイスという対立軸自体くだらないと私は思います。世の中には、理想主義者もいれば、非プロチョイス的中絶賛成論もいます。そのような意見の広がりを見れない、宗教的で自称保守で中絶反対のプロライフ対、そうではない自称リベラルで中絶賛成のプロチョイスという対立軸も、それを支えている人たちも、くだらないと思います。

それに歴史的に見ても、プロライフにせよ、プロチョイスにせよ、ごく一部の時代のごく一部の社会の現象で、そんなもの関係なく人間は間引きや中絶していました。女の選択の権利もさほどありませんでした。

私は理想主義者です。殺しなきチョイス、母性なきライフを望みます。偽りの正義(プロライフ)、偽りの解放(プロチョイス)、現実への投降(非プロチョイス的中絶賛成論)も拒否します。この野蛮な、児の命を救えと女の権利をつぶし、女の権利を守れと児の命をつぶし、それを保守だリベラルだといい、真の保守派が闇で跳梁跋扈する、自称先進国とそれを支える人たちを拒否します。無論、なぜそういう立場になったかに対して理解はできますし、共感もできますが、自分は中絶などなくとも女の人生の選択権が守れ、母性などなくとも子供の命と人生が守れる社会を望みます。だから、プロライフもプロチョイスも、そうではない本当に保守的な人たちも、全員自分の立場からは『保守』であり、敵です。

また、理想主義の立場からは、プロライフ対プロチョイスの偽の二項対立が、もともとの現実である非プロチョイス的中絶賛成論を覆い隠し、中絶に関する本質的な解決を遅らせていることも批判の対象となります。無論、それは似非保守で、女を悪魔のように罵倒するプロライフが、最初に出現してしまったことに原因があるのですが、もしプロライフも、そのカウンターとしてのプロチョイスもなければ、今頃はその運動に割かれたリソースを現実的な避妊と性教育など、女の権利も児の権利も守れる社会構築のための政策に当てられ、より理想主義に近い状態になったかも知れないこと、現在、プロチョイスの先(理想主義)を望む人たちが、結局プロライフに堕すのは、やはりプロライフ対プロチョイスという偽の二項対立があるからと考えられること、これらを考えると、やはりプロライフ対プロチョイスの二項対立は、破壊されるべきだと考えます。

堕胎のポジティブな面について述べられましたが、ではなぜ同じように、誰かにとって『ポジティブな面』をもつ犠牲、つまり間引きや死刑や戦争や障害児殺しについて、自称リベラルの多くが反対するのでしょうか。無論、そちらはポジティブな面が薄く(彼らにとって)、それ抜きでもポジティブな結果は代用でき、こちらはそうではないと主張されるのでしょうが、ならこちらも、そんなものなくともポジティブな結果を取れる方法を探すのが、真に社会の改革という理想を掲げるものの立場であるべきではないですか?そうでない限り、結局かつての共産主義がそうであったように、似非理想、似非革新になってしまうと考えます。

あと、理想主義者として、男性のみが堕胎で罰せられるべきだと考えます。女性と施術者が堕胎で罰せられる現行制度はおかしいと思います。それと、堕胎権の代わりに、女性の権利として保育器送り権と生み捨て権を無条件で認め、性的に成熟した男性から税を徴収して、女性の権利と児の権利を両立させるための政策に当てるべきです。

最後になりましたが、中絶問題に関して、真正保守、自称保守、自称リベラル、理想主義、中間派の間で、意見や主張の点で妥協をすることは難しいでしょう。しかし、なるべく避妊と性教育を徹底し、面倒事を回避していくという程度でしたら、どの立場であれ実行できると思います。

  • 2010/05/01
  • abduluzza
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No title
あと
>女性は、中絶の権利を獲得する為に昔から闘い続けてきたのです

というのは歴史的にはうそです。似非保守プロライフもそうですが、自分たちの都合のよいように過去を捻じ曲げるのはやめてほしいです。昔の社会では、児の命も女の選択権も(あまり)ありません。だからこそ女への性暴力も、堕胎も間引きも、児童虐待も当たり前だったのです。
  • 2010/05/01
  • abduluzza
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No title
あと、最後になりますが、一部の社会の一部の時代の論壇では関係あるかもしれないけど、本質的には中絶の問題と、ゲイやホモの権利をどう考えるかは別問題です。自分は同性愛や性的マイノリティーの権利を守るべきだと考えます。そして、女の人生の選択権も児の命も守れる社会を望みます。

  • 2010/05/02
  • abduluzza
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Re: No title
> そもそもプロライフ対プロチョイスという対立軸自体くだらないと私は思います。

はい、私もそう思ってますし、このエントリにおいては「プロライフ対プロチョイス」という対立軸にのっとって話をしていないと思います。
  • 2010/05/06
  • イチカワユウ
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No title
どうも誠実なご回答ありがとうございます。

>プロライフ対プロチョイス
しかし、私の目には、あなたの意見はプロライフ対プロチョイスという構図を前提に、プロチョイスとしての立場を主張しているように見受けられました。プロライフを反対者として想定していること、女性の選択の権利を構成する不可分の要素として中絶権をあげていることです。ですから、私はあなたをプロチョイスと受け取りました。

あなたと私は、プロチョイスと理想主義と、立場は違います。その意味では、あなたがたプロチョイスとプロライフや真正保守がそうであるように、また真正保守やプロライフと私がそうであるように、相容れない立場だと思います。

しかし、それでも意思に関わらず望まない妊娠の苦痛と屈辱を味わい未来を絶たれる女性や、意思に関わらず殺される胎児が、共に絶対的な弱者であること、理想としては女も児も救えることが望ましいということでは一致できるのではないでしょうか?そして、このことを認めることは、プロライフの人も、女性の権利も児の命も拒む真正保守の人も、中間派も、方法論や優先順位は違えど実行できることでしょう。(カトリック的なプロライフ論は避妊を否定しているので論外です。9条原理主義的な平和主義者と同じレベルです)

まずは、避妊と性教育を徹底することが、4つの極論と1つの中間派という立場の違いを超えて、中絶の問題に関する最善の解決を目指すために必要だと思います。
  • 2010/05/14
  • abduluzza
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Re: 笑えないジョーク ーアメリカの医療保険改革と中絶についてー
あと、避妊手段が完璧になれば、中絶手術は要らなくなると思います。
そのときは、中絶手術に固執することは、現代の自称先進国で間引きに固執するのと同じになるでしょう。

無論、現在でも間引きが必要な、あるいは行われている国や社会は沢山あるということも念頭には置いています。



  • 2010/06/29
  • abduluzza
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