レズ・ビアン・レズビアン

レズ・ビアンなど、一部で熱く盛り上がっていた「レズビアン」にまつわる呼称について。かなり今更感漂うのですが、一応まとめておこう。

■コトの起こりはTwitter

そもそものTwitterでの会話「レズって蔑称なんですか?」という言葉に纏わる会話を紹介。文脈補完のために、多少編集を入れてあります。あとTwitterでのポストを元に構成しているので、途切れ途切れで申し訳ありません。

(レズって蔑称なんですか?という質問を受けて)

●「レズ」は蔑称かどうか・・・・・ですか・・・・・・。これはなかなか返答が長くなりそうっすねー。皆さんがどう思うかも聞いてみたいもんですわ。

●てかそういう質問がされた事自体に今衝撃をうけました。

●レズは「蔑称」というか…。(1)名称短縮問題&(2)ポルノとかに使われている印象の投影問題などがからんでいる関係で、当事者がそれを使って呼ばれたい名前ではなかったといえばいいのかな。

●っていうか「XXは蔑称か」という情報は、外国語においてならまだしも、母国語においてなら、外部から与えられるものではなく、ある程度それを蔑称とするような文化の共有があると思っていたので、そうじゃないの?というのが衝撃だったのかな。

●ただ、私は「レズは蔑称」であるという知識をここで「教えたい」わけではないんです。

●そうではなくて、日本語圏において「レズ」が使われる時、それが蔑視的に受け止められる可能性が私はあると思うし、それは知識というより、それぞれが生きている環境によって異なると思うので、もしもあなたの周囲にそういう空気(「レズ」という言葉が蔑視的に響く空気)がないなら、それはそれですごいことだなーと思った。

●例えば「ジャップ」は日本人に対する蔑称だけど、「JAP」が蔑視的な意味を持たない文化というのも確かに存在するわけで(だからといってJAPが不適切である文化においてのその用語の使用が正当化されるわけじゃないけど)

●同じように、「レズ」が蔑称ではない文化というのもありえると思う(だからといって「レズ」を不愉快に思う人の前で「レズ」を使うことが正当化されるわけではないけど…)。

●てかXXは蔑称、OOはイクナイ!みたいな、言葉狩り的なデジタルな用語の選別にはあまり意味がないと思う。そういう「使っちゃいけない言葉のリスト(これを使わなければ差別しないことになる)」がどっかにあると想定して、その情報を求める式のコンシャスネスというのにはちょっと違和感を覚える。

●愛情のこもった「レズ」もあれば、マジでムカつく「ビアン」もあるわけで。別にレズはなんでもかんでもダメというわけではない。

(JAPが差別語であるという認識ほど、レズが差別語であるという認識はないのでは?という指摘を受けて)

●「レズ」に蔑視的な意味がないと感じている日本人が大多数なら、なぜ、レズビアン当事者は「ビアン」という言葉を発明しなければいけなかったんだろうか?

●それは無意識のうちに、現代日本語における「レズ」という言葉の背負うものがネガティブだったことを、レズビアンが感じ取ってきたからだと私は思う。(私自身も、「レズ」には多少ネガティブな印象を持っていた)そしてその感覚は、多かれ少なかれ日本語話者には共有されているのではないかと、勝手に思っていた。だから、「レズは蔑称ですか?」という質問に驚いた。



…と、ここまで書いた上で、ビアン通信さんよりBlogのエントリがありました。

レズ・レズビアン・ビアン(1)
http://kookoo.blog77.fc2.com/blog-entry-170.html

レズ・レズビアン・ビアン(2)
http://kookoo.blog77.fc2.com/blog-entry-172.html


これを読んで、想像を遥かに上回る「超蔑称だった!“レズ”の歴史」を知って、私は愕然としました。

私は、「レズ」という言葉を、ここ1~2年、使っている。
それまでは、使おうとしても、口にしようとしても、出来なかった。私が若い頃、「レズは蔑称ですか?」どころではなく、蔑称も蔑称、大蔑称だったから。「レズ」は私に、かつての苦しかった時代を思い出させる。今でも口にするたび、胸が痛む。本当は、見るのも聞くのも嫌な言葉だった。



からはじまる一連の「レズ」の描写。是非一度読んでほしいのだが、本当に驚いた。


80年、佐良直美の元恋人だった女性タレント・キャッシーが、振られた腹いせに、芸能リポーターに密告した。歌にドラマに司会に大活躍の佐良直美だったけど、一大スキャンダルとなり、連日、レズ、レズビアン、とマスコミで叩かれ、消えていった。そのときの報道たるや、凄まじいものだった。
「レズビアンであることがばれると、あんな風に社会から抹殺されるんだ・・と、一生のトラウマになった」
と言った人もいた。
佐良直美は、そのへんの平凡なタレントではなかった。レコード大賞受賞歌手というだけでなく、東京の御三家のひとつ(美智子皇后も同窓)の出身で、深窓の令嬢、頭も抜群に良かった。クイズ番組は総なめ、話も上手くて紅白では5回も司会を務めた。今で言うとだれ?と聞かれても、思いつかない。それくらい非凡で人気もあった彼女なのに、まるで犯罪者のように叩かれ、消えていった。



「レズ」が蔑称か云々よりも、かつてそうした時代があった、そしてそれを知ることの方が、大事かもしれない。
若い人たちにとっては、単に歴史の一部かもしれないが、40代以上の人にとっては、それが通ってきた道であり、現実だったから。
「レズって蔑称なんですか?」と聞いたり、蔑称と知らずに使っている人がいれば、こうした過去を、歴史を伝えてほしい。




私にとって、若い人のように屈託なく「レズ」という言葉を使うことは不可能だ。
でも、かつての傷ついた自分、失われた過去を取り戻したくて、あえて「レズ」を使っている。



この最後の引用部分を読んで、私はグッとときてしまった。私は別に今どきの若い者というわけではないが、「レズ」という言葉に関してはkooさんと感覚を共有することはできていないし、これからもできないだろう、とひしひしと感じたから。外見的には、同じ「レズ」を使うレズビアンであるかもしれないけど、kooさんの「レズ」と私の「レズ」は、そこに込められている思いが違うんだと痛感したから。自分は、Twitterでノンケさんから、「『レズ』って蔑称なんですか?」と聞かれた立場だったのだが、ここまで壮絶な「レズ」差別の歴史を知らなかったので彼女にそれを答えられなかったし、むしろ、彼女に対して「“レズ”は蔑称だから、“ビアン”と言いましょうね」みたいなことを言うよりも、むしろ「“レズ”は蔑称だと思うけど、でも、文脈によってはありよ」的な、比較的カジュアルに「レズ」使用を擁護するような立場に立っていたと思ったから…。何故か責任を感じてうるうるしまったのね(涙)

まあ、私以外にも、Twitter上で観測する限りでは、私以外にも比較的「レズ」擁護派のレズビアンもいたと思う。だから今回は、そういう立場から書いてみようと思ったのです、私にとっての「レズ」という言葉の持つ意味を!←前置き長い

■「レズ」差別を知らないとはいえ、「レズ」に対しての抵抗感は当然あった

私は「レズビアン」そして、「レズ」という言葉を自分を示す言葉として使うのに躊躇する程度には、「レズ」という言葉に対して抵抗を持っていた。佐良直美については知らなかったし、kooさんが書かれていたような激しい「レズバッシング」については確かに無知だった(そういう意味で、あのBlogエントリの衝撃は大きかった。読めて非常に勉強になりました)それでも、Twitterでも書いたように、「レズ」という言葉が持つ、そこはかとないいやらしさというか汚さみたいのを無意識に感じていた。直接「レズ!」と罵倒されたことがないのに、なぜこういう言語感覚を持つに至ったかは謎。でも、それはきっと私が生まれ育った社会がいかにホモフォビックであったかということの反映だと思う。

そして、そういうなんとなくの嫌な感じは、決して「過去に蔑称だった」からあるというものではなく、今現在もリアルタイムで「レズ」につきまとっているような気がまだしている。違うかな?

■普通に「ビアン」だったデビュー直後の私

だから、ビアンコミュニティに足を踏み入れた直後は、「ビアン」という言葉を当然のように使っていた。「レズ」とつかわなくていいことにほっとしたというより、ついていくのに必死だった。初めはビアンとかタチとかネコとかの用語もわからなかったし。そういう質問を受けてもなんと答えていいのかわからなかった。とりあえずは、そういう言葉を覚えて使うことが、「コミュニティへのパスポート」だった気がした。だから必死で「ビアン」を連発していた。

「うーん。なんか微妙にアタシのセンスとは違うわ…」と感じたことがなくはなかったとはいえ、特に「ビアン」表記に対して違和感などを感じたことはなかった。ただ、ネット上では自分のことを「ビアンです」とどうしても言えなかった。なぜだろうねー。2000~2001年頃のことかな。

■「鬼レズ」との出会い

当時、ネットサーフィンをしていて「鬼レズはマッハで走る」というサイトを見つけた。

「レレレレレズ!!!!!((((;゜Д゜)))」

マウスをクリックする指が汗ばむ!多分サイト主つっちーさんのリブリブしい芸風が私の魂の琴線に触れたんやね。コミュニティに入った時に出会った「ビアン」という言葉にはなかった、新しさ、潔さ、そしてかっこよさを、私は「レズ」に感じてしまったのである…。南無阿弥陀仏。

ちなみに、「鬼レズ」サイトには「レズ・ビアン」問題について、以下のようなコトが書いてある。

やっぱり「レズ」ではイヤですか?

 その昔、ビアンという言葉は輝かしかった。第1回L&Gパレードでの「国際ビアン連盟」の勇姿を君は知っているか!?「レズ」なんてとんでもない、「レズビアン」では重たすぎる。「ビアン」と略すのは、フェミニズムのくびきを離れ、社会に文化を軽やかに発信していこうとするコミュニティ全体の勢いを象徴するかのようだった。
 実際、「フリーネ→アニース」の流れ、笹野みちるのカムアウト、k.d.lang来日と、トピックには不自由しない時期ではあった。もちろん一部には「ダイク&ビアン」は隠語でしかないから「レズビアン」を使った方が良いとの論調もあったが、全体には「ビアン」使用にコミュニティがナダレを打っていった観がある。(実際、私もLABRYS DASHの記事で「ビアン」を乱発していた)
 しかし言葉は変質する。あれほど勢いのあったコミュニティもアニース廃刊、笹野みちるのメジャーからの撤退、相次ぐ地方サークルの休止、さらには美粋まで廃刊、などで一気に冬の時代に突入する。当然、公のメディア(これにはコミュニティ外部からアクセス可能なミニコミ等も含む)が消失したことによって、私的なメディア(インターネット、口コミ)が全盛となる。
 その中で「ビアン」が「びあん」表記に取って代わってゆく。そして「びあん」は単に「レズビアンの新しい言い換え表現」ではなくて、独自の意味合いを帯びてゆく。(「びあんな私」などの形容詞使用が目立ってゆく)それはもはや「レズビアン」を指すのではなく、「女性が好きな女性(どんな風に?どれくらい?)」というあいまいなセクシャリティを指すものになった。閉鎖社会の中ではあいまいさを指摘する声もなく、本来の言い換えの意義も忘れ去られていったのが現状だ。
 なぜ「レズ/レズビアン」ではいけなかったのか?「レズ」という言葉にヘテロ男性のポルノチックな欲望が塗り込められていようと、「レズ」は「レズ」であることからは逃れられない。「差別されている」という現実を直視せずに、安易にびあん表記に溺れていったこと、差別語を引き受ける強さを持たなかったことが、今日のコミュニティの衰退を招く遠因になったような気がしてならない。(隠語である上は被差別者であるという意識を持たずにアイデンティファイできる)差別を意識しないで、どうして社会に関わってゆこうという気が起こるだろう。
 これを読んでいるあなたは自分を何と称するのだろう?やっぱり「レズ」ではイヤですか?

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Sirius/1083/I_think.html



上のタイムラインに沿って言うと、私は「輝かしかった」時代の「ビアン」を知らない。だから、「ビアン」という言葉を過小評価しているのかもしれない。私がコミュニティに入った時、「ビアン」は既に「びあん」になっており、ゲイとしてのライフスタイルのあり方というよりも、かなり下半身に矮小化されたタームになっているように感じられた。別に、女性にセックスだけを求める女性の存在を否定するわけではない。だが、「びあんな」彼らが使いこなすその形容動詞は、自分自身にはそぐわないように当時の自分には思えた。

うーん。ここらへんの微妙なニュアンスの違いはこの文章を読んでもらうとわかるかもしれない。


「最近、かわいい女の子を抱きしめたくなるんです。もしかしたら私ってばビアンなのかもウフフ」



http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20040914/1095172200


そう。こういう文脈ではたいてい「ビアン」が使われてるんだよね。「レズ」じゃなくて。まあ、こういう使われ方がネット上で目立つようになってきたのは、別に「ビアン」という言葉のせいではないと思うので、どうしようもないのだが。

で、当時の私はこういう女性たちにアイデンティファイできなかったのね。私は「女が好き」というのを「下半身のゆらぎ」ではなくライフスタイルと捉える生き方がしたかった。そういう仲間がほしかった。ここで釘をさしておくと、「下半身のゆらぎ」は結構重要。私も今も昔も下半身は常にゆらぎっぱなしだし、それは自分にとって大問題。そういう話をするのは大好き。でも、自分にとって、自分が女が好きだというのは、どうしても「そこ」のみに収まる問題ではなかったんだよね。

鬼レズ以降も「レズ」を名乗り使用するサイトはどんどん出てきた。上で引用したみやきち日記のみやきちさんは「ガチレズ」を自称されているし、他にもレズログ、レズライフ、レズの日常、レズなんちゃらかんちゃらと、「レズ」使用は百花繚乱!レズざくざく!レズ大漁!

そして、それらのサイトが、すごく私にとってはカッコよかったんすわ。あー別に「レズ」を使用してるからカッコいいわけではないよ。生き方とか書いてることが、ね。女性との恋愛を「下半身の問題」とのみとらえているわけではなく、生き方の問題としてとらえている。「レズ」と名付けられることから逃げるのではなく、それを受け止めた上で、それが何か?って開き直って前向きに生きている。そんな「レズビアン」像を、私はこれらの「レズ」使用から受け取った。だから、いつのまにか、自分も、「ビアン」より「レズ」という言葉をより好んで使うようになったのかもしれない。大げさね。でもまじで、無理やり言葉にするならば、ほんとそういうことなんだと思う。

もちろん「ビアン」という言葉や使われ方が全てダサいと感じてるわけではない。ビアンという言葉を使って、かっこいいな!と思えるライフスタイルを築いている方もいる。

また、「レズ」という言葉は、まだかなり尖ったニュアンスを持っている。それは、まるで使い方を間違えてはいけない刃物のようなものだと感じている。私も内輪では「レズ」と言えるものの、コミュニティで堂々と「レズ」と言い放つ勇気は実はない。私が知らない時代の「レズ」という言葉の記憶を嫌い、「ビアン」を好む当事者は多いことを知っているし、kooさんの記事を読んだあとでは余計にそう。だから、私は二丁目の飲み屋では「ビアン」と言うし、オンライン上でも、コミュニティ内部に向けての発言の時は、比較的「ビアン」を使っていると思う。これからも、「レズ」という言葉を使って「あなたのその言葉が私を傷つけた」と誰かにいわれれば、その人の気分を損ねたことをを謝罪したいと思うし、その人に対してその後「レズ」を使わないようにするという礼儀をしめすことを厭おうとは思わない。

基本的に、私の使い分けとしては、

・コミュニティ内での友好的なスラング使用 「ビアン」
・オフィシャルな場や、政治的に正しい言い換えとしての使用 「レズビアン」
・内輪でのネタ使用。もしくはアクティビズムにおいての確信的な使用 「レズ」

って感じかな。

嫌がる人に対して「レズ」と呼びかけたいとは絶対に思わないし、「ビアンなんてダサい!レズでいいじゃん」みたいなノリを作ろうとも思わない。

でも、その上で、私は、自分が「レズ」使用から受けたエンパワメントの力を否定したくないし、言葉狩り的に「レズは蔑称です。だから使ってはダメ」式の知識を広めようとは思わない。当事者が「レズ」使用から逃げつづけることが、レズビアン差別を撤廃するとは思わないからだ。他人にも同じ態度を強制することはできないことは百も承知で、私自身は、必要ならばいつでも「レズですがそれが何か?」と開き直れる力を持っていたいと思っている。

あ、そう言えば、クソレズ宣言、賛同者募集してます★ ←こっちも読んでね!
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Re: レズ・ビアン・レズビアン
こんばんは!
すごく読み応えがありました。
呼称問題を考えるっていうことは、同性愛者である自分自身のアイデンティティや、コミュニティ内での自分の立ち位置を考える、ていうことなんだと実感しました。
もし、私とあなた(恋人)との閉じられた世界のみで生きていくなら、自分をどう呼ぼうと、どう呼ばれようと、関係ないだろうし。
それぞれが違う立場で生きていく中で、呼称を通して、自分自身のこと、自分と人との関わり、そしてもっと大きくコミュニティ全体のこと、歴史、そして未来・・・そうしたことを考えていけたらいいですね。
  • 2010/04/12
  • koo
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  • Edit
Re: Re: レズ・ビアン・レズビアン
「閉じられた世界のみで生きていくなら、呼称は関係ない」ほんとうにおっしゃるとおりですね。
今回にかぎらずいつも、kooさんのおかげでいろいろ考えることができてとても感謝しております。これからもよろしくお願いいたします。
  • 2010/04/15
  • ゆう
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