「インド人とのデートのしかた」を読んで考えたこと -ステロタイプ・人種差別・ユーモアについて-

ハフィントン・ポストに投稿された「インド人とのデートのしかた」という記事が話題だ。
この記事は、インドに3年間住んだことがあり、ニュー・デリー出身のインド人の夫がいるという白人女性Andrea Millerによって書かれている。

この記事に対しては、人種差別的であるという意見、これは単に面白いジョークであり決して差別的ではないという意見、その他様々な意見が、インド人、インド系アメリカ人、インド人と交際経験のあるアメリカ人など、様々な立場から寄せられている。

記事の内容は、IT系や弁護士医者などの高収入の職業を占める割合が高く、浅黒いエキゾティックで美しい風貌を持つインド人とのデートを奨励するもの。インド人と仲良くなり、話を盛り上げるためのコツをいくつか伝授している。そのコツとは以下のとおり。

1)SRK(ボリウッド映画の大御所俳優Shahrukh Khanの略)を知らなければいけない。そして、彼に対する意見を持っていなければならない。
2)好きな俳優を持とう インド人はボリウッド映画がすきだから!
3)好きな女優を持とう インド人はボリウッド映画がすきだから!
4)好きなヒンズー映画について語れるようになろう。 インド人はボリウッド映画がすきだから!
5)ボリウッド映画で使われているビートの速い音楽Bhangraを聴こう。インド人はダンスが好きである★
6)食べ物を食べよう インド人は食べ物が好きだから★
7)言語をしゃべろう。英語以外の、彼らが喋る言葉を喋ると喜ばれます。
おまけ)そうそう、インド人とデートすると、タクシー運転手とよりよく交流できるから、得です!彼氏がヒンズー語でタクシー運転手に話しかけたら、タクシー運転手はよくしてくれるでしょう!


これに対して、多くの読者(主にインド系)が「ステロタイプに基づく一般化だ」と激怒。

批判コメントの一部を紹介すると…。

人種差別だ
・ステロタイプの基づく一般化だ
・ボリウッドが嫌いなインド人もいる。
・音楽が嫌いなインド人もいる。
・自分の言語を喋ってもらって嬉しいのはインド人にかぎらんだろ。
・食べ物が好きなのは皆そうだろ。
アメリカ生まれのインド人は、ボリウッド映画だのインド音楽に興味はない。
・好意的であろうとなかろうと、過度に一般化したステロタイプはよくない。この記事は、一人ひとり個人を観るのではなく、タイプにしたがって相手への付き合い方を変えるよう行っている。
・ボリウッドばかり強調しすぎ。インドには他の文化もある。
・白人から選ばれて嬉しいな♪っていうメンタリティはゴメンだ。
・「インド人は…」ってまとめず、デートしようとしてるその「個人」を見るべきでは。



これに対して、少なからず彼女の記事を擁護する意見もある。

・面白いじゃないか。
・インド人に対して好意的なのだからよいではないか。
・確かに一般化はしているけど、「イタリア男って…」みたいな無害なものであり、あなたがたまたまそこに当てはまらないといってそこまで怒る必要はない。
・落ち着け!そうじゃないと、「インド人は、不寛容でユーモアを解さない」というステロタイプが生まれるぞww



この記事について直接反応しているのは、インド系もしくはインド系とのつきあいがある人が多かった。けれども、この「ステロタイプ」と「ユーモア」そして「人種差別」の問題はインド系に特有の問題ではなく、アジア系にもある問題だし、ゲイ、レズビアンについても、ついてまわっている。これらの問題についてよく考える私にとっては、この議論は身近に感じられ、面白かった。

■私のこの記事に対する意見

私はこの記事が面白いと感じる気持もわかるえど、やはり「レイシスト」だと思う。「レイシスト」という言葉が強すぎるならば「不適切」でもよい。

その理由は二つある。

一つは内容。この記事の内容は端的に不正確であり不適切。上で紹介した(人をステロタイプで観るのであなく、あくまでその人という個人を観るべきetc,etc)という意見に同意する。これは誰がどういう文脈で発言しても同じことだと思う。文化的偏りや特色を伝えるのは結構だが、それを元に「インド人」全体との付き合い方を指南するみたいのは、完全に誤り。ジョークとしては面白いかもしれないが(私は個人的には少しは面白いと思った)、マジメに捉えるのは愚の骨頂。

そして、二つ目は、コンテキスト。この記事の筆者、ターゲットなどを含めたコンテキストが不適切だと思った。

■「不適切」な内容が「ジョーク」になる場合

上で「内容」と「コンテキスト」に分けたが、「不適切」な内容も、コンテキストによっては「ユーモア」、「ジョーク」になる場合はある(その実例は、このブログでも何度も取り上げてきている)。もちろん、その場合も、「不適切」な内容自体は免罪されないし、究極的には「レイシストである」という批判は免れない。

だが、「ユーモア」「ジョーク」として成立する場合は、全体としての評価は少し変わってくるように思う。

この記事はユーモアとして書かれようとしたのだろうが、その反応をみれば失敗していることは明らかだ。だが、目の付けどころが悪かったわけではない。インド人コラムニストや、コメディアンによって書かれたものだったら(もちろんそれでもレイシストだとして、抗議や異議はでるだろうが)、ここまで激しい反応は出なかったのではないかと思っている。むしろ、インディアン・コメディ・フェスティバルなどのコミュニティ系イベントでウケそうなネタなのではないか。

私はアジア系のコメディ・ショーに遊びに行ったことがあるが、そこでは比較的自らの(そして、観客の)アジア人性をネタにした笑いが横行し、許されていた。

で、表面的には、同じように「ステロタイプを利用したユーモア」なのに、なぜ一部は面白く、一部はムカつくのか。

その理由は、この記事に対する反応には、「内容」のみならず「コンテキスト」-インドにも住んだことあって、インド人の夫や友達がいっぱいいる「インド通」を自負する白人(非インド人)の彼女が、自分の限界をあたかも知らないかのように「非インド人に向けて」語ってみせるというそのやり方-が、非常に気にくわないというか「不適切」だからだと思った。

■コンテキストとは、発話者が当事者か/当事者ではないかということだけではない

別に彼女が「インド人」じゃないことを問題としているわけではない。
それは問題の一部だとしても全てじゃない。

例えば、こんな「日本人との付き合い方」みたいな記事があったとするよ。

1)生魚を食べましょう。少なくとも食べるふりをしましょう。でも寿司についてうんちくをたれすぎないように。あなたがまるで日本人の彼/女より寿司に詳しいかのような素振りをしたら、彼らは不機嫌になります。
2)日本人にクジラの話題は避けましょう。怒りだします。
3)彼らはアンダーヘアを剃ってないことがあります!驚かないように
4)彼らは「ノー」と言えません。ニコニコしながら「メイビー」と言われたら「ノー」だと思いましょう。
5)彼らは「愛してるよ」と言えません。他人に「うちの愚かな妻」と言ったりします。それでもサムライの彼はきっとあなたを愛しているのですから気にしないで。
6)彼らはレディーファーストをしません。それが彼らサムライの習慣なのです!マナーを知らないやつだと思って軽蔑するのはやめましょう。
7)日本人男性は突然顔に射精してくるかもしれません!それは「愛してる」ということを伝える日本の伝統です。嬉しそうな顔をしてあげてください。きっとうまくいきます。



…。とか。

わはは。バカ。面白い、って思うか。

でも次の瞬間「ムカ」っと来るかもしれない。日本人はこんなんじゃないって抗議したくなるかもしれない。

どうだろう。
この違いはどこから来るのか。

それは、誰が、誰に向けて、どういう意図で書いてるのか、っていうコンテキストに結構影響をうけてるはず。

上のリストは今日本人の立場にいる私が、日本語で、日本文化を理解する読者に対してジョークとして適当に考えたもので、そう考えているうちだけでは別にそこまで腹が立つ人は少ないかもしれない。だが、上のリストが本気で英語メディアに載っていたら腹がたつ人は多くなるだろう。「いやいや、それはちょっとまずいでしょ」って抗議したくなるのではないかな。

で、ここでのコンテキストは、この発言をしているのが「当事者か否か」という一点のみにあるわけではない。

その記事を書いたのが「日本人」であっても(例えば、私がこのリストを英語で作って、LA Timesに投稿して掲載されたら!)、そのコンテキストからすると、もはや「ジョーク」として終わらせられる問題ではなく、抗議や批判が必要になってくる場合というのはあるだろう。

■私が今考えてること

この議論は、私の中ではそのまま「レズは差別か?」問題や「ホモネタ/人種ネタジョークはどこまで許されるか?」と絡んでいる。

ま、まとめると「不適切」な内容も「コンテキスト」によっては「ジョーク」になりえ、その場合は、「ベタな差別発言」よりはまだマシである。というような結論を自分のなかで出していて、こまでは自分の頭のなかでかなり納得できている。

だが、その先、「では“ジョーク”として成立するならば、ステロタイプに基づくような不正確/不適切発言はどこまでも許せるのだろうか?」という疑問についてはかなり混沌とした考えしかない。

ざっくりした考えを書いておくと、まず前提として、「ジョークだよ」というのをエクスキューズとした差別行為は絶対許されないことは当然。だが、多分その「ジョーク」が存在する社会の種類によって「ジョーク」の持つ意味が異なってくるし、究極的には(その「ジョーク」に差別性をまったく感じない社会においては)左利き/右利きとか、血液型の問題とか、現在「差別」まではいかないけど、存在するステロタイプの問題となってくる気がする。

仮に、「差別的」じゃないステロタイプが存在するとして、でも、それはやっぱりどこか問題じゃないのかな?っていう問題意識。

ここらへんはまだ考えている最中でもあるし、長くなりそうなので、また機会がある時に書きたいと思う。
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