見た目よりも困難な選択--レズビアンカップルに精子を提供した男の妻の気持ち

私の好きなニューヨーク・タイムズのコラム、モダン・ラブ(以前も紹介しました)。最近はバイセクシャリティの記事が掲載されるなど、クィアな内容も含まれています。

今回、レズビアンカップルに精子提供を頼まれた夫を持つ妻の心境についてのコラムを見つけました。

私はどちらかというと精子を貰う側なので、ドナー側の気持ちはあまり考えたことがありませんでした。しかし、「精子を提供する」というのは当事者の周りにも想像できない影響を持ってしまうのかも、と考えさせられました。古いですが、代理母が生まれた子供の引渡しを拒んだ「ベビーM事件」なども思いだしました。

私は「伝統的な」家族の作り方や「血のつながり」をあまり重視したくない方なのですが、こういう妊娠・出産にまつわる実感系の話を聞いていると、いろいろ興味深いです。

勉強のために訳してみました。ちょっとアヤシイところもありますので、興味を持たれた方は是非原文を読んでみて下さい(また間違いなどありましたらどうぞご教授下さいませ)。
夫の友人であるレズビアンのマギーが、パートナーが子供を持つために、夫の精子を提供してくれるよう頼んだ時、夫はまず妻である私に尋ねなければ、と答えた。もしも、ディナー・パーティの場で仮定の話として「友人のレズビアンカップルから、夫の精子を欲しいと言われたらどうする?」と尋ねられたのだったら、ためらわずに「YES」と答えただろう。仮定の話ならば。

夫は期待に胸を膨らませ、仕事中に電話をかけてきた。恐らく、マギー達が真剣ですぐにでもはじめがっていると悟ったのだろう。私はためらった。

「医者に行って試験管を使ってやるの?それとも、妊娠するまでし続けなければいけないの?それによって全然違うわ。一つはすごく医学的な感じだけど、もう一つの方なのだとしたらちょっと問題よね」

「違うよ」と、ベンは答えた。「僕は精子を袋にいれて渡し、彼女達はスポイトを使うんだ」

スポイト方式か。

何年か前にも、マギーが私の夫に精子ドナーになってくれるように頼んだことがあった。当時は、マギー自身が妊娠することを考えていたのだ。

「“昔ながらの方法”で精子を渡してもOK?」と夫は冗談で答えた。

「スケベ!」マギーも冗談っぽく言い返し、その話は立ち消えになっていた--今までは。

私の夫は(男性の多くがそうだと思うが)こういう依頼をされることを光栄に思うタイプだ。「自分のどこが、生物学的に優れているように見えたのだろう?」などと考えただろう。私にはわかる。彼はたまにタイミングを外すけれども、ユーモアのセンスがある面白い人だ。背が高く、体はがっしりとして健康で、知的で暖かくハンサムだ。つまり生物的にみて望ましい父親候補者なのだ。

もちろん私はわかっているに決まっている。私達がつきあいはじめてから数ヶ月後、街灯の下で私は彼の顔の中に自分の娘の顔を想像することができた。自分の娘を持つならこの人だ、とわかったのだ。そして4年後、娘が生まれた。

マギーの依頼は、私の中に奇妙で力強い反応を引き出した。理由はわからないけれど、ただ正しいのだとわかるタイプの反応だ。ベンと私は結婚していたけれど、私達は伝統的な家族とはちょっと違う。出会った時、彼は20才の演劇選考の学部生で、私は29才の大学院生だった。そして私はシングルマザーで2人の息子を誰の支援もなしに育てていた。私達は激しく恋に落ちた。そして、一緒に家族を作るようになった。

それから数年して、娘が生まれ、そしてまた数年が経った頃、私達は3人の子供達に囲まれて結婚した。19年ものあいだ、彼は変わらず私達を愛してくれた。

だから、精子ドナーの話が持ち上がった時、それは美しい生物学上のバランスを壊してしまうように思えたのだ。でも、私は衝動的な反応に従う代わりにこう答えた。

「いいわよ。でも初めに子ども達に尋ねなくては」

家族が集まったダイニングテーブルで、夫は皆に状況を説明した。

私たちの14才の娘は答えた。「いいんじゃない」

私の息子達は20代で、近所に住んでおり、時折食事のために家を訪れていた。2人とも初めは肩をすくめた。次男の方は黙っていた。長男が言った。「なんとなく変な感じはするけど、まあ、僕達にはあんまり関係ない話だよね」

多分一番影響があるのは私の夫の生物学的な子供である娘に対してだっただろう。人は、生物学的な両親を探し、血の繋がった兄弟を探し求めるものである。もしも将来、生まれた子供が私たちの娘と関係を持ちたがったら?彼女が一緒に育った息子たちと同じように「半分血を分けた兄弟」としての関係を持ちたがったとしたら?

この決断がもたらす影響にどんなものがあるのか、知り得ないことが沢山あると十分分かった上で、それでも私達はカップルに「YES」と言うことを決めた。娘は椅子を後ろにずらし、テーブルを離れる時に言った。

「どういう風にするかってことを詳しく言わないでね!」

数日後、マギーが我が家の外で車に暖房をつけながら待っている間、夫はサンプルを採取し、バッグをシャツの中にいれて温めながら、寒空の下彼女の元へとかけていった。私は玄関口の階段から、彼が車の窓越しにそれを渡すのを眺めていた。「頑張って」とベンは言った。

妊娠の神様が微笑んだのか、この一回で彼女は妊娠した。

妊娠が成功すると、更なる疑問が生まれてきた。

私の夫の法的責任は?(ない)
そして権利は?(ない。でも一緒に遊ぶのは歓迎)
彼は子供にとってどういう存在という設定になるのか?(友人)

これらの約束は、証人も契約書も、そしてウィスキーの一杯もない中で作られた。秘密保持についての取り決めもなされた。彼らは、父親が誰なのかということについての秘密を一生守りたいと希望した。

「もちろん」私達は同意した。

生物学は簡単かもしれないが、人生は複雑である。妊娠中、ベンはカップルを訪れていたけれど、私は自分の役割が何なのか、よくわからなかった。これは私には関係のないことだった。でも、月日が経つうちに、私の中には疑問がどんどん生まれてきた。

「もしも、私があなたの子供を妊娠しているとしたら」ある夜、私はベンに言った。「私はあなたを愛すると思う。それまでよりもずっと愛情が深くなる」私にはわかっているのだ。もう経験したことなのだから。

「彼女はレズビアンなんだよ」彼は答えた。「そして彼女のパートナーのことを愛しているんだ」

「だけど生物学的には……」

「生物学的に何だって?」

「もしも彼らが別れたらどうするの?もしも、あなたが生まれてきた子供に夢中になってしまって、そして、その母親にも夢中になってしまったらどうするの?もしも彼女が生物学的な父親であるあなたと一緒に子供を育てることにしたらどうするの?」

「もしも、ピアノが頭の上に落っこってきたらどうする?」彼は答えた。

それからFacebookのこともある。カップルが妊娠したことを投稿し、沢山の「いいね」や祝福がなされた。そして妊娠した母親は、妊娠の詳細について細々と投稿した。時には大きくなっていくお腹が写ったほぼ裸みたいな写真も投稿された。ある日彼女は超音波写真を投稿した。「男の子です!」

私は画面を覗き込み、夫の生物学的な子供の写真を初めて目にした。

初め、私はこの不快な感じは、プライバシーに関してののものだと思った。私達夫婦は秘密保持の契約をしていたのに、赤ちゃんと妊娠についての個人的な情報は毎日のように、時には毎時間のようにFacebookに投稿されていくのだ。これはリアルな生活では一層問題になった。ある日、夫と私は、妊娠している母親の友達とダウンタウンで出くわした。

「最近どう?」彼女は目をキラキラさせながら尋ねた。そして私が何も答える前にこう付け加えた。「知ってるわよ」

やがて私は本当に私を悩ませていたのが何か理解した。それは自分がもう出産はできないということだった。私はもう選択の余地のない年齢に達していた。彼女の妊娠したお腹を見ることは何も私の選択を変えることはなかった。でも、それがきっかけで、この「喪失」が表面へと浮かび上がってきたのだ。彼女の妊娠は公にされ、祝福されていたが、私の気持ちは個人的で悲しみに満ちたものだった。

私は親しい友だちに秘密を打ち明けた。彼女は沈黙し、顔をしかめた。「私なら自分の夫にそんなことをさせることはできない」彼女は言った。「本当にあなた、大丈夫なの?」

「大丈夫」

どちらにしろ、今となっては私にはもう選択の予知はなかった。私は、自分の知っている進歩的なコラムニストならなんというか想像した。彼女は眉をひそめた。「私ならしないわ」

もう、遅すぎる。

ベンと私は、お気に入りの公園を散歩しながら、自分達の選択の理由について改めて話しあった。私達は3人の美しい子供たちに恵まれることができた。他の家族が子供を持つのも助けてあげようじゃないか?

人生においては、時には「YES」ということを決めてしまい、結論がどうなるかは、人生の不思議に任せるということが必要なのだ。夫と私がまだ一緒にいる理由の一つは、私達が人生についてこの変わった哲学を共有しているからだろう。

ベンの両親と初めて会った日のことを覚えている。2人の息子を抱えた29才のシングルマザーが、息子の大学の卒業式に来ている。多分彼の両親は密かに心臓発作を起こしていたのかもしれない。でも、彼らは、息子を座らせて説教する代わりに、彼が自由な人生を生きることを許した。彼らは、私に対して親切で、尊重してくれた。何より彼らは私の2人の息子を愛してくれた。

これまでずっと、息子たちの生物学的な父親の家族がそうできない時も、夫の家族は助けてくれた。誰が自分の「家族」となってくれるかというのは、想像ができないものである。

出産の数週間前、カップルは私達を招き、胎児の心音を聞かせてくれた。妊婦は出産直前に特有の輝きを放っていた。彼女がソファーの上で体を伸ばした時、赤ちゃんがお腹を蹴っているのが見えた。助産婦が超音波の機械を赤ちゃんの肩のあたりに当てると、赤ちゃんの心臓が鼓動しているのがわかった。他の女性の中にいる、私の夫の子供。

そこには、夫の面影のある子供がいた。その時、これまで考えもしなかった疑問が浮かび上がってきた。もしも私がこの子に夢中になってしまったら?

2週間後、自分の腕に生まれた赤ん坊を抱いた時、それは現実になった。私は彼の顔、目、唇を眺め、そして小さいがしっかり息をしている鼻を見つめた。私は彼の耳元にささやきかけた。私は願った、彼が長く幸せで健康な人生を送りますように、神のご加護がありますように、そして「YES」に伴う人生の不思議がありますように、と。

http://www.nytimes.com/2013/06/02/fashion/My-Husbands-New-Son-Modern-Love.html

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