ガーデニングから学んだ五つのこと

ガーデニングは引退した老人や裕福な主婦の優雅な趣味なだけではない。一部の人々にとって、ガーデニング社会を変えるためのアクティビズムだ。

ヒルサイドの一軒家に住む若いカップルはバックヤードを「食べられる庭(Edible Garden)」に改造し、自給自足率を高めようと狙う。サウスゲイトに住むアーティストは、公共の道端に「勝手に野菜を植える」ことで、地域を変え、若者を変え、皆の食生活と健康状態を、そしてコミュニティを変えることを企む。
しかし、私はガーデニングをアクティビズムだと思って興味をもったわけではなかった。ただ、花や野菜が育てたかった。でも、今のアパートには、庭どころかベランダも出窓もついていない。自分にできるのはサボテンの鉢植えを買うことくらいだった。しかしある時、「コミュニティガーデン」という素晴らしい仕組みについての記事を読んだ。

コミュニティガーデンとは、地域で管理されている畑のこと。アパートが立ち並ぶような都会でもガーデニングが楽しめるのが大きな魅力だ。私の住んでいる市には二つのガーデンがあり、一つはかなり広いが、プロットに空きがなかった。もう一つのガーデンは面積は半分ほどで、値段も高いが「オーガニック」のポリシーで運営されている。連絡を取るとちょうど空きがあったので早速申し込むことにした。約一年半前のことだった。

ガーデニングをはじめて、私の生活は変わった。いつもより早起きして、畑に行くようになった。畑で育った花をつんでデスクに飾るようになった。今まで食べたことのない野菜のレシピを探して作るようになった。そして、何より「自然」や「食」に対する考えが大きく変わった。今日は私がガーデニングから学んだことをシェアしたいと思う。

1)野菜を食べることは「不殺生」とは程遠い

ガーデニングを始める前は、野菜を食べるということが、生き物を殺さないという甘美なイメージと結びついていた。でも、ガーデニングをはじめて、野菜を育てることは、多くの命を犠牲にした上になりたっているのだと痛感した。

まず、野菜を狙う害虫や動物はどんどん放り出さなければいけないし、一生懸命生えてくる雑草もどんどん抜かなければならない。野菜自身のことも、容赦なく抜き取ります。脇芽をかいたり、間引きをしたり……。何より、せっせと成長して、「子孫を残そう」としている野菜の花や実がせっかくなったところで、それを無慈悲にも刈り取らなければならない。

「野菜を食べる」ことにつきまとう原罪のようなものを感じられたのは一番の発見だった。

2)虫をなめてはいけない

コミュニティガーデンは町中にあるし、鍵がかかっているので、たぬきやイノシシなどあまり大規模な動物の害はない。たまに猫が畑にフンをしていくくらいだ。それでも「虫」の害はすごかった。特に夏は大変。植える苗植える苗次から次へと食いつくされ、半分くらいは立ち枯れてしまった。これは打撃が大きかった。せっかく植えた「子ども」である苗が、次々にやられていく。植えても植えてもやられる。経済的にも精神的にも辛い。なんとかしなくてはいけない。

オーガニックのコミュニティガーデンでは殺虫剤を使えないので、牛乳を薄めたものや、にんにく、唐辛子などで作ったスプレー、虫が嫌うというハーブオイルを葉っぱにふきかけたりしたが、大して効果がない。一番いいのは、葉っぱの裏側に潜んでいるのをつまみとることだと聞き、せっせと虫を潰した。

もちろん虫だって、生きていくためにご飯を食べなければいけないのは理解できる。だから少しくらい葉っぱをカジるくらいなら、まあいいとしようじゃないか。それくらいだったら虫を殺したりしない。でも、その植物自体が死んでしまうくらい全ての葉っぱを食いつくすことはないじゃないか。そうやって限界まで食いつくしてしまうから、こっちだって、「虫めえええ」となって見つけるやいなや捻り潰したり放り投げたりしなければいけなくなる。「動物との共生」というお題を掲げるのは簡単だが、現実には難しいと痛感した。

まだこれが虫だけならいいが、もしもこれが、郊外で、動物が出るような畑だったら更に罠をしかけたりで大変なんだろうなーと想像してぐったりしてしまった。

3)雑草をなめてはいけない

虫と並び、夏のガーデニングで大変苦労したのが「雑草」。なんという名前かなんだか知らないが、何種類かあって、頼まれてもないのに生えてくる。野菜の種よりも必ず早く発芽するし、野菜よりも必ず早く成長していく。放っておくと、さっさと花を咲かせてまた無数の種をばらまくので、抜かなければいけないがこれがまた大変。深くまで根を張っているので、ちょっとやそっとで根っこが取り除けない。ヘタするとまだひょろひょろの野菜の根っこまで一緒に抜けてしまう。本当に面倒くさいやつなのだ。

ちなみに雑草は英語でウィードという(大麻を表すスラングと一緒だ)。

4)オーガニック農業を盲信しない

とにかく「農薬」や「化学肥料」を使えないというのはものすごーく大変。趣味でこれだけ大変なのだから、事業としてやるならどれだけ大変だろう。不思議なことに、自分で野菜を栽培するようになった後になって、私はオーガニック農業に対して懐疑的になってしまった。

私はもともとオーガニック野菜が好きで、「健康によいに違いない」と軽い気持ちでよく買い求めていたが、実際に野菜を育てるようになってからは産業としてのオーガニック農業のリスクや問題点などを否応なしに意識するようになった。コストを下げるために郊外で大規模に行うため、かえって輸送コストがかさみ、CO2を排出しているとか。大量の労働力が必要だが、その多くは移民でその労働環境が問題になっているだとか。また、「オーガニック」はもはやマーケティングのツールにすぎなくて、必要以上に高い値付けをするための言い訳であるとか。

「オーガニック」かどうかだけをキーワードに食材のよしあしを判断することはできない。

また、これはかつての自分でもあるのだが、「オーガニック野菜」でありながら同時にツヤツヤ大きくて虫食いの後もない形のよい野菜を当然期待するような心理も、「オーガニック野菜」に法外な値段を払うというのもなんだかバカバカしいと思うようになった。なるべく自然に育った食材を手にしたいという気持ちはわかるが、そもそも「農業」というのが不自然なものなのだ。

4)野菜の知らなかった顔

人参の花がどんなに可憐か。ズッキーニがどんなに大きくなるのか。(そして、葉っぱがとげとげか!)きゅうりがどんなにネジ曲がり、キャベツは放っておくとどれほど育つのか。野菜が放っておくとどんなに大きくなるのか。(そうしててんとう虫がどうやって交尾するのか!)

こういうことは全部ガーデニングをはじめてはじめて学んだことだった。それからスーパーにすました顔で並んでいるきれいな野菜を目にする度に「あなたが畑ではどんなだか知ってるよ。ふふふ…」と何か自分だけが秘密を知っているような気分になった。

5)「育てる」ことで自分も育つ

私には子どもがいないしペットもいない。けれど、ガーデニングをするようになって、「育てる」ということの楽しさを知った。種をまき、水をやり、きちんと世話をすれば、野菜は応えてくれる。しかし、私が世話をしなければ、野菜は簡単に死にたえてしまう!私の両肩に野菜の命がかかっているのである。それを意識した時、自分の中で何かが変わった。

また、野菜を育てているのは自分一人の力でもない。「自分にはどうにもならない自然の力」も思い知った。上で書いた雑草や虫はそのひとつだし、太陽の光や雨風のありがたみ、土の偉大さなどもそうだ。自分にはコントロールできない自然の恵みのお陰で、野菜は育つ。それを思い知った時、我慢強くなったし、焦らなくなった。ガーデニングを通じて、私は自分自身が成長できたと思う。

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