死ぬまでブログを書き続けたい

昨日母親のことを書いた。それはちっともリツイートもされなかったしバズもしなかったけど、メールやメンションで直接メッセージをくれた人が数人いた。
その人たちの状況と、わたしの状況が似ているわけでもないし、解決策が見つかったわけでもない。それでも、何か嬉しかった。そういう個人的な感想をもらったことは久しぶりで、何か、最近ずっと失われていた読んでくださる方との親密さのようなものが戻ってきた気がしたからだ。個人的なことは長らく書いていなかったのだから、個人的な反応がなかったのも、当たり前かもしれない。実は、昨日投稿する前には「こんなことを投稿していいのだろうか?」としばらく迷ったのだけど、投稿してよかった、と思えた。(将来消すかもしれないけど・笑)

ブログは何年もの間運営しているが、たまに「何のために書いているのだろう?」と見失って書けなくなる時がある。

そんな風に迷走している時は、大抵「情報」を出そうとして、ネタを探してる時だ。時事ネタやニュースやを書く時もあるけど、そういうことは、他のサイトやブログで素晴らしいものがあるから、もうそれでいいと思ってしまう。「情報」で勝負するなら、なるべく人が書いていないような事柄や切り口から書こうと思ってるけど、実際にはそんなネタを見つけるのはなかなか難しい。そんな風に考えていくと、気づくと何も書けなくなっている。もっと先に誰かが書いてるから、もっとうまい人が詳しく書いてるから。そんな風に思いを巡らせているうちに、「情報の価値」としては、自分のブログの存在意義なんてまったくといっていいほどないことに気づいてしまう。

「自分にしか書けないこと」っていうのは、結局自分の経験や考察になってくるんだよね。そこに価値があるかどうかを考えだすと、また別の意味でかけなくなりおすだけど(笑)、とりあえず「情報」で勝負するのをやめて、「自分のために、自分の考えを書こう」と割り切ったら、またブログが書けるようになった。

そう、わたしにとってブログは、精神安定剤のようなものなのだ。自分のために書いてるのだ。そこに、何か新規な情報がなくても、何か濃くてインスパイアされる考察がなくても、自分なりに考えたことを書く。それでいい。

ブログのおかげでいろいろな人と知り合うことができた。リアルな友だちになった人もいれば、いつの間にか疎遠になってしまった人もいる。ブログだけでつながっていた人のところにたまに遊びに行って更新が止まっていると、もうわたしは、その人の近況がわからない。もちろんブログをやめてもこの世からいなくなったわけではないし、むしろリアルで充実しているんだろうと思う。でも、寂しさを感じる時はある。

わたしは死ぬまでブログを書き続けたい。何か大きな事件が起こったりしてブログのテーマがまったく変わってしまっても。例えば、わたしがある日男を好きになって結婚して主婦になって結婚することになっても。日本に帰ることになっても。それでも、わたしはブログを書き続けたい!
関連記事
スポンサーサイト
にほんブログ村 セクマイ・嗜好ブログ 同性愛・ビアン(ノンアダルト)へ 👈応援クリックお願いしますm(__)m

comment

comment form
公開設定

trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。