「運命の人」を探してる人はいますぐやめるべき。そんなの存在しないから。

これは、結構昔から信じてることなんだけど、最近、確信に近くなってきたので改めて書く。

わたしは、「運命の人(英語でいうとthe one)」は存在しないと思っている。……というと、すごくシニカルで悲観的な恋愛観を持っているようだが、そういうわけではない。わたしは、はじめから完成された「運命の人」がどこかにいて、それを探しあてる、とか、その相手が「運命の人」かどうかを見極めるとかそういう態度を目の当たりにすると、すごく疑問を覚えるのだ。だってさ、運命の人(the one)が文字通り「一人」しかいないんだったら、もしも自分と出会う前にその人が死んじゃってたらどうするの?それに知り合った後も、もしも、その人と別れたりしたらどうなるの?もし別れたらやっぱりその人は運命の人じゃなかったことになるの?じゃあ、事故で死んじゃったらどうするの?もう運命の人はいなくなってしまったから、その後の人生は一人で過ごすの?それとも、新しい「運命の人(the one)」を見つけるの?でもそしたらthe oneなのに、二人になっちゃうね、それでもいいの?もうそうなったら、前の人を「やっぱりあの人は違った」ってなるの?おかしいよね!

“運命の人”は、ダイヤモンドのようなもの。ダイヤモンドは土の中で初めから輝いてるわけではない。原石を見つけたら、あなたがそれをちゃんとカットして、磨き上げて、それなりに労力を投資することで、やっと、ダイヤモンドは磨きだす。

恋愛もこれと似てる。

その人が、運命の人かどうかは、会った瞬間にわかるわけではないし、「この人がそうなのかなぁ?」と思って一生懸命観察しているだけでもわかるわけでもない。自分もその関係の中汗を流して、一生懸命、磨いて磨いて、その関係に時間も労力も必死でインベストメントして、その結果わかる。

あっ、でもやっぱり、これはたとえ話にすぎなくて、
ダイヤモンドと運命の人は、完全に同じじゃない。

なぜなら、ダイヤモンドは掘り出した瞬間から、(それがそう見えなくても)「この原石はダイヤモンドかどうか」っていうのが既に決まってるけど、恋人はそうじゃないからね。

問題は、「その人が“運命の人”かどうか」ではなくて、「この関係が”運命“なのだ、この相手がthe oneなのだと思えるような関係にまで持っていけるか」ってことなのだ。問われているのは、相手だけではなく、自分をも含む「自分と相手の関係」なのだ。自分と完全に相性のよい魅力的な誰かがどこかに存在してて、それを見つけるっていう話じゃない。他人である自分と相手がそこまで濃いコミュニケーションとって、わかりあって、時には妥協しあって、やっていけるか、どこまで、この面倒な「つきあい」をやりたいと思うか。エゴとエゴがぶつかり合うなか、損した気分にならず、どこまで譲りあえるのか。幸せなままで、どこまで許しあえるのか。幸せな気分のままで、どこまで「自分の都合」を手放すことができるのか。

運命の人は見つけるものじゃない。

運命だと言い切れる関係はあなたが、あなたと彼女がつくっていくものなのだ。

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