孤独と詩人の蜜月関係

今でこそ派手なパーティ好きでありかつ大胆なビジネスパーソンを気取っているが、昔は文学少女で、いつも図書館で借りてきた詩集を読んでるような内気な人間だった。しかも、詩を暗唱して女の子を口説こうとか考えていたのではなく、本気で私は文学を愛してた。きっと、文学なしでは孤独死してただろう。詩的表現の中に、“友達”を必死で探して、発見し、そしてそれを何度もつぶやいて孤独をなだめすかしていた。

例えば私が愛していた詩にこんなのがある。

To You

Stranger, if you passing meet me and desire to speak to me, why
should you not speak to me?
And why should I not speak to you?

-Walt Whitman



私はこの詩が好きだった。
学校帰り、新宿駅前で座りながらずーと人間観察をしていた。
この中のどこかに、もしかしたら親友か、もしくは恋人と呼べるような存在になる人がいるのかもしれないと。
もしかしたら今すれ違った、あの子がそうなのかもしれない。
それとも、あっちにいるあの子。
私は誰かが私を発見してくれるのを待った。
でも、新宿駅の人並みは誰1人として私に目もくれず、いつも時間だけが過ぎて行った。

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そんな時、心の中でいつも念じていた。


見知らぬ人よ、 君が通りすぎるとき 私に話しかけたいと思えば、なぜ 話しかけてはいけないのだ?
私は 話しかけてはいけないのだろうか?


Copyright©2000 SHIKI Kazumi(志木和美)



私はStrangerー見知らぬ人ーに話しかけたいと思いながらもその勇気がいつもなかったし、私に話しかけてくるStrangerもいなかった。(ナンパとかの話をしてるのではありません。念のため)


大学生の時に、この詩をモチーフにした短篇映画を作った。
Strangerに話しかける男と女の話だ。
学園祭でそれを上映した後、サークルの後輩が私に歩み寄ってきて言ってくれた。

「ゆうさん。私も同じようなことを感じることがある」

私は当時、初めての本当の恋人が出来たばかりで、レズビアンの世界を探検し始めたばかりだった。そして、生まれた時からずーっとずーっと背負ってきたこのどうしようもない世界に対する違和感と孤独感が少しずつ融けていっているところだった。

私は、世の中で、たった一人というわけでもないらしい。


ということが少しずつわかりかけていた。

☆ ☆ ☆

それから10年近くたち、今この詩を読みかえすと、実は、この気持ちは、WeHoのクラブで感じる気持ちに良く似ていることに気づく。

つまり、目と目があったなら。
すぐ話しかけようよ♪
あなた、私に興味あるんでしょ?

ってな感じだ。

(そういえばホイットマンはアメリカの詩人だったはず)

同じ詩をこんな風に解釈するようになったことに、時の流れを見るのか。
それとも、やっぱり同じ孤独を今も抱えていると見るべきなのか。
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Re: 孤独と詩人の蜜月関係

 ときには 言葉で論理的に 「シクミ」を 解明しない方がいい 場合もある


 そのままにして ほしいときが ある


  • 2008/05/22
  • u-
  • URL
Re: 孤独と詩人の蜜月関係
そのとおりですね…
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  • 2008/08/02
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