【小説】鞍馬口探偵事務所の一日 前編

私はとある探偵事務所につとめています。そもそもは法学部の学生時代に、何か法律の知識を活かせるような…時間の自由がきき、それでいて、お給料もそこそこよいというような虫のよいアルバイトを捜していたところ、この鞍馬口探偵事務所でアシスタントの職にありつき、そこからずるずると学校を退学後もつとめているというありさまです。

事務所は、所長の三上と私の二人のみでほそぼそとやっております。三上はもう中年にさしかかり、白髪が目立つ年頃。若い頃はやせていたようですが、今は立派に肥え太り、とても探偵とは思えません。骨の折れる尾行などはほとんど私や他の同業者にふっているようですが、それでも、三上の昔のつてをたどって、途切れなく依頼が入るため、おかげさまで、食うには困らない状況である模様です。

探偵の日常というものは、探偵本人からするともう慣れ親しんだものなのですが、一般からすると、毎日が冒険活劇で、スリルに満ちているように期待されているようで、よく探偵の暮らしってどうだい?というようなことを尋ねられます。そこで今日はひとつ、最近あった奇妙な依頼についてお話致しましょう。

ある日、事務所に一通の手紙が届きました。新規案件の依頼です。封を開くと以下のような文面がワープロでしたためられておりました。

「初めまして。私は市村某と申します。現在仕事の関係で米国に滞在しております。本来であれば労働ビザを延長する予定だったのですが、現在永住権の申請にさしかかっているため、米国国外から一歩も外に出られない状態となっております。そこで、貴事務所に相談があります。私の変わりに、私の約束を果たして来てはくれませんでしょうか。

「私は十年前のこの日、初めて恋を知り、恋した相手と結ばれました。二人は永遠の愛を誓いました。ですが、心のどこかでいつか別れが来るかもしれぬことを予感していたのかもしれません。私たちは、将来お互いになにがおころうとも、十年後の同じ日の正午、私たちがよく落ち合った市役所の噴水の前で会おうと固く誓ったのであります。

「やがて若い二人は別れてしまい、その後私は事業の関係で各都市を転々とし、あげくの果てに米国に流れ着きました。彼女の方は役所関係の安定した仕事に就いたと風の噂に聞きました。あれから長い時間が経ちましたが、彼女のことを忘れたことは一時もありませんでした。お恥ずかしい話、時間が立てば立つほど彼女ほど私にピッタリくる女性はいない、とすら考えるに至ったのです。

「ずっと十年後のこの日に会える、この日に彼女と再会できる。そうしたら今度こそ求婚しよう。そして、もし彼女が私の気持ちに答えてくれた暁に、もう二度と離しはすまい。そう考えて十年後の日が来るのを楽しみにしておりました。

「そんなおり、米国での事業がようやく軌道にのり、永住権を申請することになりました。この永住権というのはややこしいもので、一度手に入れてしまうと、自由に米国に行き来できるのですが、申請を始めると、それが終わるまでは米国の外に一歩も出られないという代物なのです。手続きをはじめた時はそんなことは意識していなかったのですが、先日例の約束の日に日本にいることができないということが判明したのです。

「その時の私の落胆と絶望はいかばかりか、きっとお分かりにならないでしょう。丸一日食物も喉を通らず、眠ることもできず。なんとかして彼女に会うことができないだろうかと考え続けました。友人に頼もうにも、当時の友人とは音信が途絶えておりますし、このような用件を依頼するのは気恥ずかしい。まさか、いい大人になって十年前の初恋に縛られているような感傷的な人間だとは思われたくありませんからね。何より、この一件は極秘のうちに進めなければならないのです。

「そんなある日、ひょっとしたことで高名な三上博士が鞍馬口探偵所をされていることを思い出しました。奇遇なことに、事務所の場所も、私の約束の場所である市役所からごく近いところにございます。また、専門家に頼めば、私の秘密が漏れることもなく、約束を守ることができるのではないかと考えたのです。

「約束の日時と地図はこちらです。もし彼女が二人の約束を覚えていて、現れてくれたら…彼女はきっと私に何かを持ってきてくれるはずです。その何かを受け取ったら下記の住所に確かに送ってください。きっとですよ」

そうして、手紙と一緒に当日の地図、そして、支払いのためのドル建て小切手が同封されておりました。

小切手には充分すぎるほど充分な額面が書き込まれていましたし、私もその日付に手が空いておりましたこともあり、その案件は所長三上ではなく私自らが手がけることとなったのであります。

(続く)
関連記事
スポンサーサイト

comment

comment form
公開設定

trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。